ファンを驚かせた背番号の継承劇はほかにもある。今季、捕手の大城卓三が46番から24番に昇格している。今春キャンプ中の紅白戦だった。大城が打席に向かう際、球場アナウンスで、「4×6で24番」と紹介された。24番は前監督で第66代巨人4番バッターの高橋由伸氏が、さらに遡れば、主砲・中畑清氏、投手では“元祖クローザー「8時半の男」”宮田征典氏が付けていた。
「原監督が現役時代に付けていた8番ですが、仁志敏久氏が移籍した後は、谷佳知氏、片岡治大(現コーチ)、現在の丸佳浩と継承されました。外様選手ばかり」(スポーツ紙記者)
栄光の背番号なのに、継承が軽すぎるのではないだろうか。
19、24、8番とは直接関係ないが、某スカウトが背番号の決め方を教えてくれた。
「ドラフトで指名した新人選手とは入団交渉を進めながら、背番号も決めていきます。空き番号表を見せて選ばせるのですが、球団から勧める時もあります。新人選手が希望した番号でも、こちらから『やめておけ』と言う場合もあります」
全ての番号にあてはまるわけではないが、「2代続けて大成しない」というジンクスも球界にはある。その場合、“厄落し”で一旦、外国人選手や移籍加入選手に付けさせることもあるそうだ。
また、巨人では「エースナンバー・18番」について、こんなエピソードも残っている。
「杉内俊哉(現コーチ)が巨人と移籍交渉を重ねていた時でした。杉内側の代理人が『誠意を見せてくれ』と言ったんです。金銭面、待遇ではなく、自分を本当に必要としてくれる球団で投げたいという意味でした」(球界関係者)
そして、18番を誠意の証として提示するにあたって、かつて18番を背負った歴代エースたちに連絡し、承諾を取った。誰一人として反対しなかったが、「わざわざ電話してくるなんて…」と、歴代エースたちは驚いたそうだ。球団として、本当に大切にしている背番号なのだろう。
「原監督はオフの間に背番号をシャッフルさせ、活躍した若手に若い番号を与えます」(前出・スポーツ紙記者)
巨人の永久欠番は1989年、王貞治氏の退団以降、出ていない。06年より永久欠番の背番号を記したユニフォームのパネルが外野スタンド支柱に飾られているが、若いファンはピンと来ないという。若い選手たちだが、前任者が活躍した背番号をもらうと「嬉しい」と思うのと同時に重圧にも感じるそうだ。
長期連覇ができなくなったこの時代、伝統も大事だが、背番号の継承は「期待」という未来形に変わりつつあるようだ。(スポーツライター・飯山満)