会場には、自宅に保有するオブジェや自作の絵画のほか、写真と手紙、パリ社交界で着用したドレス、アクセサリーなど計200点以上を公開。自宅サロンを再現したコーナーなどで、来場者を圧倒させた。
夫人というと、幼少期は太平洋戦争を経験。17歳にして家計を支えるため、赤坂のナイトクラブでホステスとして美貌を売った。そして、19歳のときインドネシアのスカルノ元大統領に見染められ同国へ渡り、1962年に大統領の第3夫人として結婚。27歳の時に長女を日本で出産したものの、政変のため、フランス・パリに亡命。大統領の死後は、社交界で“東洋の真珠”とうたわれ、その後、紆余曲折あり日本に帰国している。70年代よりタレント的活動を開始し、74年には男性誌『GORO創刊号』(小学館)でフルヌードを披露した。
現在は、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)をはじめ、数々のバラエティ番組で活躍。後期高齢者ながら、ときに体を張った驚異の身体能力を発揮させ、歯に衣着せぬ物言いが何かと話題と呼び、芸能界のご意見番として鎮座する。
そんな夫人を、ガチで怒らせた強者が存在した。夫人は、2016年10月放送の『好きか嫌いか言う時間 3時間SP』(TBS系)に出演。弁護士でタレントの北村晴男が言い放った一言に激高したのだ。
番組では、女友達と2人きりで食事に行く夫に不信感を抱く妻と、あくまで女友達だとする夫が登場。スタジオでは「男女の友情は成立するか」という議論に、北村は「成立する」と、夫側に理解を示した。
だが、これに「成立しない派」の夫人が「何でそんなに(夫側を)味方するのか、全然分からない」と北村にかみ付き、“犬と猿”の口論はやがてヒートアップ。そして、北村が「(スカルノ元大統領には)第1夫人もいたんだろ!」と言い放ったのだ。
この一言に激高した夫人は勢い余って立ち上がり、「いません!私は3番目の妻だったかもしれません。でも一緒には住んでませんから!」と、第1、2夫人とはすでに別居していたと主張し、どなり散らしたのだ。
怒りが収まらない夫人は、「あなた弁護士として、さ、さ、最低ですね!さっきからあなたの言ってることおかしいです!」と興奮状態で猛抗議。さらに、「男の浮気を許すものだと私の例まで言ってるんですよ!」と北村の反論を封殺しながら、「最近(テレビに)呼ばれるからって、いい気になるんじゃないですよ!」と“圧”をかけた。
最終的に、南海キャンディーズの山里亮太が「夫人!このテンションでいくと、もうこのあと誰もしゃべれないです」と仲裁に入っては場を収めたが、夫人の怒りは相当なものだったという。
「一夫多妻制のインドネシアでは、夫人が第3夫人であったことは事実ですが、実質的には“第1夫人”だったというのが夫人の主張のようでした。北村の一言は、心底愛されて妻の座を射止めた夫人のプライドをノックアウトしたのではないでしょうか」(芸能ライター)
夫人は11日発売の『anan』(マガジンハウス)で、「今のタレント活動は、頑張ってきた人生のご褒美のような余生」と評価し、「人の3倍働き、人の3倍努力をし、人の3分の1の睡眠で目標を持ってやってきた」と激動の人生を総括している。先月、80歳を迎えた夫人、今後もますます目が離せない。