2グループ・総勢15人による“VS形式”のシングルデビューは、アイドル界では異例。メンバーの大半は結成から長い下積みを続け、デビュー前から単独ライブを成功させるなど着実に経験値を高めていたが、今回一気に爆発した。18年末で芸能界を引退し、Jr.育成を主とした新会社・株式会社ジャニーズアイランドの社長に就任した滝沢秀明さんの手腕が大いに発揮された格好だ。
SixTONESの「Imitation Rain」は、YOSHIKI(X JAPAN)がプロデュース。18年、故・ジャニー喜多川さんが最後に手掛けたグループとなったKing & Princeの“キラキラ王子様路線”と相反して、スローダンスバラードがデビューソング。これも異例といえた。
この6人組が既存グループと一線を画すのは、これだけではない。半分がジャニーさんによるスカウトだったのだ。アイドル雑誌のフリーライターが振り返る。
「最年少(22歳)の森本慎太郎さんは、お兄さんが元Hey! Say! JUMPの森本龍太郎さん。JUMPのコンサートを親族で観に行った後、飲食店で食事をしていると、ジャニーさんが9歳だった森本さんにひとめぼれ。同席していたおばあさんを呼び出して勧誘し、後日、タッキー&翼のコンサートに招待して、ジャニーズJr.に加えました。京本大我さんの場合は、お父さんが俳優・京本政樹さんで、お母さんは元アイドルの山本博美さん。11歳のときに撮った家族写真が、ハワイのレストランに張られているのをジャニーさんが偶然目撃して、帰国後に居場所を突き止め、突然自宅に電話をかけました」
アメリカ人とのハーフのジェシーは、習っていた空手教室の仲間を介して、ジャニーさんと知り合った。ちなみに、Snow Man・向井康二はタイとのハーフだが、こちらはムエタイのキックボクシングジムに飾られていた写真を見たジャニーさんが、自らスカウトに動いている。
現場主義を最期まで貫いたジャニーさんだが、まだ川崎麻世のマネージャーを務めていた80年代前半から、美少年を見極める目は肥えていた。一瞬でそのスター性を感じたのは、東山紀之だ。
母が東京・渋谷のNHK内の職員用理髪店で働いていたため、小学6年のときに歌番組「レッツゴーヤング」(NHK総合)の公開録画をNHKホールまで観に行った。その帰り道で交差点にいたところを、ジャニーさんが発見。川崎と社用車に乗っていたが、わざわざ下車して声をかけ、後日レッスン場に来るよう連絡先を伝えた。
1枚のスナップ写真を見れば、その子の10年後が見えるというのがジャニーさん。死去後、その慧眼でミリオンアーティストを生んでしまうのだから、恐れ入る。
(伊藤由華)