昨年は、およそ10か月の間で2度の5大ドームツアーを行った初の日本人アーティストに君臨。5年連続6度目の5大ドームツアーも敢行し、ドームの公演回数は100回を突破している。
この関ジャニ、同世代の嵐やタッキー&翼と異なり、大の苦労人集団だ。
KinKi Kidsに続く関西発のジャニーズ第2号として結成され、関西のローカル番組で腕を磨くチャンスに恵まれたが、04年のデビュー曲は演歌調の『浪速いろは節』。地元・関西の限定発売だった。その数年間は、食うに困る毎日。気づけば、7人全員がアルバイトをしていた。
母子家庭で、弟が2人もいた横山裕は、メンバーイチの苦労人。家計のために高校進学をあきらめて、建築現場で働いて、鳩の巣を取り除いたり、足場を組んだりしていた。関西ジャニーズJr.になってからは、ニッカポッカを着たまま、ダンスレッスンに向かったという。
恵まれない家庭環境で育った横山と真逆で、お坊ちゃまだったのは大倉忠義。父は、有名焼き鳥チェーン店・鳥貴族の社長を務める忠司さん。そのため、自分で日銭を稼がなければならない幼少期ではなかった。
しかし、忠司さんは、10代でアイドルになってしまった我が子に経験を積ませるためか、近所でいちばん時給が安いコンビニを調べさせて、それと同じ時給で父親の経営するチェーン店のバイトをさせた。朝刊の新聞配達をしたこともあった。
2月3日に、主演映画『羊の木』が公開される錦戸亮は、知り合いを通じてアパレルショップで働いた。元来の服好きが高じた仕事だったため、棚卸しといった裏方業務も苦ではなく、日当の代わりに服をもらったこともある。
同じく安田章大も、アパレルショップの店員として勤務した。安田は、メンバーが付いていけないほど奇抜なファッションセンスの持ち主。ジャニーズとショップ店員との掛け持ちを楽しめたようだ。
丸山隆平は、運送業に就いた。洗濯機の設置をしたこともある。村上信五は、遊園地でバイト。急流すべりの切符切り、濡れたイスを拭いたりしていた。
ジャニーズでは武器となる小柄な体が、バイトで仇となったのは渋谷すばる。運送業の日雇いアルバイトの面接に行くと、体が小さすぎるという理由で断られ、「交通費」として2,000円をもらって帰らされた。のちに、ガソリンスタンドで雇ってもらえた。
超成り上がり集団、関ジャニ。18年は、錦戸のNHK大河ドラマ『西郷どん』と映画出演で幕を開けたが、この勢いはますますスパークするだろう。