脳梗塞と言う病に倒れて以来、長嶋氏はリハビリで再起をかけて闘ってきた。プロ野球界は無理としても、五輪監督復帰の夢を描いて努力してきたのは事実。
だが、最大の後援者だったアマ球界の重鎮、長船氏の死去でバックボーンを失い後退した。「結局、星野仙一氏が監督になって、それは完全に消えました。気の毒ですが…。もう星野時代です。スポンサーも星野だからつく、ということです。球界の流れも明らかに変わりました」
長嶋氏の現在の肩書きは「巨人終身名誉監督」。つまり、まだ巨人の一員なのである。
「巨人が長嶋氏の一生を面倒みる、ということ」(ベテラン記者)
最近の長嶋氏について巨人関係者が語る。
「ちょっと前までは、いろいろと仕事が入っていました。さすがミスター、と思いましたね。長嶋茂雄の名前は永遠なのだ、とその計り知れないビッグネームに驚いていました。ところが昨年の後半あたりから静かになり始めました。出番が減ったということです。もともと目立ちたりがり屋ですから、近頃は球界関係者の表彰パーティーに招待されるぐらいだし、開幕でもすればそれもほとんどなくなるし、寂しそうですよ」
昨年、亜希子夫人が急逝した後、1週間ぐらいで東京ドームの巨人戦を観戦しに姿を見せたことがあった。普通なら“喪に服す”時期だが、静かさには耐え切れられなかったのだろうか。
長嶋氏の現在の出番といえば本当に数少ない。かつての長嶋ジャパン関係の催し、星野ジャパン絡み、巨人戦の観戦、たまにあるパーティーといった程度で、それもほとんどが単発。レギュラーといえるのは東京ドームでの巨人戦観戦だけだ。
情報通が明かす。「旧知の人間に電話して呼び出すことが増えた、と聞いています。長嶋氏といえば、面会取次ぎの電話を受けることはあっても、自らということは今までになかったのではないか。やはり孤独感を強く感じているようです」
これまで長嶋氏の出番を周囲が作ってきた。実際、みんなで「長嶋カムバック」に協力してきたのだ。それも月日が経てば経つほど協力態勢に疲れが出てくる。
1月中旬、日本球界唯一の3000安打を記録した張本勲氏の「韓国政府からの勲一等パーティー」があった。長嶋氏はソフトバンク王貞治監督とともに出席した。
「日本プロ野球に提言がある。長嶋さん、王さんの順番にコミッショナーをやってほしい」と張本氏はブチ上げた。長嶋の出番をなんとか作ろうというのが本音のようである。
今年は北京五輪イヤー。野球は星野ジャパンが行く。「長嶋さんにはぜひ北京に来て応援して欲しい」と星野仙一氏。気を使っているのである。長嶋も「喜んで」と応じているというが、長嶋はこの2月で72歳になる…。