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戦国の『へうげもの』古田織部が徳川家康に仕掛けた驚きの一手とは?

 古田織部をご存じだろうか? 最近では漫画家の山田芳裕氏が描いた『へうげもの』の主人公として話題となり、TVアニメ化されたあの戦国武将のことだ。

 山田氏によれば“へうげもの”とは、ふざけた奴、おどけた奴、もっと言えば、そうやって陽気に本心を隠しつつ、裏で大いなる野望を抱く「一筋縄ではいかない奴」というほどの意味らしい。戦国の世に実在した古田織部も、実に“一筋縄ではいかない奴”だったという。

 古田織部はもともと織田信長に見出された能吏型(政治感覚に長けた人物)の武将だったが、戦国時代に『茶の湯』(現代の茶道)を確立した千利休の一番弟子として、次第に頭角を表した。

 師匠である利休の死後は「人と違うことをせよ」という利休の教えを忠実に守り、わざと高価な茶器を割り壊して、そのつなぎ目に金を流し込んでつなぐなど、荒々しい“破調の美”を表現する『織部流』を確立し、戦国末期には茶の湯の頂点を極めた“大茶人”に上り詰める。

 しかし、公式の記録には残っていないが、当時『関ヶ原の戦い』で勝利して天下人となった徳川家康は、この織部のことを内心、苦々しく思っていたらしいのだ。

 それもそのはず、家康の目指すものは、ただひたすら徳川家のみが尊重され、それ以外を目立たせず、変化させず、それらを巧みに制御し抑制しながら、自分の作った江戸時代をできるだけ長く存続させるという、この一点にあったからだ。

 織部の行う「破調」は、ひたすら徳川の安泰を願う家康の目に“危うく”写っただろう。そしてもともと政治手腕に長けた織部は、それを敏感に感じ取ったはずだ。

 いずれ自分の目指す茶の湯は家康に弾劾を受け、天下人だった豊臣秀吉に殺された師匠、千利休のように次第に追い詰められ「自分も殺される運命にある」と。

 結果的に織部は戦国最後の大戦である『大阪の陣』で「家康の暗殺を企て天下を狙う」という、とんでもない“暴挙”に出て、完全に失敗する。そして織部本人は切腹、さらには一族郎党皆殺しという「破滅」を迎えるのだが、ここで織部は誰もがアッと驚く「起死回生の一手」を打つのだ。

 何と切腹したのは織部そっくりの替え玉で、織部本人は九州に渡り、一説によれば、そこからさらに琉球(沖縄)へ、最後ははるか遠いルソン島(現在のフィリピン)まで、船に乗って逃げたという古い言い伝えが残っているらしい。

 自らの野望のために茶器どころか自分の人生まで「割り壊した」織部は、確かに“へうげもの”だったのだろう。

参考:司馬遼太郎『割って城を』、藤沢周平『破調の織部―古田織部の生涯』

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