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球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(6)

 プロ入りと同時に出来た長嶋伝説。あのデビュー戦での400勝投手・カネさん(金田正一氏)からの4打席連続三振。完全に牛耳ったカネさんの方が「すごいバッターが出てきた」と強敵出現に身震いしたと言われているが、確かに長嶋さんの対応力はすごかったよね。その後、カネさんから打率3割を超え、ホームランを18本打ったんだから。

 長嶋さんは自らの言葉で「プラス思考」と言っているが、悪い結果にくよくよしない。あくまで前向きに取り組む姿勢があるから、最悪の結果からでもすぐに対応できるんだろう。だけど、そんな長嶋さんにも天敵がいた。大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の平松さん(政次氏)だよ。あのカミソリシュートだけは毛嫌いしていたね。
 普通の沈むようなシュートを投げる投手は大丈夫なんだ。でも、あの浮き上がるような、平松さんのカミソリシュートだけは、さすがの長嶋さんも打てなかったね。もう顔を見るのも嫌だったみたいだ。
 天敵と呼ぶしかない、カミソリシュートの平松さんへのアレルギー後遺症というのだろうか、オレにもとんだとばっちりがあった。プロ入り4年目で新人王を獲得したという、前代未聞の記録を持っているオレは、それまで二軍暮らしで、時折り、バッティング投手として一軍に呼ばれた。平松さんとは比べものにならないが、オレもシュートピッチャーの端くれだ。
 そんなオレが長嶋さんの打撃練習の時に、マウンドに立つと、たった3球で終わりだ。バントの構えをして、3球バントをやると、「ハイ、終わり」と言って長嶋さんは打撃練習をやめてしまう。オレにシュートを投げられるのを嫌って、バッティングしないんだよ。
 以来、オレは一軍の練習に呼ばれても、森さんと国松さんの2人に10分ずつ投げて終わりというパターンだったね。長嶋さんの平松さんのカミソリシュートへのアレルギーの強さを思い知らされたよ。

 王さんとの思い出というと、あの伝説の日本シリーズでの阪急・山田さんからのサヨナラ逆転ホームランの試合だね。
 1勝1敗で迎えた71年の日本シリーズ第3戦は西宮から本拠地・後楽園に舞台を移したが、山田さんの前に手も足も出ない。8回終わってランナーが出たのは2人だけ。さすがのONも「きょうは負けた」と思ったはずだよ。ところが、二死一塁から長嶋さんがヒットを打って一、三塁。ここで王さんがシリーズ史上に永遠に残る逆転サヨナラホームランを打ったんだ。王さんが「何本指かに入る、思い出のホームラン」というのも当然だろう。あの試合に負けていたら、シリーズの流れは完全に阪急のものになり、V7はなかったし、V9もなかった。
 そんな記録と記憶に残る王さんの劇的な一発でオレはみんなの記憶から消されてしまったんだ。あの試合、一世一代の晴れ舞台、シリーズ完投勝ちという栄誉を手にしたのに、誰もあの時の勝利投手のことを覚えていなんだからね。ガックリきたよ。

<関本四十四氏の略歴>
 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。

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