そう思って、いろいろ調べてみた。
結論としては、いなくはない。という言い方が一番よいだろうか。
日本のプロ野球ができた直後のだいぶ古い話となるが、横沢七郎(東京セネタース。現・日本ハム)という選手が実働7年間、1770打席に立って、本塁打を一度も打たないまま引退した。細かい年度別打撃成績は不明だが、一応1000打席以上は立っているのだから、当時のセネタースの主力の一人として活躍していたのは確かだと思う。
しかし横沢が活躍したのは1936〜40年までと46年と47年の通算7年間。戦前と戦後すぐの投高打低の時代だし、7年間ではあまりにも短すぎる。ここで松本が長年巨人の主力選手として活躍できるのを願って、戦後の時代で最低でも10年程度は活躍して、通算打数も、生涯打率ランキングにランクインする資格を得る4000打数以上は打席に立った打者の中でいないか探していきたい。
まず筆者が気になったのは、87年に戦後唯一本塁打ゼロで首位打者となった正田耕三(広島)である。しかし正田は87年は確かに本塁打ゼロだが、通算で44発打っているし、翌88年も2年連続で首位打者となっているが、この年は本塁打を3発打っている。
他に本塁打をまったく打たなかったイメージのある打者として、09年に惜しまれつつ引退した赤星憲広(阪神)はどうか? 確かに引退するまで2528打席本塁打ゼロで、これは連続打席本塁打ゼロの日本記録だが、実は05年の交流戦一年目の日本ハム戦で本塁打を打っていたのである! しかも意外なことに、新人だった01年にも1発本塁打を打っている。だから赤星は決して本塁打ゼロではない。
それでは同じく本塁打を打たないイメージのある東出輝裕(広島)ならどうか? …と思ったら、本塁打を打たないイメージだったのは、ここ4年間まったく本塁打を打たなかったからで、昨年の巨人戦で5年ぶりの本塁打を打っていたのである! 筆者は巨人ファンだから、忘れるな! って話でした。ごめんなさい。ちなみに5年前より以前は東出は意外と本塁打を打っていて、01年には5発も打っている。これでは本塁打ゼロの条件には全然合わない。
それでは昭和の時代に戻って、松本哲也の前に「巨人の松本」だった青い稲妻・松本匡史ならどうだろう? しかし、これは自分で言っておいて何だが、松本匡史は通算本塁打ゼロではない。なぜなら松本は代走で起用されたイニングに打者一巡で打席が回ってきて、その打席で本塁打を打ったという珍しい記録の持ち主だからである。その時点で通算本塁打ゼロではない。一応調べたら、通算本塁打は29発である。
セ・リーグとパ・リーグ、それぞれの通算盗塁記録の保持者である福本豊(阪急)と柴田勲(巨人)も本塁打はそれぞれ、福本は208発、柴田は194発と、二人とも意外と長打力もあるので、結論としては10年、4000打数以上打席に立ったレギュラー野手の中で、通算本塁打ゼロはいないのではないだろうか?
こうして振り返ってみると、長年レギュラーとして活躍すると本塁打を1発も打たない方が難しいし、変な言い方だが、嫌でも1発は打ってしまうのではないかと思ってしまう。
松本哲也も、スタンドインの本塁打はともかくとしても、その俊足を持ってすればランニングホームランの可能性は十分あり得ると思うし、ランニングホームランだって本塁打には変わりない。だから松本が今後10年は巨人の主力選手として活躍できれば、いくら本塁打ゼロ宣言をしていようが1発は必ず本塁打を打つと筆者は思うし、そのXデーの日付と相手球団、相手投手を筆者は一生覚えることにする。
最後に、ある選手の名前を出して締めようと思う。
昨シーズン限りで引退した村松有人(ダイエー→オリックス→ソフトバンク)である。
村松は初打席から1565打席本塁打ゼロの、デビューから連続打席無本塁打記録保持者である。プロ入り8年目、1566打席目で初本塁打を放ち、通算本塁打は18本。松本は現在775打席立っているが、村松の1565打席本塁打ゼロを超えられるのか? それとも、その前に初本塁打を打ってしまうのか? 要注目である。
文中・敬称略
年号は西暦で統一
(野球狂のアキバ系 伊藤博樹 山口敏太郎事務所)