その中でも、デビュー曲「ウエディング・ベル」で一世を風靡した「シュガー」の存在は異色といっていい。音楽評論家が語る。
「シュガーは、もともと高校の同級生3人が『かりんとう』というバンドを高校時代に結成したのがきっかけです。ニューミュージックなどのカバーを中心に活動した後、“自分たちがしお(塩)らしくない”という理由からシュガーに改名したのです。そして、81年に11月にデビューしていきなり大ヒットになりました」
このシュガーのリーダー的な存在だったのが、ベースとバックボーカルを担当していた“モーリ”こと毛利公子だった。
当時流行していたワンレンスタイルで白いベースを弾く姿とハキハキとしたしゃべり方は、グループ内でも姉御的な存在だったという。元音楽誌の音楽担当記者が振り返る。
「彼女たちは、デビュー曲の『くたばっちまえ アーメン』というフレーズが代表するように20代の女性の本音を代弁するような存在として一躍注目を浴びた。トークは、主にボーカルだったミキ(笠松美樹)が担当。キーボードのクミ(長沢久美子)が、突っ込み役という分担がありました。モーリは、まさに『くたばっちまえ』のコーラスパートをしていたように、トーク最後のオチとかで締めることが多かったのです。毎回、彼女たちのトークがOLの“井戸端会議”のようになるため、ベスト10などの歌番組では、貴重なしきり役として重宝されたようです」
ところが、このデビュー曲が大ヒットとなり、翌82年には紅白歌合戦にも出場。
まさに順風満帆な船出を飾ったシュガーであったが、一時はNHKの神戸放送局で、「ウエディング・ベル」が「放送禁止歌」になるなど、過激な歌詞が物議をかもすこともあった。
前出の音楽評論家が明かす。
「シュガーの3人は、もともと横浜のお嬢さん学校の出身です。ところがデビュー曲のイメージがあまりに強烈で、過激なイメージが先行してしまったのです。その後も、女の本音を綴った作品をリリースしましたが、今ひとつ、パッとしませんでした」
その後、プロデューサーだった古田喜昭氏の縁で、アニメの主題歌などを歌ったがヒットには恵まれなかった。
「そこでシュガーは苦肉の策として、その後の結婚生活を歌った『ウエディング・ベル2』という曲を発表しました。ところが、これがまったく売れず、話題にもならなかったのです。当時は、曲のフレーズ『くたばっちまえ アーメン』があまりシャレにならずに、その後のライブなどでも披露しなくなったそうです」(前出・音楽評論家)
(つづく)