…あの頃から、徳島も随分と変わった。一人感慨にふけってしまうのも年令のせいだろうか。(随分と、おじさんになってしまった)そう想いながら、私は密かに…ほくそ笑む。
それにしても、この20年間で帰郷したのは、5回程である。いずれも、結婚式・葬式など冠婚葬祭がらみであり、骨休みなど一度もなかった(笑)。私はいつまで、馬車馬のように働き続けるのであろうか。ハードな執筆活動の中、今でもふと徳島の濃い空間を思い出す事がある。
昭和51.52年の頃であろうか。
そう、あれは小学校高学年の時だった。当時、八万小学校に通っていた私は奇妙な噂を耳にした。
「ソノセ川沿いの一本松に、首無し馬が出るんぞ」
噂の発信元である友人某は額に汗をため力説した。
「これはな〜ほんまの話やけんな」
「うそ〜そんな妙な話が、あるかいな」
私は鼻で笑った。
当時既に妖怪博士と異名をとっていた私だったが、この昭和の時代に妖怪話などありえないと思っていたのだ。
それから一週間ぐらい経った時の事。私と友人某は一本松に張り込みを開始した。だが、何も出なかった。
「やっぱ馬の妖怪なんかおらん」
「ほんまやな〜迷信かいな」
その日はすっかり科学小僧になり、二人は帰宅した。
更に2年ぐらいたった夏。私はボーイスカウト徳島第一団の団員としてキャンプに参加した。野営地は、ソノセの河原。あの一本松が見える場所である。
(なんか、いややな〜)
と私は思ったが、テントの設営は粛々と進行した。しばらくすると、排水路を掘っていた後輩が大声をあげた。
「うわー、なんやろ、これ」
後輩の手には馬の土偶が握られている。得もしれぬ恐怖が私を襲った。
(馬って……一本松に出てた馬の妖怪ってこいつかもな)
私はしばらく土偶を見つめていた。土偶が死者を供養する為のものと知ったのはちょうどその頃である。
偶然のおりなす恐怖、アンバランスな不安。妖怪とはこういうものだ。私はそう教わったような気がする。
監修:山口敏太郎事務所