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22回目の紅白出演の松田聖子、男性遍歴も人並外れた“大物”ぶり【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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松田聖子

 31日、平成最後の『NHK紅白歌合戦』に米津玄師が急遽出場すると発表され、大きな話題となった。米津以外にもあいみょん、YOSHIKI feat. HYDE、King & Princeなどが初出場。また、特別企画としてサザンオールスターズも出演。“紅白に、サブちゃんが帰ってきた!”として、北島三郎が「平成最後の紅白」に出演し、『まつり』を歌唱する。

 そうそうたる顔ぶれの中、1980年に初出場した紅組の松田聖子は、今回で22回目の出場を果たす。松田というと、80年代を代表するトップアイドルとして男女問わず、絶大的な人気を誇った人物だ。また、“恋多き女”としても話題が絶えなかった。また、同番組に出演するたびに、かつて熱愛が報じられた郷ひろみとの共演が見物となっている。

 1981年、松田は歌番組などで共演の多かった郷と、結婚を前提に交際していることが発覚。しかし、トップアイドル同士の恋愛はやがて破局を迎えた。85年1月、松田は単独破局会見を開いた際に、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と号泣。この言葉は当時の流行語となった。しかし、それから1ヶ月後に、同年年公開の映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演した俳優の神田正輝との交際が報道され、世間の度肝を抜いた。だが、すでに会見時には交際していたという噂もあった。

 同年6月、松田は神田と結婚。当時は、『聖輝の結婚』と大きく騒がれ、披露宴のテレビ中継は30%以上の高視聴率を叩き出し、日本国民の関心を大きく集めた。86年10月には、長女の神田沙也加が誕生した。

 だが、松田の“恋愛体質”は結婚しても相変わらずだった。アメリカ進出を狙った松田は、1989年2月に歌手の近藤真彦とのニューヨークでの密会が報じられた。しかし、バッシングを受けながらも松田はアイドルからさらなる昇華を目指した。90年には無名俳優のジェフ・二コルスとの密会を日本でキャッチされた。当時『青い目の愛人』と報じられ、2人の関係に騒然となった。

 「神田は当時、マスコミに対し『ウチの(松田)はやりたいことをやってるんだ。彼女にやましいところがなければいいじゃない』と、寛大な姿勢を示したという。そして、アメリカに戻った松田はその後もジェフとの関係を継続していたようだ。ジェフはまだ20歳という若さゆえ、3年余りで破局を迎えたというが、2人の濃厚キス写真がマスコミに流出。さらにジェフは、1993年に松田との愛を赤裸々に綴った『真実の愛』(鹿砦社)、95年には『壊れた愛』(同)を立て続けに出版。ベストセラーとなったジェフの“ラブレター”は、莫大な印税へと変わり当面の生活の糧となったようだ」(芸能ライター)

 “ママドル”として人気を博していた松田だが、恥ずべき下半身事情をぶちまけられても一切動じなかった。なんと、その頃すでに松田のバックダンサーだったアラン・リードとの恋が発展していたともささやかれていた。

 全米進出を果たした松田は、1997年1月に神田との離婚を決断。各地で号外が発行されるほどで、注目度の高さを物語っていた。さらに、98年4月にアランに「夜も奉仕しなければ、バックダンサーとして使ってあげない」と言われたとして、“逆セクハラ裁判”を起こされる。証拠不十分で却下されたが、世間の注目の的となった。さらに同年5月には歯科医師と再婚。出会って2ヶ月の「ビビビ婚」は、再び大きな話題となった。しかし、00年12月にまたしても離婚。そして、12年6月に医師と3度目の結婚を発表し、現在に至る。

 松田は来年3月に57歳を迎えるが、その美貌は衰えを知らない。常にスキャンダルと隣り合わせで世間をにぎわせつつも、冷静さを失わない“松田聖子的生き方”に共感する女性も少なくはない。そんな松田のさらなる活躍に期待したい。

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