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にっぽん超エロすぎる民話集【長野県伊那市】「童貞・処女」を定められた男女の末路

 かつて日本の家長制度では、長男の権限が圧倒的に強かった。農家の場合など、次男以下は土地などの財産をほとんど相続できず、身一つで実家を追われることも多かったのだ。

 しかし、それでも長野県の伊那地方にあった「おじろぐ・おばさ」に比べれば、かなりマシと言える。おじろぐは男性、おばさが女性。これは長男以外の子どもを下人として死ぬまでタダ働きさせる人権無視の因習だ。立場は長男の嫁や子どもよりずっと低く、祭りなど地域の行事への参加や他の住民との交流も制限された。

 これについて伊那出身の鈴原伸一さん(仮名・50歳)は、「100年以上前のことですが、私の一族にもおじろぐがいました。亡くなるまで農作業の手伝いをしていましたが、他の家族と一緒に食事をすることも許されず、寝床も1人だけ薄汚れた納屋でした」と話す。

 同じ血を分けながら、一方が奴隷的な扱いに身を落としたのには、山ばかりで農作物がほとんど作れない地域特有の問題があった。

 「口減らし同様、やむを得ない事情があったのは理解できます。でも、彼らは他家に嫁げば解放されるとはいえ、どの家も貧しく余裕がなかったのです。かといって性のはけ口として忌み者にされるわけでもありませんでした。結局、一生独身であることを義務付けられ、死ぬまで童貞・処女という人も多かったそうです」

 人として扱われることが少なかったせいか、ほとんどのおじろぐ・おばさは表情や感情に乏しく、精神的に何かしらの問題を抱えていたと言われている。

 なお、現在は1人もいないが、明治初期には190人、昭和40年代にも3人いたことが確認されている。

 「私も次男なので、生まれる時代がもう少し早かったら、奴隷扱いされて一生童貞のままだったかもしれません。そう思うと、本当にゾッとしますね」

 性に寛容だった時代とはいえ、禁欲を強いるこんな風習もあったのだ。

(※風習自体は、現在は行われていません)

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