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【幻の兵器】中国東北部の気候風土に特化させた特殊車両「湿地車(SB器、FB器)」は戦後も研究開発が

 満州(現在の中国東北部)の関東軍(中国東北部に進駐していた日本軍の部隊)はソビエトの沿海州を主攻略目標のひとつとしていたが、攻勢正面である松花江下流域には大小の湿地が散在しており、凍結期以外は軍隊の通過が困難な地域だった。

 日本陸軍工兵史によれば、現地は茫漠たる大湿地帯で底なし沼や野地坊主に被われた湿原などが入り乱れ、さらに大小さまざまの水流が網の目状に広がっている地域であった。そのため、個々の兵士や重装備を持たない偵察部隊などであれば、小型のボートなりゴム製の浮き袋なりを使用して突破可能だが、大規模な土木工事を行って専用道を開設しない限り重火器の通過は全く不可能だった。

 中でも厄介なのは、背の高い一年草の群落が形成する直径数十センチ程度の野地坊主で、夏季は1から2メートルの高さに育成して視界を妨げるばかりか部隊の通行も阻害し、凍結期は枯れた根株が固くしまるために一種の対戦車障害と化して、あらゆる車両の通行を妨げたのである。そのため、攻勢正面の大湿地帯を突破し、重火器や補給物資の輸送を可能にする湿地専用運搬車の開発が必要だと考えられた。

 湿地突破用特殊運搬車は湿地車という開発名称が付けられ、三菱重工が試作を担当した。最初の湿地車(SB器)が完成したのは1933年のことで、鉄製の幅が広いキャタピラに加えて腹部にはゴム製キャタピラも備えたうえ、水上走行用のスクリューも装備していた。試作車両は重量約10トン、全長は約10メートル、エンジン出力は100馬力で歩兵1個分隊を積載可能だった。ところが、浅い湿地の通過は可能だったものの、深い泥沼では動きが取れなかった。

 試験によって得られたさまざまな情報を検討した結果、もっとも大きな問題は履帯(キャタピラ類のこと、以下同)にあることが判明した。表面が水で被われているという点では類似しているが、水面と違って湿地では車体を支える浮力のようなものが全く作用しない。そのため、なにかの拍子に前後左右のバランスを崩したら最後、軟弱地盤にはまり込んで身動き取れなくなるか、ひどい時にはそのまま転覆することさえあった。そのため、単に履帯の幅を広げて接地圧(車体が地面に加える圧力で、地面に触れる面積が大きいほど低くなる)を低くするだけでなく、履帯に浮力をもたせて車体を支えるとともに、たとえバランスを崩しても水面上のような復元力が働くような仕組みを考案することとなった。

 ただちにゴム製浮嚢式履帯を採用して重量も半分に押さえた試作二号車が製作され、再び走行試験が行われた。履帯のゴム製浮嚢は接地圧を低下させるとともに、地表面が水で覆われたような地域では車体に浮力を与えた。また、これらのゴム製浮嚢には空気が充填されており、足踏み式の空気ポンプで膨らませるようになっていた。湿地は必ず沼とか湖につながっていることからSB器と同様に試作二号車にも水上走行能力が要求され、車体後部にはスクリューが取り付けられていた。このスクリューは、陸上走行時に上へ引き上げられた。陸上や沼地でも履帯で走行可能な場合は、一般の装軌車両と同様に方向転換を行うが、水上ではスクリューを左右に振って方向転換を行った。その他、深い水面を渡る際には車体前部に波切り板を取りつけ、側面や後部には波除けの板を立てていた。  

 先代のSB器は車体に物資や兵士を乗せたが、試作二号車では軽くするために車体へ直接搭載せず、合板製の折り畳み式そりに搭載して牽引することとした。そりは10名程度の兵員または物資を搭載することができ、同時に5台を牽引可能だった。また、その他には野砲を特殊なスキー状の台に乗せ、そちらは2門まで牽引することができた。

 試作二号車は草湿地、水流、泥濘の全てを走破できたため、湿地車(FB器)として採用されたが、制式名称は最後まで決まらなかった。FB器は1934年から45年にかけて三菱重工業で生産され、合計146両完成した。しかし、部隊への配備状況は不明である。日本軍の基本的な戦術は歩兵の機動力を生かして迂回浸透を試み、側面から近接攻撃を加えるというものだった。それも、可能な限り敵が予想しない方面、例えば、通常なら部隊の通行が不可能と考えられている方面などから迂回し、奇襲攻撃を加える事を理想としていた。そのため、大部隊の通過が不可能と考えられている湿地帯を攻勢正面に設定し、突破による奇襲効果を狙った関東軍にとって、湿地車は最重要兵器のひとつだった。  

 また、湿地車が一定の成功を収めたことがきっかけとなり、その特殊な履帯構造を活かして中国東北部の気候風土に特化させた特殊車両の研究、開発にも着手している。まず、湿地用偵察車としてFB器を少し小型にした二人乗りの車両を試作し、仮にTB器と呼称していたようだが、どうやら量産には至らなかったらしい。この車両については、水上での方向転換用に舵を装備していたということ以外、詳細はほとんど判明していない。

 その他FB器が柔らかい土地の上を走れることを利用して、深い雪の中を潜らずに走らせることを狙った車両も開発され、ユキ車と呼ばれていた。この車両はFB器から水上走行装置を外し、浮嚢の中にはカポック(発砲スチロールのようなもの)を詰めていた。だがTB器と同様にユキ車も量産されず、やはり詳細は不明である。さらに、太平洋戦争が始まってからはFB器の両側にさらに固定浮嚢をつけて浮力を増し、前後に板をつけて波浪に耐えるようにした車両が試作され、ナミ車と名付けられた。ナミ車は沖合いに浮かぶ潜水艦や輸送船などから海上へ放出された運貨筒(物資運搬カプセル)や、大型フロートにくくり付けられた兵器などを回収、牽引して浜まで運搬する事を目的としていたが、やはり試作のみに終わった。

 ただし、湿地車は軟弱地盤用特殊牽引車として十分な性能を有しており、いくつかの派生型が生まれたことから見ても、発展性に富んだ車両であったといえる。実際、湿地車の研究、開発は戦後も防衛庁において継続されていた。施設機材(工兵用機材)の研究、開発を担当する技術研究所第四研究所第一部において、泥濘地作業車という名称で1950年代の後半まで研究が継続されていた。

 しかし、湿地車の履帯に取りつけられた浮嚢は、尖った岩や鋭く突き出た切り株などで破損する可能性があり、当然ながら敵の射撃を受ければひとたまりもなかった。さらに、急旋回や場合によっては前、後進の際にも履帯から外れたり、あるいは取付部がゆがむなど、車両の機動力を低下させる要因となってしまった。湿地車最大の欠点は、最大の特徴でもある履帯の構造にあったといえる。最終的に、湿地車は雪上車をはじめとする特殊車両や建設工事車両の母体となって、その役割を終えたのである。
(隔週日曜日に掲載)


■ データ 湿地車(FB器)
重量:自重4.5t 乗員:2〜3名
寸法:全長6.9m、全幅2.8m、全高2.2m
動力:空冷ガソリン30〜40馬力(推定)
履帯の浮袋:片側28個(1個の大きさ81×41×23cm)
速度:陸上24〜30km/h、湿地上5〜15km/h 水上8.5km/h

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