加藤清正時代に作られ、西南戦争の戦場にもなった熊本城の櫓が倒壊し、阿蘇大橋は崩落、各地で大規模な山崩れが発生して、避難者は20万人にも及んだ。「洗濯機の中で、ぐるぐる回されているようだった」と被災者が証言する地震は、阪神・淡路大震災なみの揺れだった。
これだけ大きな地震が熊本を襲うことを、地元の大部分の人は予想していなかった。熊本には、100年以上大きな地震がなかったし、政府の地震調査委員会も、この地域の30年以内の大地震発生確率を「不明」と評価していたからだ。
今回の地震は、大地震がどこにでもやってくる可能性があることを改めて示した。ただ、不幸中の幸いは、大きな揺れを記録した地域の中に、原子力発電所が立地していなかったことだ。もし原発があれば、九州壊滅の大きな事故につながった可能性もある。
ところが、4月18日に臨時会合を開いた原子力規制委員会は、鹿児島県の川内原発を運転停止する考えのないことを明らかにした。今回の地震の強さが、想定する範囲内に収まっているからだという。
しかし、今回の熊本地震は、中央構造線という日本最大の活断層の一部で起きている。断層のズレは、3メートルに及んだ。その延長線上に川内原発と伊方原発が立地しているのだ。少なくとも、燃料棒を抜くといった事故予防策を採るべきなのに、そうした対策は不要だとしたのだ。
地震学者の中には、阪神、東日本、熊本と、大地震が続いているのは、日本が地震の活発期に突入した証拠だと主張する人もいる。実際、いまから400年前に今回の熊本地震と同じ地域で大地震が発生し、それが連鎖したことも分かっている。
そうしたことを考えると、やはり原発は最終的にゼロにしていくことが望ましいだろう。ところが政府は昨年、2030年度の望ましい電源構成(ベストミックス)の中で、原発比率を20〜22%とすることを決めた。この水準は、いま生き残っているすべての原発を再稼働させるということだ。原発を「ゼロ」にすべきかどうかは、国民が選挙で審判を下さないといけない重要課題だ。
もう一つの課題は、自衛隊の役割だ。
熊本地震の災害救助、復旧で自衛隊が大きな貢献をしたことは、疑いの余地がない。しかも、今後地震の活発期が続くとなれば、その役割はますます大きくなってくる。安倍政権は、集団的自衛権の行使を可能にしたうえで、将来的には憲法を改定して、国軍を創設しようとしている。しかし、軍隊を持つことが、日本の安全保障に本当につながるのかどうかについては、国民のきちんとした審判が必要だ。
だから野党は、ただ単純に安全保障関連法の廃止法案を出すのではなく、より積極的に「自衛隊を災害救助隊に改組する」という政策を掲げたらどうだろう。もちろん、敵が攻めてきたら防衛をするのだが、本務はあくまでも災害救助とするのだ。
米軍と一緒になって戦争に行くのか、国民の命を守るのか。今こそ自衛隊の本務を国民が判断すべきだろう。