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芸能 2015年10月19日 11時35分
愛され女子・紗栄子に新恋人
タレントでモデルの紗栄子が、11歳年上で大手ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」などの運営会社「スタートトゥデイ」の創業者で社長の前沢友作氏と交際していることを、一部スポーツ紙が報じた。 紗栄子といえば、昨年5月には、20歳年上でイケメン音楽プロデューサーの大沢伸一氏との熱愛が一部で報じられたが、記事によると既に破局していたという。 前沢氏とは今秋に知り合って交際をスタートさせ、多忙なスケジュールの合間にデートを重ねているというが、紗栄子はバツイチで2人の子供がいるにもかかわらず、相変わらずモテモテのようだ。 「紗栄子は『愛され女子』と呼ばれ、女性からも高い支持を得ている。前夫は大リーグ・レンジャーズのダルビッシュ有投手で、離婚の際、毎月、かなりの額の養育費をもらうことで合意。子供は自分の母親に預けたりしながら、悠々自適な“セレブ生活”を送り女磨きに励んでいる」(女性誌記者) 紗栄子は現在、約8年ぶりのドラマ出演作となる、フジテレビ系の月9ドラマ「5→9〜私に恋したお坊さん〜」に出演中。優良企業の男性社員の名刺集めが趣味のOLを演じているが、プライベートでは役柄を大幅に上回り、富豪社長をゲット。 記事によると、前沢氏は、高卒後、渡米を経て20歳で起業し、98年にスタート社を設立。04年に開設した「ZOZOTOWN」は、3000以上のブランドを取り扱う人気の通販サイトで、昨年10月時点で会員数は1000万人を突破。紗栄子がファッションブランドとコラボした商品も販売されているというだけに、ビジネスが縁で知り合った可能性が高そうだ。 また同社は12年に東証1部上場。今年4月、フォーブスが発表した「日本の富豪トップ50」で前沢氏は23位に入っており、推定資産は15億ドル(約1800億円)。その後も資産は増え、現在は2000億円を突破している見込みのようだが…。 「前沢氏は別の女性との間に3人の子供がいるが、結婚歴はないというだけに、紗栄子とも結婚する気はないのでは。一方、紗栄子も再婚願望はあまりないようで、前沢氏は公私ともにパートナーになれる関係なのでは」(芸能記者) いずれにせよ、紗栄子の生き方にあこがれる女子たちの人気が大幅にアップしそうだ。
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アイドル 2015年10月19日 11時19分
NMB48 渡辺美優紀にニックネーム騒動 “みるきー”は気に入ってない!?
アイドルグループ、NMB48の渡辺美優紀が自身のニックネームについて、トークライブアプリ「755」で語っている。 自身の「755」で渡辺は、ニックネームである「みるきー」について気に入っているか、ファンから質問されると、「メンバーにはみるきーって呼ばないでって言ってます」と答えた。そして、「気にいってないのですか?」とさらに質問されると、「はい、気に入ってないです」とも。 渡辺によると、HKT48の指原莉乃や同じグループの市川美織からは、“みゆきちゃん”と呼ばれているとのこと。さらに、「一般の友達」からは、“みるきー以外”で呼ばれるという。ただ、ファンからどう呼べばいいのかを質問されると、「お好きにどうぞ」と答えた。 その後、渡辺は、「ままに755したらあかんって言われた。勝手なこといっぱい言ってって。みるきーって呼ばれるの気に入ってないとか言ってごめんなさい。これからもみるきーって呼んでください。よろしくお願いします」とコメントした。 結局、釣り師とも呼ばれる渡辺にファンは翻弄されただけのようだ。
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芸能 2015年10月19日 10時57分
タモリが紅白司会を辞退!
今年のNHK紅白歌合戦で総合司会のオファーを受けていたと一部で報じられていたタレントのタモリが、NHKに辞退の返答をしていたことを一部スポーツ紙が報じている。 記事によると、タモリはNHKから今年の目玉として熱い要望を受けていたものの、スケジュールの調整がつかないなどの複数の理由が重なり、先週までに辞退。司会の選考が白紙となり、例年ならば、10月中旬までに司会は発表されるが、大本命だったタモリの辞退で、正式発表が遅れることになりそうだという。 「以前のタモリならば、月曜から金曜まで『笑っていいとも!』の出演をこなしたうえで、ほかの番組をこなしており、体力は十分だった。しかし、今は『いいとも』の出演がなくなり、ある程度、自分の好きなように時間を使いながら仕事をこなしている。紅白はギャラは格安。おまけに、2日間のリハーサルと本番で朝から晩まで3日間拘束されるので、今のタモリにとってはかなり厳しい条件。熟考を重ねたうえでの辞退だったと思われる」(NHK関係者) 発売中の「週刊文春」(文芸春秋)によると、あくまでもタモリが司会をつとめることが前提だが、タモリと同じ福岡出身で非常に仲が良く、同局のタモリの冠番組「ブラタモリ」のオープニングとエンディングに曲が使われているシンガーソングライターの井上陽水の名前が浮上。しかし、「これまでずっと紅白を断り続けていたので、またとないチャンスだったが、タモリが出ないなら出ることはなさそう」(レコード会社関係者)という。 同誌では、“夏の紅白”とも言われるNHKの歌番組「思い出のメロディー」で今年初めて総合司会を務めその司会ぶりが好評だったことから、13年の紅白で卒業を宣言した演歌界の大御所・北島三郎が司会に名前があがっていることも報じられた。タモリが辞退しただけに、北島が本命に浮上か?
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芸能 2015年10月19日 10時51分
千葉雄大と山本美月 お互いを絶賛し合う
17日、映画『Mr.マックスマン』の初日舞台挨拶が、イオンシネマ板橋にて行われ、同作に出演した主演の千葉雄大の他、山本美月、久保田悠来、青木玄徳、なだぎ武、監督の増田哲英氏が登壇した。 千葉は劇中で、ひょんなことから、過去や未来を透視できる力を身につけ、ヒーローに変身出来るようになった崖っぷちアナウンサーという役を演じた。千葉は、デビュー作となった2010年の『天装戦隊ゴセイジャー』も、変身ヒーローものだったということで、変身ヒーローについて、「思い入れはすごくあります。変身するのが普通だと思っていたのですが、違う現場に行くと皆にうらやましがられます」と語った。 また、2度目の共演となる、山本の印象に関しては、「1回目に増して美しくなっていて素敵だなと思いました」とベタ褒めし、山本が「え、なんで急にそういうこというの?」と恥ずかしがる場面もあった。 その後、山本は千葉のことを、「さらに格好良くなられて」と褒め返し、お互いに照れくさそうな表情に。その光景を見た観客からは歓声があがった。 また、会場では、作中の透視能力にちなみ、登壇者に「透視してみたいものは?」という質問が飛んだが、その質問になだぎは「とりあえず、同期の(千原)ジュニアの、嫁さんの顔が見たい。見たことがないから。あいつだけは結婚しないと思ったのに、連絡もなかった!」と答え、会場の笑いを誘った。(斎藤雅道)
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スポーツ 2015年10月19日 10時38分
ドラフト戦線異常アリ ポスト陽岱鋼か、ナンバー1投手か?日本ハムが悩む最終決断
北海道日本ハムファイターズのドラフトはブレない。その年のナンバー1選手、いちばん欲しいと思った選手を1位入札する。この方針に変わりないが、最終決断はドラフト当日になるかもしれない。 「高橋純平(県岐阜商)で決まりだと思っていました。ただ、今夏の甲子園大会中から、オコエ瑠偉(関東一高)を集中的に視察するようになって…」(ライバル球団スカウト) 日本ハムスカウトのなかに、高橋のいる県岐阜商に“精通”する者もいるという。高橋が全国ネームになる今春のセンバツ大会前、いや、一年生のころからその才能を知らされ、密着してきた。左太股の故障で夏の甲子園大会には出られなかったが、その才能は他11球団も認めている。 ところが、オコエ瑠偉が今夏の甲子園でブレイクし、日本ハムも迷い始めた。 「陽岱鋼がFA権を取得するのは16年シーズン中です。30歳を過ぎたらメジャー挑戦の目標を持っており、選手のピークを25歳から28歳に設定する日本ハムの見解からして、彼のメジャー挑戦を快く見送ると思われます」(プロ野球解説者) オコエをその陽岱鋼の後継者として、外野守備の中核を託したいのだろう。オコエのようなスター性も秘めたスピードプレーヤーは滅多に出ない。通常、ドラフトは「1位指名=即戦力か、将来の看板選手」として捉えられている。オコエが全国ネームにならなければ、4位以下での指名も可能だった。しかし、今では「入札での重複を嫌うチームの単独指名もあり得る」とされ、 「観客増を狙う千葉ロッテが即戦力投手を捨ててでも獲る」 との情報も流れている。 高橋指名にしても、重複は必至。そのとき、外れ1位の再入札でオコエが残っていなかったと仮定し、“一級品の外野手”を獲るならば、青学大の吉田正尚(右投左打)、慶大・谷田成吾(右投左打)、捕手もできる創価大・北川利生(右投右打)といった大学生の名前がコールされるかもしれない。 内野手では國學院大学の好内野手・柴田竜拓(右投左打)を高く評価している。山田正雄アマスカウト顧問は「守備はすぐ(一軍で)使える」とコメントしており、早大の三塁手・茂木栄五郎(右投左打)、立教大の遊撃手・大城滉二(右投右打)にも密着していた。大城に対しては、遠藤良平GM補佐が視察し、「固め打ちもできる」と称賛。大城は立教大最多の安打111本に並び(10月12日)、現役最多の36盗塁をマークしている(同時点)。 また、「捕手を獲る」との情報もある。日本ハムは育成が難しいとされる高校正捕手の指名にも積極的だが、昨年のドラフトで2人の高校生捕手を指名している。一学年しか違わない捕手を獲るのは考えにくい。捕手の育成にもっとも必要なのは経験(出場)である。そのことを考えると、社会人の木下拓哉(右投右打/トヨタ自動車=24)、戸柱恭孝(右投左打/NTT西日本=25)の即戦力系を狙ってくるのではないだろうか。 「下位で残っていれば」の条件付きになるが、日大三島の好投手・小澤怜史(右投左打)、センバツV投手の平沼翔太(敦賀気比/右投左打)にも熱視線を送っていた。 平沼だが、数球団が「打者で指名したい」と話していた。夏の甲子園後の国体で、平沼は『4番・遊撃』で出場。本人は「投手、野手のどちらでもいい」という言い方だったが、柴田、大城の大学生遊撃手の指名に失敗した際、この平沼を指名してくるだろう。高校生遊撃手としてトップレベルにある平沢大河(右投左打/仙台育英)は上位で確実に消える。そうなると、平沼を育ててみたいと考えるのが、育成に定評を持つ日ハムの発想である。もっとも、2人目の二刀流はないと思うが…。
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社会 2015年10月18日 16時00分
サウジアラビアの10倍の原油が眠る「第7鉱区」 日本の領有権を無視する韓国・中国「ハイエナ資源戦争」(2)
この間隙を突いて“強欲国家”中国が、この地域の領有権を主張し始めている。現在の中韓関係から言って、両者がタッグを組んで日本を排斥することは十分考えられる。 「そもそも竹島や尖閣諸島同様、日韓大陸棚にあるエネルギー資源を発見したのは日本人です。東シナ海の大陸棚にある石油資源は、膨大な埋蔵量に達しているのではないかと予想し、日本政府に調査を勧めたのは東京水産大学(現東京海洋大学)の新野弘教授でした。しかし当時の日本政府は海洋資源や領土問題に関心がなく、要望が受け入れられなかったことから、1968年に米国ウッズホール海洋研究所と共同で、米海軍海洋研究部の支援の下、教授自ら黄海や東シナ海での調査を行ったのです。結果的に石油資源の潜在ポテンシャルが高いと報告されたことから、にわかに沿岸諸国が強い関心を示し始め、紛争回避のために締結されたのが日韓大陸棚協定です。両国の共同開発区域は第5、第7、および第8小区域で計6坑の試掘は終了しているのですが、採算性が低いという理由から探査は中断されたままです」(経済産業省関係筋) こうした歴史的な事実を知りつつも、韓国は日本が探査を中断したのは'80年代後半であることから類推し、「ICJの下した中間線論理の発効時期と日本政府の採算性が低いという理由で探査を先送りした時期が重なっており、日本はこのまま何もせずに2028年の“期限”を待って単独領有権を確保するのが狙いだ」と、いつもの日本悪玉論を主張しているのである。 国際政治を突き動かしているのは経済競争であり、産業の基礎となる重要資源へのアクセスをめぐる競争も激化している。さらにやっかいなのは、資源の多くが日韓大陸棚のように、隣国が競い合っている地域、あるいは恒常的に不安定な地域に存在することだ。また資源は、エネルギーだけではなく漁業、水や森林など多岐に及ぶ。 「アジアの資源紛争海域、地域を俯瞰すれば、南シナ海のほか東シナ海の日本の周辺海域においても、日本の領海やEEZにおける外国漁船による違法な漁獲活動や海保に対する公務執行妨害が日常的に起きています。特に中国の横暴は目に余ります。尖閣諸島などを含む東シナ海の境界未画定の海域における海底資源の探査・開発、日本のEEZ内での中国政府の海監総隊による事前通報のない海洋の科学的調査など、居丈高な“侵犯”が頻発しており、日本の海上法執行機関である海保などは疲弊しきっているのです」(海保関係者) 日本の権益を守るはずの国連海洋法条約は「武力による威嚇または武力の行使」を禁止しているが、締約国(中国)が領海、接続水域、EEZ、公海の各海域において、海域調査や漁民の保護など自国の執行管轄権を行使することは許されている。こうしたことから東アジアでは、今や韓国を従えた格好の中国の“やりたい放題”が続いているのだ。 すでに中韓あるいはロシアに対して、日本が単独で対峙できない情勢にあるのは火を見るより明らか。にもかかわらず、政府の安保法制に対して「説明が不十分」とする割合が、成立後の今も80%に達している。外交的配慮から具体的なこと、要は“中国脅威論”を説明できていないからだ。 国民理解を得るため、安倍首相が「安全保障環境がますます厳しさを増す中で…」などと抽象的な決まり文句を繰り返しているうち、『第7鉱区』のガス油田掘削プラットホームに“太極旗”と“五星紅旗”がはためくかもしれない。
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スポーツ 2015年10月18日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー 〈決死の金網ギロチンダイブ〉 ブルvsアジャの“悪役頂上決戦”
パイルドライバーともパワーボムともつかない角度で、後頭部からマットに打ちつけられたアジャ・コングの首がグニャリと曲がった。大の字にのびたその姿を見やり、ブル中野は金網のフェンスに手をかける。 1990年11月14日、横浜文化体育館での金網デスマッチ。ゆっくりとその頂点まで上ったブルがリングを振り返ると、アジャはまだリングに仰向けのままだった。フェンスをまたいで場外へ脱出すれば、ブルの勝利が決まる。 しかしブルは、それまでの激闘のダメージでふらつきながらも、フェンスの最上段に立った。そして、ブルの勝利を確信して歓声を送る観客の意に反し、リングの中へと体を向けた。胸の前でゆっくりと合掌するブル。その表情は遠目にも固く強張っていた。 次の瞬間、100キロを超えるブルの巨体が宙を舞う。約4メートルの高さからのギロチンドロップは、アジャを完全KOしたのと同時に、長年にわたる女子プロレスの歴史に新たな地平を切り開く一撃となった。 「そもそもブルとアジャは、ヒール(悪役)ユニットの『獄門党』から袂を分かったもので、ヒール対決がビッグマッチのメーンを張るというのは、過去になかった。それが満員の観客を集め、話題となったことで、以後の女子プロレス界の流れが変わっていきました」(スポーツ紙記者) ベビーフェース(善玉)とヒールの間に、確固たる線引きがあったままなら、以後の団体対抗戦でも焦点がぼやけて、盛り上がりに欠けていたかもしれない。 「ベビーとヒールの区分けがあいまいになったことで、選手の評価基準が男子と同様に“強さ”へと移ることになりました」(同) 以前にも、ジャガー横田やデビル雅美など強さを売りにした女子レスラーはいたが、それはベビー側の敵役としてのもの。絶対的な強さを誇る王者やヒール役に挑む、可憐なベビーフェースという枠組みがあってのことだった。 「クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)は格闘技的な強さも人気の要因でしたが、あくまでも主軸はダンプ松本率いる極悪同盟との抗争。キックなどを多用したのは、当時のUWF人気にあやかったものでした」(同) また、ブルの金網ギロチンダイブ以降は、女子プロレスの観客席の様子も変わり、男性客が目立ち始めた。それまでは、女性ファンがリング上の憧れのスターに声援を送る、言うなれば“肉体版タカラヅカ”の世界だったものが、「女子はこんなにすごいことをやっているのか」と、広くプロレスファン全体に知られることになったのだ。 「力道山が嫌ったことから、長い間、女子プロレスをタブー視する傾向が紙媒体にはあって、ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)やクラッシュギャルズの全盛期でも、恒常的に報じているのはデイリースポーツぐらいでした。ところが、次第に専門誌も女子を大きく取り上げるようになり、2回目の金網ギロチンは『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)の表紙にまでなった。それが男性ファンにとって、女子の会場へ行くことへの免罪符にもなった」(同) そしてもう一つの変化が、選手の引退時期である。女子プロレスの基準が強さを競う闘いとなったことで、それまでの25歳定年制というしきたりの意味は薄れ、強い選手はそのままリングに上がり続ければ良いという意識が、選手の間にも広がっていった。 実際のところ、ブルも所属していた全日本女子から何度も引退勧告を受けたというが、それを拒んで“女帝”としてリングに上がり続けた。 '92年11月、アジャに敗れてWWWAの赤いベルトを手放してからは、米国のWWF(現WWE)に転戦し、現地の女子王座も獲得。帰国後には神取忍とのチェーンデスマッチで勝利を飾り、'97年に左ヒザの故障で引退するまで、ヒールの枠を越えた存在として君臨した。 一方のアジャも45歳となった今なお、こちらもまたヒールを越えたレジェンド・レスラーとして広く活躍を続けている。
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社会 2015年10月18日 14時00分
達人政治家の処世の極意 第二十一回「石田博英」
勝負することはつらい。誤解、誹謗、孤独、必ず来る。私はこの孤独に惹かれているのだ。 常に決断力が要求される政治家は、ある意味、誰もが勝負師と言っていい。しかし、国会議員在任中に大勝負を打てる政治家はザラにはいない。そうした中で、一世一代の大勝負を打ち、戦後政治史に一頁を残したのが石田博英であった。博英は「ヒロヒデ」と読むが、その“博才”から「バクエイ」で定着していた。 石田の大勝負は、昭和31年12月の自民党総裁公選にあった。時の立候補者は岸信介(安倍晋三首相の祖父)、石井光次郎(後に衆院議長)、そして石田らが推した石橋湛山の3人であった。石橋は第2次大戦中の軍閥官僚による言論統制下にありながら東洋経済新報社社長として一貫して自由主義の立場を守った言論人で、戦後、追放されたが解除後に政界入りした。石田は党人派として吉田茂元首相の流れを汲む官僚政治家への反発と、石橋のその気骨に心酔していたということだった。 戦前予想は「岸優勢」だったが、石田の度胸と知謀により決戦投票でわずか7票差で石橋が「奇跡の大逆転」で岸を破り、首相の座に就いた。時に、石田は渾身の一手を連発したのだった。 決戦投票での勝敗は、第1回投票で脱落した石井の票をどう取り込むかにかかっていた。石田は、岸陣営が決戦投票では石井票はわが方に来ると楽観していたのを尻目に、その裏で票のブン取り工作に腐心、石井票の多数に石橋支持を取り付けていたのだった。しかし、実際は確実にその票が入るかはフタを開けてみなければ分からなかった。 集計結果は岸251票、石橋250票と、わずか1票差で岸の勝ちだったが、その後、何と未集計票が8票出て来たのである。選挙管理委員でもあった石田のヒラメキが、ここで出た。岸支持の総裁公選議長に、「この際、休憩としたらどうか」と囁きを入れたのだった。未集計票を知らぬ議長は、石田が石橋の負けを見越してのそれだと直感、「休憩はしない」と断言した。議長は、岸251票での勝利を確信していたのである。 ところが、その後、未集計の8票が明らかにされ、その票はすべて石橋票であった。当時を取材した政治部記者の証言が残っている。 「仮に休憩していたら、その間に未集計の8票が握りつぶされる可能性があった。ここが、石田の勝負師のゆえんだった。一発勝負の場だ。石田は負けを覚悟したように議長に休憩を要請、議長にノーを言わせたことで未集計票がすぐ出るハメになった。石田はその後、言っていた。『休憩を議長がのんだら石橋の勝利はなかった。さすがのオレも心臓の鼓動が高まったが、議長が休憩はノーと言ったところで勝利を確信した』と」 石田はこの「奇跡の大逆転」の石橋内閣で晴れて官房長官になり、その後の内閣では5回も労働大臣を務めた。一貫した攻めの姿勢で「石田労政」の名を残した。 その石田は、一方で「自由人」でもあった。趣味、遊びは、麻雀、オンナ、絵の収集、バラづくり。さらには政界入り前は日本経済新聞の前身の中外商業新聞記者だったこともあり、随筆の著作など多彩であった。 オンナは銀座で盛名をはせたが、シッポをつかまれることはなかった。麻雀は政界一の強さで知られており、「オレはスエズ運河以東で一番強い。もっとも西の方の人とはまだ手合わせはしていないが」と「世界一」を自負していた。オンナも麻雀も、ナカナカの勝負師だったのだ。 そうした中で、この勝負師の心情が表われているのが、石田の著作、あるいは筆者が直接インタビューした表記の言葉となっている。随筆集『勝負の孤独』では、次のように続けている。「(勝負師は)独りで責任を負う。自分だけが(勝負を懸ける)正しさを知っている。自分の企図が成功した時、かえって深く孤独感が身に染みるのだ」 政治家に限らず組織にいる人間は、もとよりその司、司で決断力を要求される。その重い決断が正しかったにせよ間違っていたにせよ、ある種の徒労感が付いて回る。徒労感は、孤独感に通じる。その孤独感を楽しめるのも、また勝負師の特権でもある。孤独感は、誰でも楽しめるものではないということである。 石田はその後、佐藤栄作首相の「3選」時の総裁選で対抗馬に三木武夫を担ぎ、佐藤の参謀格だった田中角栄の腕力の前に敗退した。「カクエイVSバクエイの知恵比べ」と言われた。敗軍の参謀・石田は言っていた。「一世一代の仕事は、二度やれと言ってもそれは無理だ。人間、本当の勝負は一生に一度しかできないものなのだ」と。=敬称略=■石田博英=岸、池田、佐藤、福田内閣で労働大臣を務めたほか、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16、17代)、衆議院議院運営委員長(第6代)などを歴任。あだ名は「バクエイ」(博英の音読み)。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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その他 2015年10月18日 12時00分
「うどん県」香川の魅力6 同県ならではの発想「うどんに合う酒」
香川県は、最近「うどんに合う酒」というものを研究している。実は、香川は四国でも有名な米どころであるのにも関わらず、これまで、同じ四国の高知県などに比べると、日本酒のPRに苦戦していた。そういった経緯もあり、県内の食文化であるうどんと関連させた方法で、香川産日本酒の情報を、全国発信すべく取り組んでいる。 13年8月頃から、西野金陵(高松市)、綾菊酒造(綾川町)、森國酒造(小豆島町)の3社協力による、うどんに合う新しい日本酒の開発に乗り出し、去年の3月に、「金陵 うどんに合う酒 純米」、「【綾菊酒造(株)】うどんに合う酒」、「うどんに合う酒 森國酒造」と3種類の「うどんに合う酒」が完成した。 三矢昌洋香川県観光協会会長や、「うどんに合う酒を考える会」の関係者の話によると、そば屋で日本酒を飲む際の習慣にヒントを得て、うどんを食べる前などに、さっぱり飲める酒を想定しているそう。その際に重要になってくるのが、うどんとの相性の良さを保ちつつも、だしの味に負けないことということで、3つの日本酒はそれぞれ、辛口か、やや辛口となっている。 3種類とも、同じコンセプトで生まれたが、それぞれ目指す方向性は違っている。「金陵 うどんに合う酒 純米」は味に厚み(濃味)が出る山廃仕込を採用。「【綾菊酒造(株)】うどんに合う酒 純米」はキレを重視しており、まるで焼酎の様にスッキリとした後味が大きな特長となっている。「うどんに合う酒 森國酒造」は旨味がしっかり乗った酒に仕上がっており、上記2種類の酒を飲み、さらにうどんを食べた後の、締めの酒としても適している。 ちなみに、「うどんに合う酒を考える会」では、さぬきうどんに日本茶を加えた「酒に合ううどん」も開発している。その相性の良さは、県とのコラボ企画で、香川県訪問撮影旅行に訪れていた「東京カメラガールズ」のメンバーも、県関係者との懇親会などで、太鼓判を押していた。 以上6回に渡り、香川県の魅力を紹介した。他にも山間部の歴史ある寺院や、魅力のある場所が沢山なので、ぜひ自ら足を運んで、うどん県香川の魅力を感じてもらいたい。(斎藤雅道)
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芸能 2015年10月18日 12時00分
アニメ界に激震! 『サザエさん』声優争奪戦が勃発
『サザエさん』(フジテレビ系)の声優のポジションを巡り、芸能界で争奪戦が勃発しているという。 「『サザエさん』といえば、昭和44年にテレビスタートして以来、46年間、国民に愛され続けている長寿アニメ番組です。ただ、その反面、長い年月の放送だけに、声優さんもお齢を召している人ばかりなのは否めません」(テレビ記者) つい最近も、46年間、磯野フネ役を務めてきた声優の麻生美代子(89)の勇退を機に、劇団昴所属の女優兼声優である寺内よりえ(62)の抜擢が発表されたばかり。実は『サザエさん』の磯野&フグ田家の声優陣は放送開始以来、代わっていないのはサザエ役の加藤みどりと、タラオ役の貴家堂子の2人のみ。その他の声優陣は、高齢化やマンネリを理由に地味にリニューアルを繰り返してきたのだ。 しかし、その声優陣に対し、いまだかつてない大きな変革の波が押し寄せているという。 「アニメ界の主流は、声優にはテレビでお馴染みの芸能人を起用すること。スタジオジブリがやった演出手法が主流になっているんです。しかし、『サザエさん』だけはその流れに逆らい、生粋の声優さんのみにこだわってきました」(テレビアニメ関係者) ところが、ここに来て『サザエさん』の声優陣に一挙、リニューアル案が持ち上がっているという。 「オールキャストを、誰もが知っている女優や俳優、芸人にし、今まで以上に高視聴率を狙う編成戦略です」(同) この話を聞きつけ、が然、盛り上がりを見せているのがテレビの仕事が先細り状態になっているお笑い芸人や俳優やアイドルたちだ。 「アニメの声優がオイシイのは今や常識です。テレビは拘束時間によってギャラが細分化されるが、声優は1行でもセリフがあれば1本の仕事としてみなされるんです。ゴールデン帯で放送されるアニメのギャラは脇役でも1本最低10万円〜。中堅クラスになれば最低50万円〜が約束されます。山田康雄から『ルパン三世』役を引き継いだ物まね芸人の栗田貫一を見れば分かるでしょう。彼の年収は、億超えですからね。あわよくば私が、自分がと、次のサザエポストを狙っている芸能人は、ゴマンといますよ」(芸能関係者) 声優業も実に世知辛い世界になったものだ。
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レジャー
GI菊花賞確信 3冠 サムソン ディ-プと対照的な雑草馬が史上7頭目の快挙へ サムソンの競馬さえしてくれば自ずと結果は出る
2006年10月16日 15時00分
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GI秋華賞 藍子 キス&キッス軸
2006年10月14日 15時00分
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確定GI秋華賞 アドマイヤキッス激変
2006年10月13日 15時00分
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みのもんた 参院選出馬!?
2006年10月12日 15時00分
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GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
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GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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1980年09月26日 22時06分
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1970年09月27日 12時20分
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1970年09月26日 22時43分
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1970年09月26日 22時28分
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1970年09月26日 22時10分