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芸能 2014年10月09日 11時45分
あら-1グランプリ2014でハリウッドザコシショウが優勝
真のあらびき芸人を決定するパフォーマンスコンテスト「あら-1グランプリ2014」のファイナルラウンドが8日、吉本興業のソーシャルプラットフォーム「YNN」で無料生配信され、優勝したハリウッドザコシショウが電話で「初回から出ていたかいがあります」と喜びを語った。 また、「ナマイキ!あらびき団」は同グランプリをもって最終回となったが、東野幸治は、7年間で印象に残っている人として、はるな愛の名前を挙げ、「国民に愛されたわけですから」と振り返った。(竹内みちまろ)
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芸能 2014年10月09日 11時45分
AKB48川栄李奈が4か月半ぶりに劇場公演に復帰
アイドルグループ、AKB48川栄李奈(19)が8日、4か月半ぶりに東京・秋葉原にあるAKB48劇場の公演に復帰した。 川栄は、「4か月半、本当にみなさんをお待たせしてしまったんですが、きょうから劇場復帰ということで、たくさんの声援を頂きました」と喜びを語った。また総監督の高橋みなみは、「本当にみなさまお待ちいただきありがとうございました。私たちチームAのメンバーも川栄がこのステージに戻ってきてくれてうれしく思っています」とコメントした。
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芸能 2014年10月09日 11時45分
SHOGO 石井あみと再婚「元奥さんとの良き関係性も理解してくれる」
2010年から活動休止しているロックバンド・175RのボーカルSHOGOが、女優の石井あみと今年の春に再婚していたことを9日、175Rの公式サイトで発表した。 「本日、一部報道にもありましたが予てより交際しておりました石井あみさんと入籍致しました。と言っても、今年の春に入籍しておりまして…報告が遅くなり申し訳ありません」とファンに謝罪し、「彼女とは長い間友人だった事もあり、息子や元奥さんとの良き関係性も理解してくれる本当に素敵で明るい女性です」とコメントした。 一方の石井もブログで「この度、175RのSHOGOさんと入籍しましたことをご報告させていただきます。といっても入籍したのは今年3月です。結婚式を終えてからこの場でご報告したいと思っておりましたが、そうもいかないのがこの世界。前後してしまい、ごめんなさい。彼と知り合ってから10年ぐらいが経ちますが、いい感じにおばさんになった今年、なんとも自然な流れで結婚しました」と報告した。 2004年、SHOGOはSPEEDの今井絵理子と結婚し、同年10月に長男が誕生。しかし、2007年9月に離婚した。
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スポーツ 2014年10月09日 11時45分
ドラフト戦線異常アリ! 2014年のキーワードは「外れ1位」(巨人編)
10月1日、巨人はスカウト報告会議を開き、一部メディアに1位指名候補を「12人まで絞り込んだ」旨を明かした。同時に急浮上してきたのが「巨人の1位は高校生投手よりも大学生投手」の声だ。 「安楽智大投手(済美)に対し、かなり熱心な視察を続けていました。現時点で見て、高校生投手で1位指名される可能性が高いのは(入札)、安楽、高橋光成(前橋育英)、松本裕樹(盛岡大付)の3人。昨夏の甲子園優勝投手でもある高橋は、今年は春も夏も甲子園に出ていませんが、『18-U日本代表』ではエースとして好投し、かつ練習試合でも大学生をキリキリ舞いさせています。どのチームも、高橋、安楽で一番人気を争っている状態」(在京球団スカウト) 安楽の評価だが、巨人以外にも、日本ハム、阪神、DeNAなどが熱心に追い掛けてきたという。 安楽は右肘を故障した。今夏、復活マウンドに上がったが、昨春の甲子園大会で772球を投げて以降、精彩を欠いている。悲観的な見方をする甲子園ファンも少なくないが、今も12球団の「1位候補リスト」から消えていないのである。プロのスカウト陣が故障の後遺症を払拭できない安楽を高評価する理由は、「エースの風格を兼ね備えた逸材」(前出・同)だからだという。 こうした安楽への評価を踏まえた上で考えると、大学生投手(=即戦力)の1位指名を優先に考え始めた巨人は、“特殊なドラフト”に臨むとも見ていいだろう。 「巨人の外れ1位と目されているのが、野手です。高校生、大学生の両方に候補がいるようですね」(ライバル球団職員) 高校生の候補は、岡本和真(智弁学園)。大学生は「無名中の無名」と言っていいだろう。中部学院大の野間峻祥である。野間は俊足強肩の外野手。打撃センスは「トップレベル」とのことだが、東海地区大学野球連盟の岐阜県リーグで戦っており、データは“地方の成績のみ”となる。中央と地方のレベル差はなくなりつつあるが、大学野球の代表にも招集されたこともないため、野間の外れ1位情報にはちょっと驚きである。 巨人と野間の“接点”はあった。去る8月24日、東海地区大学野球連盟・選抜チームとプロ・アマ交流戦を行っている。野間は「4番中堅」で出場し、2安打を放っている。 「その2安打は三塁打と二塁打。打撃センスはスカウトの報告通りでした。三塁を果敢に奪う積極的な姿勢、四球後の盗塁を見て、脚力もプロで通用すると判断したようです」(前出・在京スカウト) 岡本の打撃センスは甲子園大会でも証明済み。今年のセンバツ大会では「1試合2本」のアーチを放つなど、天性のホームランバッターの素質を持っている。 野間、岡本はタイプが異なる。野間は俊足の左バッター、岡本は右の長距離砲だ。昨年のドラフト会議では捕手・小林誠司を1位指名した。石川歩(現千葉ロッテ)の抽選に失敗したとはいえ、2年連続での野手指名になれば、内海、杉内の年齢的衰えによる先発スタッフのレベルダウンを補えない。岡本は守備に難があり、「プロでは一塁しか守れない」と評するスカウトもいた。 「投手が打席に立つセ・リーグは犠打のサインが細かく、一塁手の守備を重要視します」(プロ野球解説者) 10月のスカウト会議で、巨人は1位候補リストの筆頭に早大・有原航平投手を挙げたとの情報も交錯している。有原も今年に入ってから右筋の違和感を訴えており、変化球主体の不本意なピッチングが続いている。 そんな有原に対し、「変化球でアウトが取れる投球術もある」「これだけ投げられれば…」と改めて高評価をするスカウトと、「球速は戻りつつあるが、もう少し様子を見たい」と慎重論を促すチームもあった(9月28日秋季リーグ戦 対明大)。 翌日のスポーツ新聞を見ると、巨人担当スカウトは高評価した側だが…。 本命は故障を抱え、外れ1位は左のスピードプレーヤーか、右の長距離砲。最終決断は10月23日の当日午前中にくだされるが、これだけ違うタイプの選手が挙がるとは、1位候補の絞り込みに苦戦しているのではないだろうか。
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社会 2014年10月09日 11時45分
新潟の中学教諭がコインランドリーで女性の下着盗む
新潟県警長岡署は10月6日、コインランドリーで女性の下着を盗んだとして、窃盗の疑いで、長岡市立堤岡中学校の男性教諭(51=同市下々条町)を逮捕した。 逮捕容疑は、8月下旬、同市三和のコインランドリーで、30代女性の下着4点(約4000円相当)を盗んだ疑い。 調べに対し、教諭は「忘れ物の置き場から持ってきて、車の中に入れていただけ。盗んでいない」と苦しい弁明をしているという。 教諭は9月4日、同じコインランドリーで、同様の手口で、40代女性の下着を盗もうとしたとして、窃盗未遂の疑いで、翌5日に逮捕された。 教諭が洗濯機を開けて、下着を物色しているところを女性に見つかって、もみ合いになり、巡回中の警察官が取り押さえた。 その際も、教諭は下着などを触っていたことは認めたが、「盗むつもりはなかった」と一部容疑を否認をしていた。 当時、教諭は家庭の事情で、8月頃から車で寝泊まりをしていたが、その後の捜査で、車内から複数の下着が見つかっており、同署では余罪があるとみて調べていた。 窃盗未遂容疑については、長岡区検が「窃盗の犯意を認める証拠が不十分」として、9月25日付で不起訴処分(嫌疑不十分)としていた。 せっかく、不起訴となったのに、余罪で再び逮捕されてしまった教諭。さすがに、今回は逃げ切ることはできないか?(蔵元英二)
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芸能ネタ 2014年10月09日 00時00分
半井小絵 お天気キャスター&日銀出身の初ヌード写真集急浮上
かつて『NHKニュース7』で“午後7時28分の恋人”と呼ばれたお天気キャスター・半井小絵(41)の復活ヌード極秘交渉が進んでいるという。 関西学院大卒業後、日本銀行→日本気象協会を経た半井は、気象予報士の資格を持つことから'04年、同番組に出演開始した。 「癒やし系で清楚な笑顔と控え目な口調の独身・半井は、たちまち大人気。午後7時28分からの天気予報を見る視聴者が激増し、'06年の紅白歌合戦にも出場した。しかし'11年2月、メジャーリーガー・建山義紀(現阪神)との不倫疑惑が報じられたのです」(芸能記者) 半井側は不倫を否定したものの、直後の同年3月に『ニュース7』を降板。翌'12年には大手キャスター事務所に所属した。 「'12年には一時民放のバラエティー番組に出演しましたが、その後目立った芸能活動はなし。すっかり“あの人は今”状態になっていたのです」(同) そんな半井に最近、大きな動きがあった。今年7月、所属事務所を退社。さらに11月7日に、初写真集『雲の向こうへ』を発売することが発表されたのだ。 「写真集の詳細は公表されていませんが、セクシーグラドルのDVDや写真集を多数出している発売元なので、多少の露出は期待できそう」(芸能プロ関係者) また、早くも“半井ヌード争奪バトル”が勃発しているという。 「数社の関係者が半井との水面下交渉を狙っており、中には『乳首出しヌードで5000万円、ヘアまで出せば1億円』と息巻く脱がせ屋もいる。数年の沈黙を破って突然写真集を出すくらいだから、半井も復活に色気を見せているはず。実現すれば日銀出身初のヌードにもなる」(出版関係者) 早大大学院アジア太平洋研究科修士課程を修了している半井。当時から「脱いだらすごい」と評判だった。 「『ニュース7』は毎日、彼女のファッションショーでもありました。時にはおっぱいの谷間寸前まで露出した衣装で登場したこともある。紅白では両肩全開の超悩殺ドレスで登場し、水泳で鍛えていたこともあって、ファンの間ではEカップ巨乳として評判でした。最近でも9月に、海外の南国に行った際の胸元まで露出した自撮り写真をブログにアップした。四十路になり、さらに巨乳化している印象です」(同) 今度は“深夜の恋人”に。
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その他 2014年10月09日 00時00分
夏の疲れがまだ抜けない… 急増する“秋バテ”カンタン解消法(1)
秋風が漂う季節なのに、熱帯夜もあるし急激に温度が下がる日があるなど、温度差で体調管理も難しい。そのほとんどは睡眠不足や食欲不振などで、体が変調をきたし胃腸の機能も低下しやすい。 東京・多摩総合医療センターの総合内科担当医がこう説明する。 「“秋バテ”も一般用語になりました。今年も猛暑に見舞われたため、この時期に“秋バテ”で体調を崩す人が多い。夏は熱中症予防の水分補給で水分を多く摂るので胃液が薄まることもあるし、逆に脱水でも胃液の分泌が低下する。そのため、胃腸の機能低下で食欲がなくなり、食事内容がアッサリしたものばかりに偏りやすい。ビタミン、ミネラルなどの栄養不足も体調不良の原因になっています。秋に入った今こそ、体調をしっかりと立て直す必要があります」 とくにビタミンB1が不足すると疲れが溜まるので、豚肉やウナギ、大豆製品などを意識して多く摂った方がいいといわれる。だが、最も“秋バテ”の原因になりやすいのは、残暑がきつい日に冷房を使う室内と外気との温度差に体が適応できず、自律神経の働きが乱れる“冷房病”。これがこの季節まで続き、体のだるさ、無力感などさまざまな不定愁訴が現れる。 東京社会医療研究所の片岡剛正主任(医師)はこう説明する。 「比較的若い人ほど秋バテになりやすい、ともいわれます。それは幼いころから年中、快適な温度で過ごしてきた人たちで、体温調整機能が鍛えられていないため、秋になってから疲れ、バテを引き起こしやすい。体力が落ちた中高年者も同じで、室内外の温度差が7℃以上にならないように心掛ける必要があります。風邪も引きやすくなりますからね」 “自律神経の乱れ”と体調不良の因果関係はどいうものだろうか。 前出の総合内科担当医は「心臓を動かしたり発汗を促したり、血圧や胃腸などの体の働きは自分ではコントロールできません。この働きをつかさどっているのが、自律神経ということになります」と説明し、自律神経の観点から三つほど理由を挙げた。 一つは、「脱水」。夏に汗を多くかいているので、体は完全に脱水状態から抜け出せていない。そのため、自律神経のバランスが崩れやすい。 二つ目は、夏の間感じていた汗や湿度の不快感。秋になっても残暑日で同じような感覚を受けることがあるが、人間はちょっとした不快感がストレスになり、自律神経が乱れる。シャツや靴が合わないと、イラついたり気になるのと同じ。 三つ目は、前述したように温度差。エアコンの効いた室内と外気温の差が自律神経を乱す。また、季節の変わり目も同じように体調を崩すのは、気温の差で変調をきたすため。 医療関係者によると、自律神経には交感神経と副交感神経があり、大まかに言えば交感神経はクルマでいうアクセルで、副交感神経はブレーキの役割を果たすという。 交感神経が高まると心拍数が上がり、呼吸が浅く速くなって、体は緊張、興奮状態になる。副交感神経が働けば心拍数はゆっくりとなり血圧が下がってリラックスモードになるのだ。骨や肉などがハードウエアなら、自律神経はソフトウエア。つまり、ソフトウエアがうまく働かないと健康とは言えないわけだ。
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芸能ネタ 2014年10月09日 00時00分
プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(1)
イジメ撲滅をテーマにしたアメリカを代表する伝説的フォークグループ『ピーター・ポール&マリー』のメンバー、ピーター・ヤーロウのアルバム『決してあきらめないで』と、世界的合唱団『ウィーン少年合唱団』の『尊い人生』が静かなブームを呼んでいる。 この画期的ともいうべき2枚のアルバムをプロデュースしたのは、島倉千代子の『人生いろいろ』や天童よしみ『珍島物語』の音楽プロデュースを手掛けた山田廣作。スキンヘッドで髭面の一見コワモテに見える山田は、業界では“山田会長”と呼ばれ愛されている人物だ。 「イジメによる自殺のニュースが後を絶たない。子供たちが幸せな生活を送るためにはどうしたらいいか、と悩んでいるとき、チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世による“イジメ撲滅”の詩に出会った。その詩をアレンジ。レコード会社の尽力で世界的なアーティストによるアルバムが完成したんです」 常々、「歌はメッセージだ」と力説する山田は、鹿児島生まれ。父親が働く三池炭鉱のある大牟田市(福岡)で育った。 「僕は悪ガキで勉強も嫌いでしたが、歌だけはうまかった。小学校の頃から、大会に出て東海林太郎の曲を歌っていました。将来は歌手になる夢を持って東京に出てきたんです」 歌手を目指し上京した山田だったが、『日本著作権協会』(JASRAC)の社員募集広告が目に止まり「ここに入れば歌手になれる」と思って応募したという。 「当時、著作権協会の会長は『青い山脈』『蘇州夜曲』それに村田英雄さんの『王将』など数々のヒット曲を作詞した西條八十先生でした。面接のときに『君は赤とんぼを作曲した山田耕筰先生と同じ名前か』と面接官が笑いながら接したんで、受かるなと思いましたよ」 入社はしたものの、同協会は著作権を管理する組織で歌手の養成所ではなかった。山田は2年あまりで退社した。 「知人の紹介で作曲家の浜口庫之助さんのマネジャーになったことで、芸能界に足を踏み入れたんです」 浜口氏の歌謡界での通称は“ハマクラ天皇”。『黄色いさくらんぼ』『愛して愛して愛しちゃったのよ』『バラが咲いた』、石原裕次郎が歌った『夜霧よ今夜も有難う』など数々のヒット曲を生みだした大御所だ。 「いつか僕の歌を聴いてもらえると思ったら、『今度、またな』とはぐらかしてばかり…。結局、ハマクラさんのところで覚えたのはゴルフだけ。先生がいない間にクラブを振って覚えたんです。その後、マネジャーを辞めて日本テレビに出入りしていたときに、作家の飯干晃一さんとバッタリ会ったんです」 飯干氏は読売新聞社会部記者を経て作家に転向。『山口組三代目』を執筆、映画化された東映の大ヒットシリーズ『仁義なき戦い』の作家としても有名だ。 「艶福家のハマクラさんは、大阪に好みの女性がいた関係で読売テレビ制作の『11PM』に出演していた。飯干さんもレギュラーだった縁で僕とも親しかったんです。飯干さんから『スポンサーを連れて来るから番組を作らないか』と誘いがあったんです」 山田のプロデュース人生の転機となった。
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芸能ネタ 2014年10月09日 00時00分
プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(2)
飯干氏の一言がきっかけで、山田は'73年に『歌まね合戦スターに挑戦!!』(日本テレビ)を誕生させた。 「司会は西川きよしさんと横山やすしさん。横山さんは、破天荒な性格でしたからね。トラブルを起こしたともありましたが、“スタチョン”は10年以上続きました」 その間、山田は出演した歌手のマネジャーたちと“ボンビー(=貧乏)会”を作ったという。 「ほとんどの人が引退してしまいましたが、野口五郎や内藤やす子のマネジャーらもメンバーでした。当時は金がありませんでしたが、“ボンビー会”でよく遊びました。みんな純粋であのころが一番楽しかった」 その一方で、山田は番組で輩出した男性アイドルグループ『アンデルセン』をデビューさせるために芸能プロ『ABCプロモーション』を設立した。 「ところが、売れた途端にメンバーの一人が結核になってしまいグループを解散したんです。そんなときでした。ジョニー野村とハリウッドのキャスティングプロデューサーを務める奈良橋陽子さんから『ゴダイゴをプロデュースしてくれないか』という依頼があって引き受けたんです」 ゴダイゴは、『西遊記』(日本テレビ)の主題歌『ガンダーラ』('78年)が爆発的大ヒット。次にリリースした『モンキー・マジック』『ビューティフル・ネーム』もヒットし、ゴダイゴはオリコン年間セールス1位に輝いた。 3年前に64歳で亡くなったロック歌手のジョー山中のレゲエのプロデュースも山田は買って出た。 「ジョーさんが歌う映画『人間の証明』('77年)の主題歌がヒットした直後、彼はクスリに手を出して逮捕され音楽活動休止に追い込まれた。ジョーさんがプロボクサーだったこともあって、当時の金平ジムの金平正紀会長から『ジョーの面倒をみてくれないか』と紹介された。ジョーさんが『レゲエをやりたい』と熱望したんで、本場のジャマイカまで行かせたんです」 筆者は山田からジョー山中を紹介され、自叙伝『証永遠のシャウト』を出版プロデュースした。彼の訃報を私に知らせくれたのも山田だった。 「ジョーさんは亡くなる前に僕に電話をかけてきて、出ない声を振り絞って『もしもし』と3回繰り返した。死ぬ前にお礼が言いたかったんだと思います。まじめで礼儀正しい男でした」 その後、山田は演歌歌手の大月みやこのプロデュースも依頼された。 「『大阪ごころ』から3曲。それが『女の港』('83年)の大ヒットにつながった」 島倉千代子を『人生いろいろ』('87年)で再起させたのも山田だった。 「この曲はTBS系ドラマ『三どしま』の主題歌だった。ハマクラさんが作曲し、『歌まね合戦スターに挑戦』審査員をやって仲良くなった作詞・作曲家の中山大三郎さんに作詞を頼んだのです」 中山氏が付けてきた歌のタイトルは『笑いばなしにして』だった。 「歌詞の内容は酒で憂さを晴らす女だったが、お千代さんは酒を飲めない。勝手に詩を変えて、歌のタイトルも『人生いろいろ』にした。その中山さんも9年前に64歳の若さで亡くなった。善い人は、なんで早く逝ってしまうんでしょう」
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スポーツ 2014年10月09日 00時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第40R 愛すべき無責任男〈ディック・マードック〉
昭和プロレスのファンで「ディック・マードックが嫌い」なんていう人はまずいないだろう。 とりわけ新日参戦時“リングインのときにタイツを引っ張られて半ケツ出し”などの陽気なアメリカンファイトは、選手大量離脱による沈滞ムードを一時的にも忘れさせてくれた。これにより新日が救われた部分は決して小さくなかったはずだ。 王者なんて堅苦しい肩書きはまっぴらご免。その日、試合後においしいビールが飲めればそれでいい。そんな巷間伝えられるマードックの主義信条は、植木等の無責任男や釣りバカ日誌の浜ちゃんにも通じるものがあり、そんなところも日本のファンから愛された理由だろう。 新日へ参戦していた当時にもかかわらず、馬場のところへ「一杯おごってくれよ」とちょくちょく顔を出していたとの逸話もある。潰すか潰されるかの興行戦争が繰り広げられるさなかにそんな“振る舞い”をやってのけるのは、大胆なのか能天気なのか。それでいて、どちらの団体からもとがめられなかったというのだから、レスラーに限らずここまで憎まれない人柄も珍しい。 そんなふうでありながら、一歩リングに踏み入れたときの職人気質は決して人後に落ちるものではなかった。 「何はさておき、正統派ブレーンバスターの使い手であったことは、マードックの人気の大きな要因でしょう。マットに座り込むようにして相手を脳天から落とす、そんな正式な型を伝承する姿にファンは“単なる乱暴者ではない本格派”のイメージを抱きました」(プロレスライター) 実際、試合となれば当時最強と目されたブルーザー・ブロディとも互角に渡り合うのだから、その実力は相当なものがあったとうかがえる。 「新日でのタッグパートナーだったマスクド・スーパースターは、まともにトレーニングなどしたことがないのにベンチプレスでは同等の重さを挙げる姿を見て“天才”とまで称しています。山本小鉄がアンドレ・ザ・ジャイアントと前田日明との不穏試合に触れて“本気で前田を潰すつもりならアンドレではなくマードックを行かせただろう”と語ったことも、その幻想への後押しとなりました」(同・ライター) だが、そんな好評の裏では、「大の黒人嫌い」だったとも伝えられている。 そうは言いながらも黄色人種である日本人に対しては、路地裏の焼き鳥屋にも独りで出向くほど親しみを持っていたのだから、決して白人至上主義というわけではない。 「マードックが黒人差別を掲げる秘密結社“KKK”のメンバーだった」というのはバッドニュース・アレンのインタビューの中などで語られているが、しかし新日においてはそのアレンともタッグを組んでいる。また「全日では馬場の配慮からあえて同じシリーズへの招聘を避けた」とされる因縁のアブドーラ・ザ・ブッチャーとも、新日のリングではシングル戦を行った。 「試合はブッチャーの凶器攻撃もあって両者血みどろにはなりましたが、あくまでもそれはプロレスの範疇のこと。ブッチャーがコーナー1段目からジャンプしてヘッドバットを放った際に距離が足りなかったのをマードックの方から受けに行ったり、またマードックがブッチャーを不完全ながらもブレーンバスターで投げたりもしていて、むしろ両者の息の合った好勝負といえるものでした」(プロレス記者) さてこれは「差別意識を上回るプロ意識を持っていたため」と見るべきなのか、それとも、もともといわれるような黒人差別主義者ではなかったということなのか−−。 疑問を解くためのヒントとなるのがその来歴である。 デビュー間もない'60年代後半にマードックがアメリカで主戦場としたのはミッドサウス地区。そこでブッカーを務めていたのは、人種差別主義者であることを公言してはばからないビル・ワットであった。 ということは、もしやマードックは自らの主義主張に関係なく、ワットに調子を合わせて「黒人嫌い」と言っていただけではなかったか。 鬼籍に入ったマードックにその真相を確かめるすべはないが、ここではこの「上役に適当に合わせていただけ」という説を採りたい。 その方が、無責任男マードックにはふさわしい。〈ディック・マードック〉 1946年、アメリカ・テキサス州出身。'65年『ファンク道場』に入門しプロレス入り。初来日は'68年の日本プロレス。以後、国際、全日、新日で活躍する。'89年FMW参戦以降はインディ団体にも出場している。'96年死去。享年49。
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