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芸能 2025年09月16日 11時00分
misono、家族について「マジで気持ち悪い家族」 「⼦ども⾃然にできると思っていたけど……」と不妊治療の再開、明かす
歌⼿でタレントの misono にリアルライブ編集部は単独インタビューを実施。後編では、炎上への対処や姉・倖⽥來未がどんな存在かなど話を聞いた。ーmisono さんといえば炎上することが多かったと思いますが、炎上した時、どう対処されてきましたか。都度落ち込んで、傷付いています。明るくて元気だから、強いと思われてそうですが。よくいつ会っても笑ってると⾔われるんですが、実際は傷付いています。17 歳から 40 歳まで芸能界にいて、⽣き残れるには強くないと無理だと思うんですよね。それこそ⾃殺されたり、引退される⽅も多いですし。だからよく、芸能界に染まらず、汚い世界でよく汚れなかったねと⾔われます。今話題になってる枕営業や性接待なんかも全く通っていません。そこは恵まれているし、運が良かったと思います。うそ付かずに思ったことをしゃべるので、その分叩かれやすいです。こんな世界で⽣き残れて、すっごいレアと⾔われるので、⾃信につながっています。今も炎上したらへこむし、もう⼆度としたくないと思っています。結局なんの対処もできていないんです。賢かったらもっとうまく⽣られるんじゃないですかね。でも、たびたび炎上してお騒がせしてしまうし、炎上すると思っていないから、投稿したり⾏動しているんですけど。そしたら意外に炎上して、毎回びっくりしています。いつも落ち込んだ後、でも悪いことしてないし、ってところにメンタルがいって、で、また繰り返しちゃうみたいな。相変わらずアホで、懲りないし、何回も同じミスします(笑)。ー⽴ち直りが早いのでしょうか。それとも気にしないのでしょうか。めっちゃ気にします。だから⾝近な⼈からはDMやコメント欄を開くな、エゴサをするな、SNSがヘタだって⾔われます。だから、⽴ち直りが早いというか、考え⽅を切り替えるのがうまいのかもしれないです。炎上しても周りを⾒たらこんなにも味⽅がいるやん。本当に嫌われてたらこんなにいい友達いないし、とかネガティブなくせに前向きになれます。確かに30歳までは性格も悪かったんですけど、今これだけ misono のために動いてくれる⼈がいる訳だから、そういう意味では無敵やんって思っています。人脈が唯⼀の武器かもしれないです。ー改めてお姉さんの倖⽥來未さんは misono さんにとってどんな存在ですか。神。お姉ちゃんが倖⽥來未ってめっちゃいいなと羨ましがられるのですが、倖⽥來未だから⼤変っていうのもあります。misono の誇りで、お姉ちゃんにとっては⾃慢の妹。「misono が妹で本当に良かった」と⾔ってくれてるけど、炎上クィーンって呼ばれたり、いったん芸能界から離れて選挙に出⾺しようとしたので、たくさん迷惑や⼼配させてると思います。お姉ちゃんもお姉ちゃんで⼤変な思いをしてると思うけど、お姉ちゃんがどこいっても misono さんにお世話になっていますって⾔われて、「すごいよね」って LINE がきたこともあります。「普通いない⼈のこと話題に出さないよ」って。いつも自分のことのように喜んでくれるからうれしいです。ウチもお姉ちゃんが倖⽥來未で良かったとつくづく思います。お姉ちゃんは、死ぬまで歌い続けたい、ファンが⼀⼈になっても歌い続けたいと⾔ってて、そこも真逆だなと思います。ウチは死ぬまで歌い続けたくないし、ファンが⼀⼈しかいないなら歌いたくない。A 型と B 型で、考え⽅も違います。だから良かったのかなって。お姉ちゃんは歌って踊る、misono はバンドみたいな感じでした。歌⼿⼀本でやる姉と、マルチタレントとしていろんなことをやる妹だったから2人とも消えずに⽣き残れたし、お互いリスペクトし合えてるんじゃないかと思います。褒め合うからマジで気持ち悪い家族やと思います(笑)。ー今後の仕事の展望、実現したいことを教えてください。実は不妊治療を再開しました。40 歳なのでしんどいですが、ずっと⼦どもが欲しいと思っていました。子どもが好きなので、保⺟さんになりたいと思ってた時期もあります。⼦ども⾷堂や子ども宅食に寄付してるのもそういう理由です。チャリティーやボランティア活動を始めたのも、親のいない⼦どもたちの施設にお邪魔したのがきっかけなんです。休みにファンイベントを⼊れてたら、疲れちゃってたんですが、動物だけじゃなくて子どもたちや福祉の施設を支援するようになって、続けててよかったな、明⽇から頑張ろう、と元気をもらえました。⼦どももすぐにできると思っていたら、中々できなくて。Nosukeが精巣ガンと分かった時、抗がん剤を⼊れるので自然に作っちゃいけなくなりました。そのときに、精⼦と卵⼦を凍結しといたんです。misonoとNosuke⼀度、めっちゃ仕事で忙しいときに不妊治療して、100 万円くらい無駄にしました。順調に育ってたんですが、最後の注射を打ち忘れてしまって。それで全部無駄にしちゃいました。そして今また実業家としてやっていきたくて本業のお仕事も落ち着いているのでもう一度不妊治療に挑戦しようと思いました。飲⾷店とエステサロンについては、2024年のうちに5店舗なくなってしまったのですが「⼈類みな麺類」と「のだ麺」とコラボしたラーメン屋さんからリニューアルオープンしていくことになったので、一気に大変になりましたが(笑)最強で最高の家族がついているので、本当に幸せ者です。炎上について、気にしていないのかと思っていたら、気にしたり落ち込んでたりもするようだ。普段の明るく元気な姿は、周りの人からのサポートと、それに対する感謝があるからだと語る。⼦どもに関しては、今度こそ新しい家族ができることを祈るばかり。動物たちも祝福してくれるだろう。
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社会 2025年09月07日 12時00分
沖縄戦、9月7日降伏調印 サンフランシスコ講和条約までアメリカ軍統治下に
1945年9月2日、戦艦ミズーリ号で連合国が日本政府と降伏調印式を行い、太平洋戦争は正式に終結。その2カ月以上前の6月23日、沖縄守備の第32軍司令官牛島満中将が自決して沖縄戦は事実上の終わりを迎えたこととなる。沖縄は島嶼県で宮古島に陸軍第28師団と2個旅団、石垣島に陸軍1個旅団と海軍部隊(先島集団軍)、奄美大島に1個旅団と海軍部隊が残っていた。沖縄を占領したアメリカ陸軍は、終戦後、宮古島に輸送機を差し向けて、第32軍で生存していた最高位の先島集団軍司令の第28師団長納見敏郎中将を呼び出して嘉手納基地内で9月7日に、降伏調印式を挙行した。降伏文書バックナー中将が糸満市で戦死した後にアメリカ第10軍の後任司令官となったスティウェル大将が主催して納見中将、奄美群島守備の陸軍高田利貞少将、海軍奄美群島司令官加藤唯雄少将が降伏文書にサインをして日本軍が正式に降伏、武装解除に進むことになる。降伏文書を見ると降伏の範囲が緯度経度で示され、北緯30度の十島村口之島以南、東経122度尖閣諸島から東など、第32軍の守備範囲と思われる地域が示されている。口之島から南の十島村の島々は1952年サンフランシスコ講和条約により日本に返還されるまでアメリカ軍の統治下に入った。尖閣については、アメリカは戦後の早い時期に島々の測量を行い実効支配の基礎を築いた。測量はアメリカ海軍が主体となって行い、1951年5万分の1の地図が作成されて、複写が沖縄県立図書館郷土資料室に保管されている。アメリカ政府は、施政権は日本にあるが、主権の帰属は未定との立場をとっている。少なくとも、アメリカ軍は尖閣諸島が琉球(沖縄)の範囲に含まれていると理解していたと言えないだろうか。中国、台湾に配慮して国益を重視する国際関係の冷酷さを垣間見ることができる。さて、降伏文書にサインした納見中将のその後である。納見中将は師団司令部のある宮古島に帰り、1945年12月13日野原越司令部の宿舎で毒を仰ぎ自決した。自決の原因については、納見中将が上海憲兵司令官当時の俘虜取り扱いからBC級戦犯に指定されたからとの記述がみられるが、加えて、陸軍のエリート軍人としての誇りが捕虜となることを避けたためとも思われる。米軍嘉手納基地には1964年に降伏式が行われた場所に記念碑が建立された。降伏碑取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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芸能 2025年08月29日 20時30分
「UNtoinette」磨童まさを「人生を表すと炎上」 メン地下の優位性は「稼げる」と断言 言動とは裏腹に世界観を壊さない圧巻のパフォーマンス
アイドルグループ・UNtoinetteのメンバーで、プロデューサーでもある磨童まさを。メンズ地下アイドルになったきっかけや、地下アイドルの優位性、元ジャニーズにいた経歴などについて話を聞いた。ーメンズアイドルになったきっかけを教えてください。バンドやっていたんですが、友人の紹介で始めたという感じです。自分でプロデュースしてみたいと思いました。ー衣装も世界観が表れていて、凝ってるなと感じました。マリー・アントワネットをコンセプトにした世界観があるようにしています。分かりやすくいうと「MALICE MIZER」みたいなフランスの貴族のようなアイドルですね。UNtoinette Seesionーメーク時間もかかりそうですね。1時間から2時間かかってます。プロのメークやスタイリストがやってくれています。普通の地下アイドルグループはそこまでしないです。うちはちゃんとやってもらっています。ーメディアの露出が多いいわゆる地上のアイドルと比べて、地下の優位性はありますか。はっきり言いますと、地下の方が稼げます。地上はほぼ事務所に取られます。自分でプロデュースしているので100%収入になります。その分、制作しないといけないんですが、地下の方が稼げます。地下アイドルってバイト感覚でやってる人が多くて、アイドルを目指すより、稼ぎたいという人が多いです。一時期メン地下ブームがあったんですが、どんな子でも、サラリーマンの初任給を軽く超えてしまう。稼いでる人だと月200~300万円です。―収入源はチェキと聞きますが、本当でしょうか。チェキ産業といわれていて、原価が1枚二桁とかですが、1000円とか1500円で売れます。ー現在、チェキが買えないという話も聞きますが。中国人が買い占めていて、僕たちも入手に苦労しています。昔はヨドバシカメラや電器店で売っていたんですが。仕方がないので転売で買ったり、よそのグループからもらったりします。UNtoinetteーライブの意気込みはいかがですか。僕は天下を取ろうとしか思っていないので、意気込みなんかないです。―天下というのは、地下に限った話でしょうか。いえ、さっさと地下から上がりたいです。うちのグループは地下受けが悪くて。地下にいるけど、クオリティーは高いので。物販や接触やキスみたいなチェキ販売はやりません。アイドルとして見てほしいです。僕が作っているんですが、音楽もこだわっています。地下のファンって音楽を聞かなくて、推ししか見ていないんですよ。僕はグループ全体のコンセプトを好きになってくれるファンを増やしたくて、地上を目指しています。地下のてっぺんを取らないと地上に行けないので、地下のてっぺんを目指します。今いる地下の界隈は露出が少ないので、露出を増やさないと知ってもらう機会が少ないです。TikTokやXで万バズさせる必要があって。うちって定期的にバズっています。メディア出演して、露出を増やしたいです。UNtoinetteージャニーズにいらっしゃったとお聞きしたのですが、辞めた理由を聞いてもいいでしょうか。バンドマンになりたかったからです。それで一時期炎上系のビジュアルバンドをやっていました。人の曲をパクってやっていました。コンセプトが「曲を盗む」でした。「怪盗戦隊ヌスムンジャー」ってバンドで。炎上もよくしていました(笑)僕、炎上が好きで。僕の人生を二文字で表すと「炎上」です(笑)。―曲を盗むというとコピーとは違うのでしょうか。オマージュではなく、面白おかしくしています。元の曲を面白く分かりやすく、パロディーにします。それをやるとバズるんです。XやYouTubeでやっていました。でも、事務所に怒られて、裁判沙汰にもなりかけました。なんだかんだとちょいちょい成功しています。ーヌスムンジャ―を辞めた理由は。僕以外みんな脱退しちゃったからです(笑)。ージャニーズではバンドは難しかったんでしょうか。アイドルなんで、難しいですね。僕はビジュアル系バンドが好きなんで。だから、ヌスムンジャ―ではビジュアル系をパロディーしてました。ー盗むというかパロディーにする基準は何かありましたか。バズるかバズらないか。なるべく人気のところでしたね。UNtoinetteー大きな挫折をした際、どのように立ち直られてきましたか。挫折はないですね。自分は無敵だと思っています。メンタルが強いんです。僕の頭の中には「出世」しかないです。地位と名誉と権力が欲しいしか言わないです。付き合っていた時も「愛じゃなくて地位と名誉が欲しい」といっていました(笑)。ーバズったときの反響はインプレッションや再生回数以外に、何か別の形で現れますか。ライブの客が増えます。何回もバズっているので、これくらいの客が来るというのが体感で分かるようになりました。大体バズったあと3カ月後に客がきます。バズってから3カ月までいろいろ調べるんですよ。人によってはバズった直後にも来るんですが、大体増えるのは3カ月後です。ーUNtoinetteにはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。一般人が多いです。アイドルを知らない、アイドルに興味ない方々です。お金もあまり使わないし。いわゆる“ザ・オタク”はお金を使ってくれるんですが、うちにはいろいろなジャンルから来られています。逆に、オタクは少ないです。ー一般の方に届くのがすごいですね。地下にいたくないので、大衆受けするコンテンツを重視しています。メン地下ファンではなく、大衆受けするようにしています。ーテレビも見据えているということでしょうか。テレビも出たいけど、僕が炎上系なので多分出られないです(笑)。ーアイドルとしての野望はありますか。野望って言うのかな。将来的にはアイドルだけで終わりたくなくて、政治家をめざしています。へずまりゅうも迷惑系から政治家になりました。インフルエンサーでフォロワー数が多かったから当選したんです。僕もゆくゆくは出馬したくて。政治家になったら、メン地下の運営を取り締まる活動をしたいです。メン地下って10代の女の子が推しを優先しちゃうんです。それってよくないじゃないですか。まず、自分が第一で、それができて推し活です。そういうのが分かってない女の子が多いです。正しい推し活のやり方を知ってほしくて取り締まります。女の子に健康的に生きてほしいので。楽屋のオフショットー今後の展望を教えてください。2周年を迎え、僕だけお休みしていないので、しばらくプロデュースに専念したいと思っています。メークや衣装はもちろん、楽曲や振り付けのこだわりから分かるように、クオリティーは地上と比べてもそん色ない。バズり方を考えれば、もっと注目を集めてもおかしくない気もする。何度もバズっているとのことなので、いつの間にか一般的な認知度も大きくなるかもしれない。ライブ会場は、最大600人収容できる。フロアは多数のファンが詰めかけいて、ほぼ埋め尽くされていた。ライブも見学したが、圧巻のパフォーマンスに度肝を抜かれた。独特の世界観とそれを表現する衣装、メーク、曲作り。演出や振り付けも異世界へいざなわれている感覚に陥る。SNSがバズるのも納得のライブだった。今後の活躍も注目だ。
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スポーツ 2025年08月29日 17時00分
沖縄尚学優勝、“沖縄教育界のカリスマ”の信念が結実
第107回甲子園高校野球は沖縄代表の沖縄尚学高校が準決勝で山梨学院を5対4で破り、決勝に進出すると、沖縄では甲子園ツアーの申し込みが殺到。関西行きの定期便は満席となり、甲子園を目指す人々で近隣の空港行きも売り切れが続出、中には遠回りして台北経由関空で観戦ツアーに行く人もいたようだ。旅行会社は急きょ、朝6時発関空行きJTA便を手配。甲子園には試合開始20分前に着くという日帰りの弾丸ツアーを急造。このツアーで甲子園観戦に行った友人は、奇跡的に座席を確保し、アルプス席で観戦することができた。3塁アルプス席は団体割引600円で見たが、中には出没したダフ屋から1万や2万円で入場券を買った人もいたという。窓口で当日買ったら1000円だそうだから法外なぼったくり料金だ。緊迫した好試合が展開されたことからダフ屋料金でも、お買い得だったと話していたそうだ。日大三高に1点先行されても、すぐ取り返すナインの活躍に、なぜか負ける気がしなかったと友人は話す。3対1で日大三高を破り優勝を飾った瞬間、3塁スタンドは総立ちとなり、期せずしてウエーブが発生、歓喜の感情が爆発した。居酒屋は、来客が1.5倍に増えたと地元の琉球新報が報じている。沖縄尚学は7月13日の県代表決勝で新興エナジックスポーツを9対1の大差で下して沖縄代表になった。病気療養で入院していた学園創設者の名城政次郎名誉理事長は、看護師の代表選出を伝える言葉に体力の限界の中からVサインで答え、2日後の未明94歳の生涯を閉じた。多くの沖尚関係者は、名城名誉理事長の強い思いが選手たちの活躍を後押ししたはずだと話している。名城名誉理事長は、1930年生まれで「文武両道のたくましい進学校」を目指し、1983年に前身の沖縄高校を継承して沖縄尚学高校を創設、1991年から学校法人化し、尚学学園の理事長を長年務めた。沖縄教育界の輝けるカリスマとして、多くの人材育成につとめた。一方、沖縄尚学の指揮を執った比嘉公也監督は1999年春選抜に沖尚の投手として出場、春夏通じて初の沖縄代表全国制覇の立役者となった。母校の監督として育てたプロ選手は、ソフトバンク東浜巨、嶺井博希、巨人のリチャードと活躍している。沖縄教育界のカリスマ、名城名誉理事長が育てた沖縄尚学は、比嘉監督という指導者を得て、更なる高みを目指す。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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芸能 2025年08月29日 16時00分
misono、デヴィ夫⼈が政党⽴ち上げで、出⾺しようとするも直後に党解散 動物保護団体について「みんなで協⼒し合うことができれば」
歌⼿でタレントの misono に、リアルライブは単独インタビューを実施。7 ⽉の参議院選挙に出⾺しようとしたことや今後の活動などについて話を聞いた。2 回に渡り、掲載する。ー参議院選挙に出⾺しようとされていましたが、どの党から出⾺される予定だったのでしょうか。最初は無所属で考えていました。去年までは飲⾷店やエステサロンをやっていて政治家になるどころではありませんでした。政治が怖いというのもあります。自分は中卒で、17 歳から芸能しかやっていません。そんな⾃分が政治家になれるとも思えませんでした。でも尊敬する人の言葉で「それぞれ役割があり、得意分野があります。misonoさんの周りで選挙に出⾺できる⼈がいるか」という言葉がしっくりきて。確かに自分は⼤⾦持ちじゃないし、インフルエンサーさんみたいにフォロワーがいるわけでもありません。そんな中、misono のために選挙資⾦全部出すと⾔ってくれる仲間が現れ、運や縁に恵まれていると思って、無謀かもしれないけど、無所属で出⾺しようとしていました。準備前の選挙の結果を⾒たら、無所属の⼈がすごかったりして、今の時代、SNS やネットで支持されれば自分も当選できるかもしれないと希望を持てました。今年に入ってから準備をし始めたのですが、デヴィ夫⼈が政党を⽴ち上げて、「流れがきてる」「もってる」「導かれてる」と感じました。最近の人たちはday after tomorrowや倖田來未さんとmisonoが姉妹だって事すら知らなかったりするので、ゼロからのスタートだと思いましたが、炎上クイーンやお騒がせタレントなどmisonoのイメージやキャラなど全く分からない若者達だからこそ、逆に良いのかもしれないとも考えました。デヴィ夫⼈の⽅が知名度や⼈気があって、影響力のある12(ワンニャン)平和党から出⾺できれば、⼀層ペットの為に動物たちの法律を変えられるんじゃないかって。そしたらまたありがたいことに共通の知り合いが動いてくださって、デヴィ夫⼈の楽屋に⼊れてもらって、スタッフの皆様の前でお話をさせていただきました。そしたら、お会いした直後に党が解散していました。後日また説明を受けたのですが、⽇本国籍を取るのに時間がかかっていることや、選挙の神様こと藤川晋之助さんが参謀を務めてくださっていたんですが、お亡くなりなってしまったと教えてくださいました。出⾺する気でいましたが、いきなり全部なくなって何より時間がありません。これまでたくさんの政治家さんや出資者の皆さんとやりとりをしてきましたが、いまから他の党に頭を下げに⾏くか、もし政党が受け⼊れてくれても、準備期間が⾜りないと思い、7月の参議院選挙は断念してしまいました。ー⽴候補しようと思ったきっかけを教えてください。30歳からボランティア活動をするようになって、2018年10月いっぱいで大手事務所を円満退社してからは、もっと子ども食堂や子ども宅食、福祉施設、動物愛護団体に寄付をするようになり、復興支援もやっとできるようになりました。でも、入籍した直後に夫のNosukeが精巣がんだと発覚したので、治療費を稼ぐために働きまくっていたので余裕がありませんでした。今もう5年たったので「完治した」と言えます。治療が落ち着いたタイミングでコロナ禍となり、関西へ戻ってきたのですが、我が家の猫ちゃんが一気に10匹になりました。亡くなってしまった2匹も捨て猫ちゃんだったし、5匹は保護猫ちゃんです。生まれた時からワンちゃんがいる家庭で、東京の家にもずっと愛犬がいたのですが、急に猫ちゃんに変わり、ペットを含めて家族や病気、自分と向き合う時間が増えました。保護猫とmisono時間があると保護犬猫カフェや譲渡会に足を運ぶようになり、預かりボランティアやミルクボランティアなど初めての経験をたくさんさせてもらいました。あとライブをお断りしている分、講演会を引き受けるようになりました。チャリティーグッズを作ったり、買って周りの人に配ったり。チャリティーイベントを主催したり、参加したり。その売上の一部を支援先に寄付しているのですが、やってもやってもきりがありません。それは動物に関する法律などが問題で、誰かが法律を変えない限り「殺処分をゼロにできない」と、やればやるほど痛感します。2020年に関⻄へ戻ってきてから人脈をいちから作り直したので芸能界とは離れてしまいましたが、いろいろな経営者さんや大企業の社長さん、そして政治家さんとお会いするようになって食事会で話す内容も昔と違いすぎるので、今は芸能人としてじゃなく実業家として生きていけるように努力しています。最近、地震や災害が多いから自分がいつ死ぬか分からないし、野良⽝や野良猫も今、救わないと数時間後には助からない可能性があるので休みの日にやるだけじゃ追いつきません。何より、動物愛護団体のかたが⼼⾝ともに疲れて倒れてしまうから心配で、実際に辞めていったボランティアさんを多く⾒ているので不安です。だから身近な人達の想いや動物たちの気持ちを背負って、⾃分が政治家になって発信していこうと決意しました。ー動物たちの法律を作ろうとすると、反対派の意⾒などがでて難しいのでしょうか。「動物より先にまずは⼈間のためにやってくれ」という人ばっかりです。確かに問題が⼭積みじゃないですか。今年の都議選や参議院選挙の結果でも一目瞭然ですし。⽇本をどうにかしたいという若い子が増えたし、芸能人でも発言して下さるかたが増えたので本当に良かったです。⼈間のために政治家になってくれる⽴候補者を、応援したいという意⾒が多いのは当然です。好き嫌いだってあるし、アレルギーの人だっています。でもお子様のいるご家庭より、ペットを飼っているご家庭の方が多いのも事実です。ペットショップや動物園が全国に存在する訳ですから。ー現職の議員で、misono さんの意志を託せる⽅はいらっしゃらないのでしょうか。動物愛護の政治家といえば串⽥誠⼀議員しかいません。一度、食事した事があるのですが本当にいろいろな所に⾜を運んでいらっしゃって串⽥議員が国会に⽴って熱弁を振るうこともあるので応援しています。ー機会があれば、また⽴候補する予定でしょうか。12平和党から出⾺することがなくなっただけで、政治家を諦めたわけではありません。でも次の選挙までに「やっぱり政治家にならない方が良いのかもしれない」と実感したら辞めるし、自分よりすごい⼈が現れたらmisonoの代わりに⽴候補して下さいとお願いをするかもしれません。これから活動を続けていく中で臨機応変に対応していきたいです。尊敬している杉本彩さん、坂上忍さん、デヴィ夫⼈、この 3⼈がやっていることを真似したり、後を追ったり、二番煎じにならないように心がけています。大好きで大切な存在だからこそ、信じて後ろをついていくだけじゃダメな気がしているからです。他にもたくさん著名人の方がいろんなやり方で保護活動をして下さっているのに、政治家に誰もなりたがらないのには理由と意味があるだろうけど、誰もやらないからこそ自分にしかできない方法として⽴候補は残しています。ー動物の保護団体同⼠のもめごとがなぜ、多いのでしょうか。一般の方がSNSを好きに自由に書けるようになり、フォロワー数が少なくても内容によってはバズれたりするし、ネットの情報をうのみにしてしまう人がいるので誹謗(ひぼう)中傷をよく目にします。団体名を名指しにして批判したり、顔や名前を晒して、揚げ足をとったり蹴落としたり。でも法律や募金の問題な気がして。例えば「クラウドファンディング(以下クラファン)やります」って投稿すると、数千万円があっという間に集まります。自分の知り合いの保護犬猫カフェは寄付金を募っていなかったり、自分が支援をしている動物愛護団体も本業のお仕事をしながら自腹きって保護活動しています。とくに猫は繁殖率が⾼いから、自分の為にお金を使わずに野良猫の避妊⼿術費にまわしていたりします。地域猫に積極的に危害を加える⼈もいます。⼈懐っこい猫ほど、ロードキルや虐待などの被害にあってしまいます。勉強すればするほど、⾒たくない光景や聞きたくない真実を目の当たりにするので心がおれそうになります。良い事をしているのにも関わらず人から叩かれたりするので精神的に限界がきます。クラファンじゃなくても常日頃、呼びかけていらっしゃる所もあるし「いくら手術費用がかかるんです」「ペット用品が足りてなくて」「こんなにシェルターの維持費がかかっているんです」など、自分の周りにも普段からお金を振り込んだり、物資を送ったりしている人がいたり。勿論、自分も募金箱が置かれていたら必ずお金を入れるようにしています。受け取る側も数百万円いざ手にしたら、いいところに住みたい、おいしいご飯を食べたい、あれもこれも欲しいというように欲が出てしまうのかもしれません。⾦銭的にも精神的にも余裕があれば、戦わなくなるのかもしれませんが争いごとは尽きないのでどうにかしたいです。ゴールは同じだし動物たちに対する愛も一緒なのに悔しいです。みんなで1つになって傷つけ合うことなく協⼒し合うことができれば、動物たちも人間も幸せに暮らせるのに。深く考えていないようで、動物保護に対する考え⽅は意外としっかりしている。確かに、動物は法律では物扱いとなることが多い。被災地でも、動物は避難所に⼊れないケースもある。現状の物扱いされている部分の法律は早く変わればと思う。保護活動にしても、基本的にボランティアで、活動費を寄付やクラファンを得ることはできても、⼤きな収⼊源がないと、活動や団体を維持できない。法律や国の⽀援があれば、個⼈や団体が保護活動をしなくてもいい。そういう意味で misono の⽅針は、動物好き嫌い関係なくいいものだ。政治家になった暁には misono 議員に期待したい。
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スポーツ 2025年08月28日 18時00分
元プロサッカー選手の内田恭兵氏、プロになれる人となれない人の違いは他のことに“逸れる”かどうか セカンドキャリアに「ピカピカアスリートクリーナーズ」
2021年にAC長野パルセイロを引退した元プロサッカー選手の内田恭兵氏。現在はセカンドキャリアとして、お笑いコンビ・カラテカの入江慎也氏が経営する清掃会社「ピカピカ」の兄弟会社「ピカピカアスリートクリーナーズ」の店長を務めている。リアルライブ編集部では、内田氏に単独インタビューを実施。プロになれる人、なれない人の違いや入江氏との出会いなどについて話を聞いた。―サッカーを始めたころから、プロを目指されていたのでしょうか。目指してはいませんでした。目の前のことをこなしていたら、プロが見えてきたという感じです。始めたときも、好きで始めたというわけでもなく、なんで始めたのか記憶も曖昧です。自分にあっているのかも分かりません。できることが増えていくのが、やりがいにつながっていました。僕は静岡出身で、ジュビロ磐田の下部組織でプレーしていました。大学からはプロの組織ではなく大学のチームでプレーしていたら、当時J2の京都パープルサンガに声をかけていただいて。それが縁で、入団しました。―選手時代に影響を受けた選手やコーチ、監督はいらっしゃいますか。サンガ時代、大黒将志さんは一緒にプレーしてすごい選手だなと感じました。下にも要求がすごいです。文句を言われるわけではないですが、「もっとこうして」とか「俺を見ろ」とか。でも。パスを出すと点を取ってくれるんです。まさにストライカーという感じで、一緒にプレーしてやりやすかったです。いろいろな選手とプレーしてきましたが、一番プレーしやすい選手でした。大黒さんからしたら、全然違うかもしれませんが(笑)―プロになれる人と、才能があってもなれない人の違いはなんだと思いますか。僕は目の前の課題をこなしていくタイプでした。プロになる選手たちは子どものころから世界でプレーするイメージや、プロになってどんな活躍をしているかイメージができているんです。成長した自分から逆算していき、今の自分に何が必要かを考えて、練習しているんでしょうね。多分同じように練習しても追いつけないし、僕の想像がつかない練習や準備をしてるんじゃないかなと。勝手なイメージですけど。各世代で僕より上手い選手はたくさんいました。でも、他のことに逸れてしまって、結局辞めてしまう人も多かったです。続けられるかどうかじゃないのかなと思っています。―ピカピカに入社したきっかけを教えてください。プロを引退して、次何をしようか悩んでいるときに、同じチームの先輩が「ニュースポ」というアスリートのセカンドキャリアを支援する会社を経営している小澤剣人と知り合いで、先輩を通じて相談に乗ってもらいました。それから2年ほどして、京都に出てまた小澤と食事することになり、入江慎也さんと知り合いということで「ピカピカ」という会社を知りました。入江さんは、セカンドキャリアで清掃業をされています。自分もプロを辞めて、京都に来る前にたまたま清掃業をやっていたので、「現場の責任者やってみないか」と誘われました。それがきっかけですね。現場の責任者ということで、スケジュール管理や見積もり、人をそろえるなど基本的な業務は全部担当しています。―前職はどのような清掃業だったのでしょうか。前職は「美装屋」とか「洗い屋さん」とよく言われるんですが、建設業界に近いです。新築の家やマンションが建つとき、いろいろな仕事の方が工事に入ります。そこで、最後に工事の仕事の汚れを落して、引き渡します。そういうジャンルの清掃業にいました。―サッカーや前職などで困難にぶつかった際、どのように対処されてきましたか。難しいですね。自分の中にこう乗り切るとかすごい策みたいなのはなくて、諦めずに挑み続けるですかね。辞めずに続けることで、乗り越えられるチャンスや人との出会いのような転機が訪れます。そのタイミングやチャンスがきたときに、逃さないように準備をしておくという感じですね。―今後挑戦したいことを教えてください。妻が猫と暮らしていたので、初めて猫と暮らしているんですが、動物の保護活動をしたいと思っています。動物が好きでテレビで動物番組が流れているとついつい見ちゃいます。ああいうことをしようと思うと維持費がかかるので、まずは仕事を頑張ってお金をためたいです。プロを辞めたあと、たまたまやっていた清掃業の経験が生きた形だ。動物保護活動は、慈善事業で他のところでの利益が必要となる。夢を実現させるためにも、仕事がうまくいくことを祈るばかりだ。
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芸能 2025年08月04日 10時00分
「19」岡平健治、音楽をやっていなかったら…… 経営者としての信条、明かす
吉本興業と専属エージェント契約を結んだ「19」の岡平健治。リアルライブ編集部は、岡平に単独インタビューを実施。経営者としての信条や吉本興業と専属エージェント契約を結ぶこととなった経緯などを2回に分けて掲載する。―スタジオやレコード会社、ライブハウスなどを経営されていますが、経営者としての信条のようなものはありますか。僕は1979年生まれで昭和世代だから、ガンガン詰められた世代です。でも、20代の社員やアルバイトには、一切怒りません。怒っちゃだめな世代かなと思っています。現代に併せて、価値観やコンプライアンスをアップデートしています。会社や社風も併せてアップデートするというのが信条ですね。うちの会社は就業時間を決めていません。社員には「一人一人が社長だよ」って言っています。Ltdってありますよね。日本語では「有限責任会社」という訳になるみたいですが。一人一人が責任ある立場ですよっていう会社にしています。社員には、スキルは1個だけではなく4~5個持ちましょうと話しています。このスキルはなんでもよくて、例えばコミュニケーション能力が高いとか、いろいろなカクテルを作れるとか、掃除が得意とか、そんなスキルでいいのでとにかく5個くらいは持ってほしいですね。―高い壁にぶつかったとき、どのようにして乗り越えられてきましたか。やっぱり歌を作ることで乗り越えてきました。歌で自分を鼓舞するという感じで。歌で救われて、歌で人を救っていると思っています。音楽が絶えず近くにあって、僕は音楽がないとだめな人生だったと思うんですよね。―もし、音楽がなかったらどんな人生だったと思いますか。すごく難しいですが、少なくとも東京にはいなかったと思います。資格はいっぱい持っていて、例えば、危険物や一級船舶の免許ですね。資格を生かして地元の広島で工業系の仕事をしているんじゃないかと思います。今も大工さんになりたいと思っているくらいで(笑)。自分でもいろいろ作ったりしています。アマチュアのレベルではなくて、本気でやれば収入になるレベルですね。会社にある自動ブラインドも自分で作りました。―手先が器用なんですね。そうですね、バイクのエンジンの載せ替えもします。物作りが大好きで、設計図を見ずに組み立てたりもします。子どもの頃から分解して組み立てていました。ツアー中もホテルに戻ったら模型やプラモデルを作っていました。とにかく何かしていないと落ち着かないタイプです。一応診断ではADHDでした。母は多分分かっていたと思います。だから、石けんの箱や牛乳瓶なんかとセロハンテープを置いてくれて、好きなもの作っていいよ、と物作りの環境を作ってくれました。何かを作っているときだけ静かにしていました(笑)。何か凝りだすと、突き詰めてしまう性格が、今の自分を作っています。音楽もそうです。投資も不動産もそうですね。運もよかったと思います。―話を聞いていると広く浅くや狭く深くというタイプなのかなという気がします。音楽だけは狭く深くじゃないとだめだと思います。それ以外は広く浅くでよくて、不動産は一瞬頑張ればあとは持続してくれます。音楽は狭く深くやっていかないと消えてしまうものなので。人の心をつかんでいく仕事だと思っています。だから、無関心だと音にも出て、人に感動をさせられなくなります。一芸でやり遂げている方は、本当に素晴らしいと思います。岡平が経営している会社は、ほんとどが音楽に関係するものだ。本人も話すように、音楽がないと生きられない人生だったと感じる。後半は、吉本との契約や「19」の相方・岩瀬敬吾との関係性について掲載する。後編:岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
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スポーツ 2025年07月25日 23時30分
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
2023年に現役を引退した、元プロ野球選手の宮國椋丞氏。最近では宅建をサポートするYouTubeチャンネルに出演し宅地建物取引士(宅建)の資格を取得している。リアルライブ編集部は単独インタビューを実施。影響を受けた選手や印象に残った試合などについて質問した。ー2023年に引退されましたが、約11年間のプロ野球生活を振り返った感想をお願いします。早かったですね。あっという間の選手人生でした。ープロ野球選手を目指したきっかけを教えてください。野球を始めたころからの夢でした。子どもの頃からプロ野球選手を目指し、頑張っていました。ー影響を受けた選手や監督はいらっしゃいますか。内海哲也さん、菅野智之さんにはすごく助けていただきました。師匠みたいな存在ですね。野球だけでなく、プライベートでもいろいろ助けていただきました。ー印象に残った試合を教えてください。初登板、そして菅野さんと投げ合った試合ですかね。ー菅野さんとの投げ合いは、もっと続けていたいというような感じでしょうか。不思議な感覚でした。人生生きていたら、こんなこともあるんだなと感慨深かったです。ー初登板のときの気持ち、まだ覚えていらっしゃいますか。緊張もあったけど、楽しみの方が多かったことが今も鮮明に覚えています。ー巨人から横浜DeNAに移籍するまでフリーエージェントの期間がありましたが、その間はどのようなことを思っていられましたか。僕の中ではあの期間がプラスになっていて、いまも僕の中で生きています。僕にとって大事な時間でした。自分を見つめ直す時間でもあり、野球を見つめ直す時間となりました。ーフリーエージェント期間中に気付きはありましたか。今もそうですが、周りの方に支えられていて、プレイできてたんだなと思いました。周りの方々への感謝しかありません。ー戦力外通告を受けたときの心境はいかがでしたか。僕もそうなるだろうなとは思っていたので、とくにびっくりしたり、落ち込んだりはしませんでした。ー野球人生は“やりきった”という感じでしょうか。はい、燃え尽きました。ー宅建を取られましたが、資格に興味はお持ちだったのでしょうか。何かに挑戦したいという気持ちがあり、頑張ってみようと思いました。ーこれから挑戦したいことはありますか。特に決めてないです。今の仕事を頑張るだけだと思っています。ー最後にセカンドキャリア、セカンドライフについての展望を教えてください。分からないことが多いので、人に教えられるくらいの知識や力をつけたいです。そして、周りの人に頼られたり、笑顔にしたいと思っています。野球とは離れて考えて、できることを探したいです。30代前半と若く、まだまだ可能性がある宮國氏。まだまだいろいろなことに挑戦できる。今後の人生で具体的にしたいことはまだ決めていないようだが、野球と同じくらい興味が持てる物事を見つけてほしい。
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芸能 2025年07月20日 12時00分
豊ノ島“ライバル”琴奨菊との思い明かす 業界には「いい物は残し、時代に併せて変わっていけば」と期待
2020年に相撲を引退、2023年に日本相撲協会を退職した豊ノ島。現在はタレントとして相撲業界を外側から応援やYouTube チャンネルの開設をしている。リアルライブ編集部では、豊ノ島に単独インタビューを実施。影響を受けた力士や親方、YouTubeチャンネルなどの話を、2回に分けて掲載する。―中学校から相撲の大会に出られてましたが、その頃から相撲業界に入ろうと思ってらしたのでしょうか。小学生の1年生からやっていました。最初はなかなか結果が出せなかったんですよね。デビュー戦では、開始1秒で負けました(笑)。だんだん力をつけていって、1年たたないぐらいで県では、ほぼ負けなくなりました。その頃から、県で勝つのはすごいことだと実感し、当時の相撲業界では若乃花さん、貴乃花さん、曙さんがいて、若貴が曙に勝つというシチュエーションがありました。それを見て育ったので、子どもの感覚ですが、相撲業界で強くなりたいと思いました。小さいながらに「僕が貴乃花を倒して引退させる」と言ってたらしいです(笑)。― どんな練習をされていたのでしょうか。小学校1年生だったのですが、小学生がやるような練習ではなかったと思います。本当に厳しい稽古で、何度も辞めたいと相談していました。でも、勝ちたいという思いや、強くなりたいというような“思い”があったから続けられました。当時通っていた相撲クラブの先輩たちがすごくかわいがってくれて。兄弟みたいな感じになっていました。実家では姉一人、妹と弟が一人ずついて、兄だけがいませんでした。自分の中で、先輩たちがお兄ちゃんみたいな存在で、父が「辞めるならお兄ちゃんたちとはもう会えなくなるからな」と言ったんですね。それが嫌で頑張れたんだと思います。「辞めてもいいぞ。その代わりにみんなには会えないからな」と言ったら、絶対辞めないと父は分かっていたんですね。いつもそう言われ、辞めなかったのは先輩たちが本当にかわいがってくれたからです。―18年間戦ってこられましたが、特に思い入れのある取組はありますか。本当に数々あるんですが、白鵬関との優勝決定戦や、琴奨菊関との優勝争い。いろいろあります。その中でも中学、高校でずっと一緒にやってきた、琴奨菊関との取組ですかね。―いろいろな力士や親方がいらっしゃったと思うのですが、特に影響を受けた方はいらっしゃいますか。さっきも話に出ましたが、琴奨菊関ですね。彼がいたおかげで最終的にプロに入ろうと思いました。中学生時代に全国大会でも優勝しましたが、高校で伸び悩みました。自信はあったんですが、結果がついてきませんでした。その頃、琴奨菊関は明徳義塾でずっと成績を残していて、「大相撲の世界に入る」とも公言していました。私も大きいことを言うタイプだったので、「相撲の世界に行くよ」とは口に出していました。でも、確固たる決意のようなものが当時はありませんでした。小さいころからの夢見ていたものをやってみたいという感覚でした。同じ高知県で試合していくうちに、琴奨菊関の決意を聞いて、自分もという気になりました。すごく意識していた相手だからこそ、スタートラインも一緒にして頑張りたいと思いました。どちらかというと、琴奨菊関に引っ張られるようにして、この世界に入りました。自分の相撲人生に一番影響を与えてくれたのは、琴奨菊関です!―ありふれた言葉ですが「良きライバル」という感じですね。そうですね、一番意識していました。極論ですが、1勝14敗だとしても、その1勝が琴奨菊関であれば満足なくらいでした。琴奨菊関は大関まで昇進して、番付も向こうの方が上でした。下の方からライバルというのはおこがましいですが、琴奨菊関が自分のことを「意識するライバル」といってくれていた事は、とてもありがたかったです。お互いに本当に良いライバルだと思っていました。―教えるのがうまいと聞きました。中から後進を育てることと、外から応援することの2つで悩まれたんじゃないかと思います。実際に悩まれましたか。教えることがうまいと言ってもらうこともありますが、なかなか難しいです。現在、女子相撲のコーチをやっていますが、指導者としてもまだまだ勉強する事もあります。現役時代に、バラエティー番組には出させていただいたことがあり、40歳になる節目に新しいことに挑戦したいと思いました。たった一度の人生なので、いろいろ挑戦してみたいという気持ちはあります。―今後の相撲業界に期待することはどんなことですか。「新しいものが⼊ってきて、どうなっていくんだろうというような気持ちにさせてもらえたらいいなと思います。業界に新しい⾵が吹いてくれたらと。独特の世界なので、いい物は残し、時代に併せて変えていいものは変わっていけばいいなと思います。時代に併せたアップデートですかね。SNS はもう少し規制を緩めてもいいんじゃないかと思います。噂通り、話し上手で相撲の話になると止まらない豊ノ島。特に琴奨菊関については、次々と言葉があふれ出している様子だった。後半では、セカンドキャリアについての話題が中心となる。後編:豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
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芸能 2025年07月14日 17時00分
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
闇営業がきっかけで、解消となった元・雨上がり決死隊の宮迫博之。現在は飲食業のプロデュースやYouTubeを中心に活動している。リアルライブ編集部は独占インタビューを実施。ドジャース始球式の舞台裏やキックボクシング大会出場、今後の活動などについて話を聞いた。ードジャースの始球式をされましたが、実際に投げられた感想をお願いします。めっちゃ楽しかったです。なかなか経験できることでもないですし。お笑い芸人のときも、始球式はしたことがなかったです。ただ、いざ球場に入ると、予想外のことがありました。ー何かハプニングがあったのでしょうか。始球式直前に、ピッチャーの方が素人にマウンドに上がられて汚されるのが嫌ということで「日本ではマウンドから投げることもあるだろうけど、今回はマウンドからは投げないで」と言われました(笑)。マウンドから18メートルあり、実際の距離で練習していたんですね。18メートルだと、上の方に投げないとキャッチャーミットまで届きません。練習を重ねて「これならいけるわ」と、ストライク投球できると本番に挑んだら、芝生から投げることに。マウンドからより近くなってしまい、練習通り投げると暴投しちゃうから、とまどいながら投げた結果、ワンバウンドとなりました。ー始球式に出たことについて、世間ではいろいろ反応がありましたが、読まれましたか。山本由伸選手が打たれて負けてしまい、「宮迫の呪い」とか書かれていましたが、「そんな力あるかい!そんな力あったら、もっと何かしらになってるわ!」と思いました(笑)。ーキックボクシングの大会(RISE VOA)にも出場されていましたが、また機会があれば出たいと思いますか。膝に爆弾を抱えているので、キックボクシングや格闘技はもうチャンレンジはしないと思います。年も55歳なので。試合当日が一番膝の状態が悪かったです。いまもリハビリ中なので、さすがに怖いですね。ー膝、そんな状態で試合に出られたんですか。両ひざの軟骨がなくなっている状態で、スポーツをすると水が溜まってしまいます。人工軟骨を入れなければいけないのですが、入れると車椅子生活が数カ月続くと言われ、アスリートではないのでだましだましやっています。格闘技をしてしまうと、もうもたないですね。ただ、試合には出て良かったです。ーオムサコは閉店、牛宮城はまだまだがんばれそうですか。牛宮城は経営にはノータッチなので詳しい状況は分からないですが、おかげ様でもう3年目に入っています。プロデュースとしては入っていますし、月に二度顔出しに行っています。プライベートでも、ちょくちょく行ってますが、おいしいですよ、我ながら(笑)。オムサコはオムライスの味の監修をさせてもらっていますが、トラブルなども重なり残念ながら渋谷の十店舗は閉店となってしまいました。残念ではあります。もともと大箱でオムライスはどうなのと、ちょっと心配はしていました。ウーバーイーツは調子がよかったので、残したいでしょうし。今後はオムライス屋さんらしいスペースで、展開したらと思います。カウンター10席くらいの店舗がいいんじゃないですかね。ー今も交流している芸人さんはいらっしゃいますか。近所の陣内智則とは飲んだりしています。宮川大輔ともスーパーでばったり会ったりしますね。近所に住んでいる芸人とはよく飲んでいます。ー元相方の蛍原徹さんがテレビで宮迫さんとの仕事を思い出し「また味わいたい」というコメントされていましたが、宮迫さんも同じ気持ちでしょうか。そりゃもちろんそうです。一緒に何かできたらと思います。30年以上一緒にいましたから。ー実現できそうですか。蛍原さん次第でしょうね。僕が迷惑かけた方なので、僕から言い出すのは難しいと思います。ーYouTube、レストラン、キックボクシングなど芸能界にいたころよりもチャレンジされていると感じましたが、宮迫さんもそのように思われていますか。テレビ時代では、するはずではなかったことにチャレンジできて楽しいです。本来やるはずではなかったことですし。もうこの先そんなに長い人生ではないと思うので、いろいろな経験ができて楽しいです。ー特に楽しかったのはどれでしょうか。格闘技はするとは思っていなかったし、自らそこにいくこともなかったので、キックボクシングですかね。鈴木おさむ君の提案ですることとなりました。膝のけがもあったし、最初はどうかと思っていましたが、楽しかったです。負けましたし、そこまでの道のりもしんどかったですが、試合に出て良かったと思っています。ー今後仕事で主軸にしたいことはどんなことでしょうか。本音は不労所得を稼いで、悠々自適にしたいことができればそれが一番幸せなんですが、そう上手くいきません(笑)お誘いがあればテレビにも出たいです。チャレンジしたいことが多いのと、やっていることが多すぎて若干パニックになっています。テレビに出ていたときは冠番組持ちたいとか、金を稼ぎたいと思っていました。楽しく過ごせるお金があればいいなと思います。この歳になり、買いたいものは買えたし、やりたいこともできたので、楽しく経験したことのないことに挑戦したいです。今はボーリングを練習しています。これも鈴木おさむの提案で、ボーリング大会に出たら盛り上がると話しているんですが、今それで手首が危ない状態です(笑)。ボーリングを練習し始めて、知らなかったことが多すぎて、こんなに奥が深いのかと楽しんでいます。曲がり具合がなぜ違うのか、曲がり方が変わっていくのかなぜなのか教えてもらって、そういうことかと思いました。端っこには油がそんなに塗られていないので、めっちゃ曲がります。ゲーム中に同じところばっかり投げていると油もなくなっていきます。だからプロボーラーもずっと同じところに投げているわけではなく、ちょっとずつ投げる場所を変えているんですよ。そんなことを知って面白いと思いました。ーオンラインカジノの問題で令和ロマンのくるまさんが契約解除となりましたが、闇営業で辞めることとなった宮迫さんからアドバイスはありますか。まだ若いですからね、僕とはまるで違うだろうし、オンラインカジノがどれくらい悪いのかもよく分かりません。コンビで活動できているのであれば大丈夫かなと。僕は円満退社ではないですし。何より「M-1グランプリ」二連覇の実力者なので大丈夫だと思います。ー今後のお仕事の展望、セカンドキャリアについて言える範囲でおしえてください。YouTubeの継続はします。名前を前面に出さない仕事もしています。人のYouTubeチャンネルの司会の仕事をいただいたりしますが、それが楽しいです。自分のYouTubeだけでなく、出演するという形も増やしていこうかなと思っています。声のお仕事もいろいろやらせていただいたので、もうじき発表になるものがあります。いろいろやっていきたいですね。声だったら大丈夫ちゃうんと思って、オファーを待っています(笑)ー報道によって人生がつぶれることもあります。宮迫さんは我々メディアをどう捉えていますか。率直なご意見を伺いたいです。仕事ですからね。趣味でやってたら何しとんねんと思いますが(笑)。闇営業の記者会見のときにも言いましたが、不明確な情報を出されて、その影響で、ということもありましたが。そんな媒体や番組には「ちゃんと取材をしましょう」と苦言を呈しました。昔のワイドショーはきちんと取材をしていたじゃないですか。いまのワイドショーって週刊誌の情報を使って、コメント出しているじゃないですか、そこはちゃんと取材をしましょうと言いました。もちろん、最初に報道した雑誌がきっかけですが、ワイドショーも元を確認していない状態で報道され、ダメージになったので、ちゃんとしてほしいと思いました。30年以上の付き合いになる元相方・蛍原とも、お互い共演を望んでいるのなら一時的な「雨上がり決死隊」の復活もあるかもしれない。宮迫は声に定評があり、海外の大作映画の主要キャラの声優を務めたこともある。声の仕事があるとのことだが、アニメ作品なのか、ハリウッド大作なのか、期待していたい。
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