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レジャー 2009年10月19日 15時00分
秋華賞(GI、京都芝2000メートル、18日) ラスト1冠はレッドディザイアに軍配
「第14回秋華賞」(GI、京都芝2000メートル、18日)は、2番人気のレッドディザイアが1番人気のブエナビスタをハナ差しのぎ、うれしいGI初制覇を成し遂げた。勝ち時計は1分58秒2(良)。レース、仕上げともに攻めの姿勢を貫いたことが、最大のライバルの3冠を阻止した。一方、大魚を逃したブエナビスタは4角で斜行し、3着に降着と、まさしく泣き面に蜂。2強の明暗が大きく分かれた一戦だった。 ブエナビスタの3冠を打ち砕いたのは、やはりレッドディザイアだった。 今回は差し届かず2着に終わったローズSの教訓を生かし、中団にポジションを取る積極的な戦法を取った。前半の時点で「ブエナビスタより絶対先に仕掛ける」ことがヒシヒシと伝わってくる攻撃的な姿勢。結局、これが最後のハナ差につながった。四位騎手が振り返る。 「負けたらまた(後ろからいく)元の乗り方に戻せばいいと思っていた。相手を意識せずに、攻めの競馬で乗ろうと。イメージ通りに運べた」 もちろん、「今思えば手ぬるい仕上げだった」(松永幹調教師)トライアルから、さらにもう一段階上の状態に持っていった松永幹調教師の手腕も称賛されてしかるべきだ。四位騎手も「厩舎が一丸となったこん身の仕上げだった」と絶賛する。 馬体は前回からマイナス14キロとまさに究極の仕上げ。ここまで馬をいじめられたのは前回の敗北だったと指揮官は話す。 「負けた(2着)おかげでしっかりやれた。いま振り返るとあそこで負けておいてよかったんだと思う」 今までケイコは坂路中心だったが、この中間はWコースを長めに乗るなど、攻めに攻め抜いた。終いサラッとが通常な牝馬の直前追い(坂路)でも一杯にしごいた。 現役時代、ミッキースマイルと評され、調教師になった今でも誰にでも愛くるしい笑顔を振りまく青年トレーナーが、今回ばかりは打倒ブエナへ心を鬼にした。 レッドディザイアの今後についても松永幹師は攻めの姿勢を崩さない。「あくまでオーナーと相談してからだけど、次もブエナビスタが使うレースを使いたい。もう1回勝たないことにはね」と不敵な笑みを浮かべる。 可能性が高いのがエリザベス女王杯での4度目の対決。名勝負の“数え歌”はまだ始まったばかりだ。
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レジャー 2009年10月19日 15時00分
府中牝馬S(GIII、東京芝1800メートル、18日) 末脚一閃 ムードインディゴが重賞初V
エリザベス女王杯の前哨戦「第57回府中牝馬S」(GIII、東京芝1800メートル、18日)は、7番人気の伏兵ムードインディゴ(牝4歳、栗東・友道厩舎)が、直線怒とうの追い込みを決め、悲願の初重賞制覇を達成した。勝ちタイムは1分44秒6(良)だった。 勝利をエスコートした田中勝騎手がまたがったのは昨年のクイーンS8着以来3度目。「持ち味の末脚を引き出そうと、直線勝負に徹した」。腹をくくって臨んだイチかバチかの作戦がズバリ的中した。 4角は、まだ後方から2番手。この絶望的な位置取りから上がり3F33秒7とメンバー最速の差し脚をさく裂。後続を2馬身突き放したのだから驚きだ。「いやぁ、すごい脚でしたね。イメージ通りの競馬ができたけど、これほどの脚を使うとはね」。ジョッキーは全身で喜びを爆発させた。 もともと、昨年の秋華賞2着馬。GI級のポテンシャルがありながら、勝ち運に恵まれなかったが、充実の4歳秋を迎え、「体がしっかりして実が入った」と成長の跡を指摘した。 合わせて、「これを機に、さらにステップアップしてほしい」とエ女王杯をしっかり見据えていた。
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スポーツ 2009年10月19日 15時00分
新日本 CHAOS勢が好調
毎年恒例タッグの祭典「G1タッグリーグ」は開幕から公式戦2日を終え、本隊やレジェンドタッグが苦戦する中、CHAOS勢の好調が光っている。Aブロックでは中邑真輔&矢野通が優勝候補のワイルドチャイルド中西学&大森隆男を下して好発進したほか、ZERO1田中将斗とのタッグで参戦しているCHAOS石井智宏も開幕2連勝スタートを切って単独トップ。 Bブロックでも邪道&外道、ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンのCHAOSタッグがそれぞれ白星スタートを決めた。その一方、本隊の注目ユニット青義軍の永田裕志&井上亘、2年ぶりに同リーグ戦に登場した蝶野正洋とAKIRAのレジェンドタッグは初戦を落とし、厳しいスタートとなった。 また右眼窩(かんか)内側壁骨折から約2カ月ぶりに復帰した棚橋はバーナード組と対戦したが、パートナーの岡田が敗れ白星を逃した。
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スポーツ 2009年10月19日 15時00分
プロレスバカ剛竜馬さん死去
元新日本プロレスの剛竜馬さん(=本名・八木宏=享年53歳)が18日朝、敗血症のため都内病院で亡くなった。プロレスバカの異名をとり、国際プロレスからスタートし新日創成期にも所属レスラーとして活躍した剛さん。 この日の新日プロ館林大会前には選手がリングサイドに並び、10カウントゴングで哀悼の意。時代を共にした長州力は「海外を3、4カ月一緒にまわった。若いころはよく飲みにも行った。面白いヤツだった。後楽園で会ったときは元気だったのに…」と早すぎる死を惜しみ、平田淳嗣も「自分から率先してぶつかりけい古をする人で熱心だった」と故人を偲んだ。
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スポーツ 2009年10月19日 15時00分
全日本 小島 人集めに苦戦
全日本プロレス本隊から非難を浴びている三冠ヘビー級王者の小島聡が、リング外でも苦戦を強いられている。 全日マットでの内部闘争が加熱する一方で、小島には新たな問題が浮上してきた。2年連続で開催される台湾大会(11月20〜21日、国立台湾大学総合体育館)オフィシャルツアーの人数が思うように伸びていないのだ。 同ツアーは全日プロ初の試みで、小島が所属するF4との台北市内観光や夕食交流会、ホテルから専用車での送迎付きなど、普段は見ることの出来ないレスラーの素顔を見ることができるというもの。 ところが、現時点で最低催行人員に達していない。それだけに全日プロ関係者も「まだ思うように人数が集まらなくて…。このままじゃツアーを組めないですよ」とタメ息をつく。 三冠王者となれば、リング外でも団体の中心となっていかなければならない。 第2次政権を発足させた小島はこの課題をクリアし、王者としてさらにひとつ上の階段を登ることができるか。
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スポーツ 2009年10月19日 15時00分
K-DOJOを千葉名物に!! TAKAみちのくインタビュー
千葉でプロレス熱が高まってきている。奮闘しているのは、TAKAみちのくが団体代表を務めるKAIENTAI-DOJOである。地域密着団体として2002年4月に発足したK-DOJOは、千葉市内に常設会場を設け、毎週定期戦を開催している。今回はTAKAに“熱い胸中”を聞いた。 千葉駅からバスで10分。旭町で下車すると、K-DOJOの常設会場「千葉Blue Field」(ブルーフィールド)をすぐに見つけることができる。倉庫を改装した内部は、定期戦開催、選手育成の両面で最高の施設といえる。 WWEで活躍したTAKAは2002年春に帰国。K-DOJOを立ち上げるにあたり、最優先事項としたのが道場の確保であった。 「いまプロレス団体が何十個あるか分からないけど、会社組織があって道場があるという、ひと昔前なら当たり前の形がとられているところが少なくなってきた。だから自分はまず道場を構えたんです。ただ、箱だけあってもしょうがないので、リング、ウエート器具もそろえた」 K-DOJOの道場には、メジャー団体に引けをとらないトレーニングスペースがあり、TAKAが「そこは誇れる部分」と胸を張るのも納得がいく。さらに、道場は練習場所としてだけではなく、試合会場としても使用。会場内には花道、スクリーン、音響&照明器具などが設置されており、興行を行う上ではこれ以上ない環境だ。その手本としたのはWWEであった。 「WWEのテレビショーは、とにかく規模がすごかった。毎回大型トレーラー何十台で移動して、セットを持ち運ぶだけでなく、舞台裏にはコスチューム部屋、食堂、メーク室、撮影ルームがあって、全部その場で作ってしまう。これが理想だと思って、自分もブルーフィールドの中に、花道とスクリーンを作って、さらに撮影ルーム、映像やコスチュームを製作する場所を設けたんです」 ブルーフィールド内には事務所もあり、会場には200席のイスを設置。定期戦は毎週土曜日に開催され、日曜日や平日に特別興行が行われることもあれば、ゴールデンウイークなどの連休時には連日大会を開くケースもある。また、年に数回、千葉県内でビッグマッチを開催している。 新人は毎年春と秋に募集をしているが、TAKAは選手の育成方法については、独特の信念を持つ。 「ウチは入門金を納めてもらえれば誰でも入れます。ただ、入り口は広いけど出口は狭い。デビューまでたどりつける人間はひと握りですね。いまは割と簡単にプロレスラーになれる傾向にあるけど、プロと名のつく以上、普通の人ができない何かを身につけなければいけない。だから簡単にデビューはさせません。まず最低限の体と最低限の受け身、これができてからです」 旗揚げ後、地域密着団体として地道に活動を続け、「K-DOJOが着実に千葉に浸透してきている」と確かな手応えを感じているTAKA。 今後もスタンスは変えることなく、「せっかく千葉でやっているので、千葉の体育館をすべて回って、いずれは千葉から全国に発信したい。そしてK-DOJOを千葉名物にしたい」とさらなる発展を目指す。<プロフィール> TAKAみちのく 92年9月にユニバーサル・プロレスでデビュー。93年3月にみちのくプロレスに移り、97年10月からは世界最高峰の団体WWEと契約。WWE世界ライトヘビー級王座を獲得するなど、4年半にわたって同団体で活躍した。02年3月のWWE日本公演出演後に離脱すると、千葉でK-DOJOを設立。旗揚げ戦は同年4月20日、東京・ディファ有明において行われた。◎「千葉ハッピープロレス」開催 K-DOJOは現在、定期戦とは路線の違う、「千葉ハッピープロレス」という別ブランドの大会を開いている。千葉ハッピープロレスには、定期戦には出場しない、ご当地レスラーのマスクマンが登場。「通常とは違う、ヒーローショー的なプロレスを展開させています。千葉市以外にも茂原や成田、今度は四街道と、各市町村のヒーローが誕生していて、地元の人に喜んでもらっています」(TAKA)と好評を博している。
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スポーツ 2009年10月19日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元男子バレーボール代表・中垣内祐一さん
名字から由来するニックネームは「ガイチ」。現役を退いた今でも、このニックネームが多くのファンの間で定着している。 身長194センチ、体重94キロ。ジャンプの最終到達点は346センチで、最盛期のジャンプ力は1メートル以上あったといわれていた。 筑波大学在学中の1989年、全日本男子代表に初めて選ばれ、その年のワールドカップにも初出場した。 翌90年、実業団の新日鉄に入部。その後、90年代を代表する男子バレーボールのスーパーエースとなった。 92年のバルセロナ五輪にも出場、数多くの国際大会を経験するが、00年のシドニー五輪は逃してしまった。「何のためにこれまでバレーボールをやってきたのか、それを思うと、途端に力が抜けてしまった」と、中垣内はその時のことを述懐する。 その後は全日本男子の代表を退き、新日鉄堺の一部員として活動を続けた後、04年に現役を引退。その年にプレミアムリーグの「堺ブレイザーズ(旧・新日鉄堺)」監督に就任した。 第12回(05年〜06年)シーズンに優勝したものの、その後は6位、4位、3位と優勝できず、今年5月に監督を辞任した。 現役時代の個人タイトルは多かった。90年の新人賞をはじめとして、Vリーグと前身の日本リーグで最高殊勲選手賞を3回、ベスト6を9回、敢闘賞と猛打賞をそれぞれ3回ずつ獲得。日本のエースとして君臨した。 今夏からはアメリカのアナハイムに拠点を置き、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員としてアメリカの男子ナショナルチームで修業中だ。「世界の厚い壁を打ち砕くための選手の育成が私に与えられた使命です」 ガイチがその結果を発揮する時、男子バレーが世界の頂点に立つだろうという関係者の期待は大きい。◎実業団で指導をし育成に力を入れる 今年の夏からJOC(日本オリンピック委員会)スポーツ指導者海外研修員として、2年間海外に派遣されている。先のコペンハーゲンで行われたオリンピック開催地発表会見の会場で、候補地・東京が落選した時、中垣内が悔しそうな面持ちをしていたのを映像で見た人も多いだろう。 日本代表としては92年のバルセロナ五輪をはじめとして90年、94年、98年の世界選手権、そして89年、91年、95年のワールドカップに出場という輝かしい経歴を残している。 67年11月2日、福井市生まれ。福井県立藤島高校から筑波大学へ進学した。 現在、日本ビーチバレー連盟会長を務める川合俊一は全日本の先輩で、春高バレーの解説で絶叫する川合に対し、冷静に分析・解説する中垣内は評判を呼んでいる。 実業団で指導し、男子バレーの育成に尽力している中垣内。片や川合はかなりタレント的なところがあり、このあたりも好対照である。
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トレンド 2009年10月19日 15時00分
仮面ライダー アクセル全開
今日はCS放送モンド21「パチンコ激闘伝!実戦守山塾」のロケ日です。対戦ホールは東京都八王子市のグランドPステーションさん(3.5円交換)さん。そして達人ゲストはモンド21「パチンコ新台ナビ」のナビゲーターなべっちさんと実力派女性パチンコライターの岩崎紘子さんです。実は塾生の初美ちゃんが残念ながらお休み…ということで急きょ、達人おふたりに出演願いました。今回の実戦は3人で頑張ります! それでは前半戦の模様をご紹介していきましょう。 この日は仮面ライダーの新装初日ということもあって開店前の整理券配布の時には100人以上のお客さんが並んでいらっしゃいました。そして入場順番を決める抽選券を引くと、なんと「5番」という文字が…! 何度も言うようですが、この番組はホールのサービスもヤラセも一切なしのドキュメンタリー番組です。それだけにうれしさもひとしお。これで新台の仮面ライダーが確実に打てることとなりました。その後、開店入場を果たすと一目散に仮面ライダーコーナーへ。そしてしっかり台選択を行ってから1台に着席です。台選択理由は素直に命クギが広く見えた台。初打ちですので今日は勉強する気持ちでいろんなストロークを試したいと思います。 一方、達人のおふたりは40番以降の入場で岩崎さんは「天国の階段」を選択して、なべっちさんは「地中海」のミドルタイプを選択。お2人ともパチンコでの生涯収支はもちろんプラスの達人です。今回の3人はそれぞれ異なる機種で勝ち方や立ち回りを指南しておりますので、ぜひご注目ください。 この日の初当たり1番手は地中海を打つなべっちさん。普段から良く打つ得意機種だそうで、この日も開店から順調に出玉を伸ばす展開でした。また岩崎さんも2番手で大当たりを果たすと…これが大連チャン! すでに10連チャンを越えていて、なおかつ確変中。もしかして21連以上で発生するスペシャルエンディングが見られるかも!? ここは期待しましょう。 一方、初当たりに苦戦したのは私です。マックスタイプの爆裂機種ですからねぇ…。少々のハマリは覚悟しておりましたが、達人2人が絶好調のスタートを切る中で1人置いてけぼりを食らった感じ。でも回転率は1万円を投資して236回転の1000円23回転レベル。出玉調整が悪くないことを考慮すると今日は全ツッパでしょう。 すると「これ」といった強い予告もないままに本郷VSリーチに発展したかと思いきや、ライダーベルトが落下してさらに仮面ライダー1号に変身! めったに出ないアツい演出に「頼むよ〜間違えちゃえ!」と祈りを込めると大当たり! 当てた本人もホントにびっくりでしたね。結果から言うと、この初当たりが10連チャンもしてくれてドル箱の一気積みに成功したんですけど、10連チャンを消化するのにかかった時間はわずか40分。このスピード感はヤミ付きになりそう。それと何よりも確変中は仮面ライダーが強いのがうれしいですね。正義の味方が負けてばかりでは、世の中悪人ばかり。今後も強い仮面ライダーでいてほしいものです。 さて今回は三者三様で異なる機種を打つことになった実戦守山塾。果たして守山アニキは絶好調の達人達についていけるのか? この続きはぜひオンエアでお楽しみください。*大当たりα回*稼働8時間*収支±α円*週間稼動データ (10/5〜10/10)10月5日(月)本記参照*大当たりα回*稼働8時間*収支±α円6日(火)相川七瀬で3箱になった出玉を持って仮面ライダーへ。初当たりが2回も取れたのに…2連&3連で持ち玉は消滅…。でも仮面ライダーの連チャン中は楽しい!!*大当たり18回*稼働10時間*収支-25000円*7日(水)仮面ライダーで負けてしまったことを反省して相川さんの1本勝負! まぁ今はこの機種を打つのが得策に感じています。*大当たり36回*稼動10時間*収支+64200円稼働なし。8日(木)「旬台!守山ブラあざぁ〜っす!」のロケ。実戦機種はもちろん「CR相川七瀬」です。旬台という番組名にピッタリの実戦ができて大満足!*大当たりα回*稼働8時間*収支±α円9日(金)朝からもちろん相川さん。本日の最高連チャンは5連チャン。持ち玉消滅にてお帰りです…*大当たり5回*稼動4時間*収支-12000円10日(土)相川七瀬さんの大当たり消化をしていると麻雀のお誘いを頂いて麻雀大会に突入。パチンコ打ってサウナに入って麻雀大会とは…贅沢ですよねぇ(笑)。*大当たり8回*稼働4時間*収支+4200円<プロフィール> 守山アニキ(もりやま・あにき)「納税するパチプロ」として業界ではつとに有名。スカパー279chモンド21の「パチプロ奥義伝承! 実践守山塾」や専門誌「パチンコ必勝ドリームス」(総合図書)などメディア露出多数。また、HP「熱闘!守山塾」(http://pachibaka.blog88.fc2.com/)で公開される数々の立ち回り術は全国のファンに注目されている。ペンネームの名付け親は有名パチプロ・安田一彦氏。
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社会 2009年10月19日 15時00分
鳩山首相“田園調布セレブ援護隊”結成か
鳩山由紀夫首相(62)は18日、幸夫人(66)と一緒に私邸のある東京・田園調布の公園で開催されたイベント「第2回田園調布グリーンフェスタ」に参加した。過去最大規模に膨らんだ来年度予算の概算要求総額の削り込みを急ぐ中、随分とのんびりしているようにもとれる。しかし、そのウラには財界人らを味方につける“田園調布セレブ援護隊”結成の狙いが透けて見える。 時の首相がこの手のイベントに参加するのは九分九厘、庶民派をアピールするパフォーマンスとみていい。しかし、今回の鳩山首相には、別の明確な目的があったのではないかと指摘するのは永田町関係者。 「素直に考えればご近所付き合いのコミュニケーション。首相就任後は各種マスコミが朝夜かまわず田園調布の私邸周辺をうろうろするようになったから、迷惑に感じていた住民も少なくなかった。ここはひと言お詫びしてしかるべき、との見方もできる。しかし、首相は28日には官邸そばの公邸に引っ越すことが決まっており、この先はそれほど騒ぎにならないはず。つまり、引っ越し前に、有力な政財界人が多く住む田園調布でご近所付き合いを深めたかったのではないか」 午前10時半すぎ、夫婦連れだって田園調布せせらぎ公園を訪れた首相は、今回でまだ2回目のイベント「田園調布グリーンフェスタ」を約1時間かけて満喫した。ファッションがまたふるっていた。白をベースに黒と薄紫色のストライプをあしらったシャツは、襟ぐりと袖だけ白でアクセントをつけた“セレブ”ふう。スペイン帰りの商社マンのようだった。 首相は「みなさんと接触する機会は政治家にとって一番の楽しみ」と語り、子どもたちと写真撮影したり、花の苗を購入したりした。 同イベントは地元の自治会連合会主催で、地域の連帯促進や活性化が目的。首相はあいさつで「田園調布に住み、何か町のためにもと思いながら、ご迷惑ばかりかける日々」と恐縮しながらも、「皆さんとの触れ合いでもっと自慢できる田園調布をつくっていこうじゃありませんか」と呼び掛けた。 その後は公園を約1時間かけて歩き回り、園芸セミナーやこまなどの遊び方を教えるコーナーに立ち寄って、気軽に握手にも応じた。 頭の中は総額95兆380億円に膨らんだ来年度予算の一般会計の概算要求を削減することでいっぱいだったに違いないが、そんな心中を見せないのがセレブの証。地元の輪に飛び込んだ首相の印象が悪いはずがない。田園調布の住民には、大手企業のトップクラスをはじめとする有力財界人が多く、連帯感を醸成するうえでもいい顔見せとなった。どこまで“援護”があるかはわからないものの、田園調布の住民の好感度アップは間違いなしだろう。
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トレンド 2009年10月19日 15時00分
歌手に歴史あり 演歌歌手・井上由美子 シンデレラ苦闘の履歴書
新曲「哀愁半島」が好調の演歌歌手、井上由美子(33)。03年に文化放送「走れ!歌謡曲」35周年記念演歌歌手オーディションでグランプリを獲得、翌04年にデビューした“シンデレラ”。だが、栄冠に至る道筋は長く険しいものだった。 「15歳のとき歌手になりたくて大阪から上京したんです。チャンスがいっぱいあると思って」 近所のカラオケボックスでアルバイトをしながら、深夜にひとりで歌を練習していたという。 「何のアテもないまま上京したので、歌手になるなら先生に弟子入りしなきゃと思っても、どこに行けば会えるのかすら分からなくて。オーディションを受けるにもアイドルばっかりで演歌なんてどこにもない。年齢制限もあるし、だんだんあせってきて、こんな生活が何年も続くうち“歌手なんて無理なのかなぁ”なんて思ったことも」 そんな折に見つけたのが「走れ!〜」のオーディション。さっそくカラオケボックスで歌を録音し、履歴書と一緒に送った。しかし、応募するかギリギリまで悩んだという。 「年齢が条件を超えていたんです。けど、これでダメならあきらめようってイチかバチか応募してみたら、書類審査も予選も通過して関東地区代表に。年齢をごまかさず正直に書いた、その人間性が見えて良かったって」 1000人以上の応募者から関東地区を勝ち上がり、決勝に臨んだ彼女。 「出場者はセミプロの方ばかり。先生と“頑張ろう!”なんて励まし合って、昼食もソコソコに衣装にビシッと着替えてメークもバッチリ。それに引き換え私は普段着、しかも最後までひとりお弁当を食べてました(笑)。 審査員の方も同じ控室で、そのあたりも見られてたんでしょうか」 優勝し、プロの歌手としてデビューし、運命が一変したという彼女。 「20日の『NHK歌謡コンサート』(午後8時)に出演します。私の歌う姿を、ぜひご覧ください」