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その他 2016年05月29日 15時00分
【幻の兵器】完全に時代を先取りしていた優れた機動力を持つキャタピラ式輸送車両「一式装甲兵車」
太平洋戦争において、アメリカのハーフトラックはトラックと同程度の機動力しか発揮することができず、軍関係者を失望させた。戦後、アメリカ軍は地形的制約の厳しいアジアで、機動歩兵の運用は不可能と判断した。しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争を経て、アメリカも1970年代にはアジアで機動歩兵が運用可能であることを知る。 ところが、アメリカよりも30年以上早い1930年代において、既に日本はアジアで機動歩兵運用の見通しを持っていた。日本軍がアジアで機動歩兵の運用が可能であると判断したのは、アメリカのハーフトラックとは比較にならないほど優れた機動力を誇る輸送機材を開発していたためである。その輸送機材とは、一式装軌自動貨車のことに他ならない。この一式装軌自動貨車は優れた機動力を持つキャタピラ式輸送車両で、エンジンとラジエーターを車体前面に配置した設計は非常に革新的であり、完全に時代を先取りしていたのである。 八九式中戦車の量産を開始した日本陸軍は、次の段階として機械化部隊の編制に着手した。機械化部隊を編制したといっても、単に戦車を集めて指揮官を定めただけでは部隊にならない。当然ながら随伴する歩兵や火力支援を提供する砲兵は必要だし、整備や通信、工兵といった支援部隊も必要である。そのため、日本陸軍は1933年に当時最新鋭の九○式野砲を車両牽引可能とした機動九○式野砲を開発し、さらに歩兵や支援部隊の機動展開を可能とする装軌自動貨車の開発試作にも着手した。 加えて1934年には独立歩兵第一連隊や戦車第四大隊、独立野砲兵第一大隊、独立工兵第一中隊などから、日本初の機械化諸兵連合部隊である独立混成第一旅団を編成した。機械化部隊と名乗るだけあって、独立歩兵第一連隊をはじめとする歩、砲兵部隊は完全に自動車化され、工兵中隊には開発されたばかりの装甲作業器が配備されていた。翌35年には戦車第三大隊が編制に加わり、砲兵大隊も1個中隊が増強されて4750名の将兵と750両の車両を擁する大部隊へと成長している。 機械化諸兵連合部隊といっても中核となったのは各師団から選抜した将兵から新たに創設された独立歩兵第一連隊で、戦車第三、第四大隊は歩兵を支援するのが目的だった。日本陸軍が創設しようとしていたのは、戦車によって敵陣地を突破した後に歩兵が前進するという戦術を実行するための部隊であると見て、ほぼ間違いないだろう。ともあれ、そのきっかけがなにであったとしても、前進する機動歩兵という発想は非常に優れていた。だが、せっかく芽生えた先進的な発想も、軍上層部の誤断によってつみとられる。 日本は1937年に中国との間で大規模な武力衝突を引き起こし、同じ年には独立混成第一旅団は北京の西方で実施されたチャハル作戦に参加したのだが、参謀でありながらなぜか作戦の指揮を執っていた東條英機中将(当時)は戦車部隊を第五師団へ派遣し、歩兵連隊は第二六師団と行動を共にさせるなど、部隊の統一性を全く無視した運用を行った。その結果、当然のように独立混成第一旅団はほとんど活躍できず、陸軍部内では機甲部隊無用論が大勢を占めるに至ったのである。翌1938年には独立混成第一旅団が解隊され、日本陸軍最初の機械化部隊は消滅した。そして、独立混成第一旅団の運命は、装軌式自動貨車の開発にも大きな影響を与えることになる。 独立混成第一旅団創設前年の1933年に、自動車工業株式会社(石川島自動車製作所とダット自動車が合併して誕生した国策企業)は日本初のキャタピラ式輸送車両である試製装軌自動貨車を完成させた。試製装軌自動貨車はTC車とも呼ばれ、走行性能には見るべきものがあったが、車体後部にラジエーターがあるために側面からしか荷物の積み卸しができなかった。その後、翌34年と35年には改良を加えた試作車(TE車とTG車)が完成し、様々な試験を行っている。 当時は欧米諸国でも全装軌式輸送車両はほとんどなく、ロシアのアレクサンデル・ケグレスが開発し、その後フランスが中央アジア探検などに使用していたハーフトラックが有望視されていた。初期のハーフトラックは文字通りトラックの後半をキャタピラ化した車両で、自動車工業の発達していた欧米諸国においては比較的低いコストで生産することが可能だった。だが、当時のハーフトラックはステアリングを前輪でのみ行っていたため、小回りが利かない上にわだちや軟弱地にハンドルをとられることが多かった。 自動車工業が未発達だった当時の日本にとっては、ハーフトラックでも十分に高価な車両であったから、不整地走行能力に勝るキャタピラ輸送車を研究、開発するという判断は非常に優れていたといえる。実際、なにかあればすぐ欧米の流行を無批判に取り入れたがる日本陸軍の中にあって、ヨーロッパを中心に流行していたハーフトラックを避け、装軌輸送車両の開発を推進した開発陣の先見性は十分に評価されるべきだろう。 最終的に、試作車両は試製九八式装軌自動貨車へ発展し、少数が生産されたうえで一部が実戦部隊に配備された。だが、独立混成第一旅団が解隊されたこともあり、自動貨車は試作のまま開発中止となった。つまり、兵器の開発という点においても、進歩的な発想の芽はつみとられたのである。 ところが1939年にドイツ軍がポーランドを電撃的に征服し、機械化部隊の威力が誰の目にも明らかになると、日本陸軍は再び装軌式輸送車両に興味を示し始める。太平洋戦争開戦後の1942年には試製九八式装軌自動貨車を改良した車両を一式装軌自動貨車として制式採用し、新たに編成した戦車師団に配備している。さらに陸軍は兵員輸送車も整備することとして、同じ年には一式装軌自動貨車の変形である一式装軌兵員輸送車も完成させている。これらの車両は満州と本土、フィリピンに少数ずつが配備された。だが、強力な米軍を相手にしたフィリピンでは機動戦どころか反撃さえままならない有り様で、ほとんど活躍できないままに破壊されていった。 とはいえ一式装軌自動貨車は日本軍が研究してきた装軌式輸送車両の集大成であり、性能的には第二次世界大戦中でもトップクラスといえる。特に兵員室と動力、冷却器の配置については兵員や搭載物の積み卸しもしやすく、完全に世界の最先端を行く設計だった。だが、いかに優れた兵器であっても生産数がわずかでは戦力にならない。対照的に、アメリカのハーフトラックのように少々見劣りする部分がある兵器でも、短期間に数万の単位で前線へ投入することができたのならば、それは十二分に戦力となるのである。 (隔週日曜日に掲載) ■データ 一式装甲兵車 ホキ 重量:6.5t 寸法:全長4.78m、全幅2.19m、全高2.51m 動力:ディーゼルエンジン134馬力 性能:最大速度:42km/h 航続力:300km 兵員輸送能力:12〜13名
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スポーツ 2016年05月29日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND3 〈ジャンボ鶴田の偉業〉 AWA王者として全米ツアー
本場アメリカで最も活躍した日本人レスラーは誰か。人によって評価の基準は異なろうが“格式”という点ではジャンボ鶴田だ。 世界三大タイトルAWAのメジャー王者としてベルトを巻いただけでなく、米国内でツアーまでこなした日本人は、これまでに鶴田ただ1人なのである。 鶴田ほどに現役当時の実力と人気が乖離していたレスラーはいないだろう。 アメリカにおいての人気や知名度ではグレート・ムタやババ・ザ・ジャイアント(ジャイアント馬場)に引けを取るかもしれないが、鶴田はメジャー王者だったのだ。王者として巡業することは、つまり団体の命運を握ることであり、その責任の重さは計り知れない。 そのAWAのベルトを奪取したのが1984年2月23日、蔵前国技館でのニック・ボックウィンクル戦。鶴田の持つインターナショナルヘビー級王座とAWAの二冠戦として行われた。 鶴田がそのインター王座を獲得した前年8月のブルーザ・ブロディ戦で、師匠の馬場は「今日からおまえがエースだ」と勝利を讃えている。 それでも当時は、まだまだ“馬場の全日本”であり、タイガーマスクや維新軍などの新風に沸く新日本とは、大きく水を開けられていたのが実情だった。 鶴田を確固たるエースとしてファンに認めさせるには、それまでの海外一流選手と好勝負はしても勝ちきれない、“善戦マン”との評価を変える必要があった。 そのためにまず行われたのが、ルー・テーズによる“へそで投げるバックドロップ”の伝授であり、続いてのインター王座獲得。そうして迎えたAWA戦は、鶴田にとって必勝が義務付けられていたといっても過言ではない。 「ただし、いくら世界戦とはいえ、ニックと鶴田で大会場を埋めるのは難しいというのが会社の判断で、特別レフェリーには前年に引退試合を行ったテリー・ファンクが配された。さらに、セミファイナルでは、天龍源一郎とリッキー・スティムボートのUN世界王座決定戦も組まれました」(元・全日関係者) ちなみにこのUN王座はデビッド・フォン・エリックが保持していたが、防衛戦のため来日した直後に急死。急きょ決定戦に変更されて、天龍悲願の初タイトル獲得となっている。 メーンの鶴田vsニックは30分を超える熱戦となった。ニックの執拗な腕攻めなど老獪なテクニックに翻弄されながらも、鶴田は随所にパワーを発揮し、最後はテーズ直伝のバックドロップで仕留めてみせた。 鶴田の完勝によるAWA奪取と、その3日後の大阪での防衛戦は、ファンにとって意外なものだった。 「たとえ鶴田が勝っても、特別レフェリーのテリー絡みのトラブルで“タイトル移動がなくなるのでは?”との予測が外れたのがまず一つ。さらに2度試合が組まれていることから、馬場のNWA王座と同様、もし獲っても“すぐに陥落するレンタル王者に終わるのでは?”との見方です。いずれも杞憂に終わりました」(プロレスライター) この直後からアメリカに渡って3度の防衛戦をこなすと、帰国してさらに3戦。再度アメリカでツアー参戦し、5月にリック・マーテルに敗れるまで計16度の防衛を重ねることになる。 今に至るまで日本人プロレスラーの誰も成し遂げたことのない、まさに偉業である。 この米国防衛ロード、全日本側には鶴田格上げのためとの明確な理由があったが、ではAWA側が、なぜ未知数の日本人を王者に迎えたのかといえば、それにも理由はあった。 「80年代に入り激しさを増したWWFの攻勢に、AWAは大きな危機感を覚えていた。それでテリトリーを日本にも拡大しようという意図から、鶴田を王者に抜擢したわけです」(同) ところが、そんな両者の目論見はもろくも崩れる。 まず、当初の予定で鶴田は日米を股にかけ、長期王者として君臨するはずだったが、あまりのアメリカでの不人気で、その予定を変更せざるを得なかったのが誤算だった。 「異国人の鶴田ではベビー(善玉)は張れないし、かといって分かりやすいヒール(悪玉)でもない。アメリカの試合ではレフェリーの隙をついたラフファイトを見せたり、それを注意されるとリック・フレアーばりの『NO! NO!』もやりましたが、やっぱりそれだけでは受け入れられませんでした」(同) さらに国内では、長州力率いるジャパンプロレスの全日参戦が始まり、そちらに注目が集まることになる。その長州とのシングル戦で、鶴田は余裕の戦いぶりで格上感を見せつけたものの、逆に“本気を出していない”とファンの反感を招いたりもした。 また、AWAもWWFの大量引き抜きにより弱体化。日本では新日本とも提携するなど存続を模索したが、1991年には事実上の活動停止を余儀なくされた。
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芸能ネタ 2016年05月29日 13時54分
嵐・松本潤主演ドラマ「99.9」で、業界人から注目のラーメンズ片桐仁
ジャニーズ人気グループ「嵐」の松本潤が主演しているTBS系ドラマ「99.9−刑事専門弁護士−」が高視聴率を連発しているが、「ぜひ使いたい」とドラマのオファーが殺到しているのがラーメンズの片桐仁だという。 片桐は、弁護士の松本を支えるパラリーガルという法律事務職員を演じている。刑事専門弁護士という硬めの題材ながらも、片桐は目を開けたまま寝てみたり、地面にうつぶせになる「土下寝」などユニークなアクションで笑いを起こしている。「あの演技はほぼ、片桐さんのアドリブです。台本なんかでは『寝る』としか書いてないけど、目を開けたまま寝ている片桐さんを見て、監督が面白いと即採用。そういう“遊び”の部分では松本さんや香川(照之)さんも楽しんで絡んでいます」とは制作会社関係者。 芸人ならではのアドリブセンスに他のテレビマンも注目している。「さすがに主演にはなりえませんが、もともと業界内には『ラーメンズ』の笑いが好きという人は多いんです。片桐さんのところには、このタイミングならばと、次のドラマの話とかいろいろ入ってきているようです。一服の清涼剤としては面白いですからね。とはいっても、元はお笑いですから。事務所のほうも基本はお笑い優先で仕事をしていかないといけないと、うれしい悲鳴を上げているようです」とある芸能プロ関係者。 お笑いタレントは器用といわれているが、お笑いのジャンルからまた新たな俳優が生まれそうだ。
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芸能ニュース 2016年05月29日 13時23分
中村橋之助、8代目中村芝翫襲名に感慨「父に恩返しができる」
今秋、8代目中村芝翫(しかん)を襲名する歌舞伎俳優の中村橋之助が28日、都内で襲名を祝う会を開いた。橋之助の襲名とともに長男の中村国生が四代目中村橋之助に、次男の中村宗生が三代目中村福之助に、三男の中村宜生が四代目中村歌之助にそれぞれ襲名することになり、橋之助は「父が他界して5年。何も親孝行することができなかったのですが、8代目を襲名して改めて父に恩返しができるのかなと思いました」と心境を述べた。 2382人の出席者を集めて行われたこの襲名を祝う会。会場には松本幸四郎、市川染五郎、市川海老蔵、市川猿之助、中村吉右衛門、尾上菊之助、中村獅童ら歌舞伎俳優のほか、秋元康、北大路欣也、名取裕子、原辰徳、松たか子、水谷豊、佐藤浩市、岩城滉一ら各界の著名人も多数来場。途中、坂田藤十郎らが祝辞を述べ、映画監督の山田洋次が乾杯の音頭をとった。 会の後に報道陣の取材に応じた橋之助は「芝翫という名にはまだ慣れないです。昨日までは橋之助でしたからね。今日お客さんの中に入ったら改めて『芝翫さん』と呼んでくれる人がいて、鳥肌が立ちました」と感慨深げ。親子襲名については「歌舞伎界でも初めてのことじゃないですかね」と話し、「(尾上)菊五郎お兄様のところにいったら『一人でも大変なのによく息子まで』って言われました」と照れ笑い。 また、会の開催に当たっては夫人で女優の三田寛子の尽力があったといい、「このパーティに向けてうちの女房が本当に頑張ってくれました。この何日か寝ていないんじゃないですかね」としみじみ。10月に襲名披露の興行を控えるが、「責任は大」と話すと「8代目芝翫は自分だけのものではない。歌舞伎のためにも今後尽力を尽くすのが使命だと思っています」と改めて意気込みを述べた。 父の橋之助の名を継ぐ長男の国生は「僕が歌舞伎役者になったのは父の背中を見ていたから」とコメント。「父の橋之助に足すだけでなく、自分なりの橋之助になれるように頑張ります」と話していた。(取材・文:名鹿祥史)
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スポーツ 2016年05月29日 13時13分
新奪三振王・岩貞「覚醒」にアノ人のアドバイスが!?
セ・リーグ奪三振(70個)、防御率(0.88)ともにリーグ2位(5月27日時点)。対戦チームのスコアラー、プロ野球解説者がこぞって『成長』を認めるのが、3年目の阪神・岩貞祐太投手(24)である。 「前年オフの台湾ウインターリーグで好投したので、阪神首脳陣はある程度は期待していたはず。金本監督(知憲=48)が就任した当初、チームの弱点は先発投手の頭数が不足していたことでした。5人目の先発ローテーション投手として期待していたのは、岩崎(優=24)だったはず。岩貞の成長は良い意味で計算外でした」(球界関係者) 岩貞は昨年、一昨年ともに1勝しか挙げていないが、今年はすでにチームトップの4勝を挙げている。投手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「(対戦打者の)外角にキレのあるストレート、チェンジアップ系の変化球を決め込んでいる。緩急と、外角球のコントロールがバツグン」 岩貞の外角球が成長の証とも言えそうだ。 春季キャンプで臨時コーチを務めた下柳剛氏が『腕の振り』についてアドバイスを送っていた。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチはストライクカウントを想定し、実戦を意識させた投球練習を課していた。 しかし、その外角球が『一流の武器』と化したのは、岩貞自身が「外角球の脆さ」を痛感したからだという。矛盾するような話だが、岩貞は外角球を生かすため、内角球を磨いたのだ。話は昨年9月15日の二軍戦に逆上る(対福岡ソフトバンク戦)。同日、岩貞は登板のチャンスをもらったが、ものにできなかった。松中信彦に2打席連続の本塁打を食らったのである。 関係者によれば、その松中が岩貞に直接電話を入れたそうだ。 「左バッター(を攻める)には内角球も必要」 おそらく、知人を介して岩貞の連絡先を調べたのだろう。岩貞がどう返したかは分からない。しかし、一般論として、インコースを攻めるときの投手心理では「ぶつけないように」と考えてしまい、どうしても腕の振りが悪くなる。腕の振りが悪くなれば、ボールのスピード、キレが落ちる。外角にどんなに優れたボールを投げられたとしても、一辺倒では相手打者は踏み込んできて強打する。その後、岩貞は投球練習ではインコースを意識するようになったという。 下柳氏、矢野コーチの助言や指導は、内角を意識していた岩貞に合致したのである。 4月2日の初登板だった(対DeNA)。6回裏二死走者なし。打席には筒香嘉智が立っていた。前の2打席はともに安打を許している。カウントは3ボール1ストライク、岩貞は捕手のサインに首を振ってから内角球を放り、最後は得意の外角球で見逃し三振に仕留めた。内角球があったから、外角球が生かされた。松中と同じ左打者の筒香を抑えたことが、自信につながったのだろう。(一部敬称略)
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スポーツ 2016年05月29日 13時05分
超変革野球で救われた阪神フロント
『超変革』をスローガンに掲げた金本阪神は“初づくし”である。<プロ初安打> 高山俊 3月25日 横田慎太郎 同26日 岩貞祐太 4月2日 北條史也 同3日 陽川尚将 同15日 原口文仁 同27日 板山祐太郎 5月1日<プロ初勝利> 横山雄哉 5月4日 初安打、初勝利を見ただけでも、若手の台頭は明らかだ。このほかにもプロ初本塁打などもあるのだが、北條の成長が興味深い。 北條史也(21)は2012年ドラフト会議で2位指名された。同年1位は藤浪晋太郎である。2人を比べるつもりはない。しかし、北條が指名された12年オフ、阪神は西岡剛(31)を獲得している。正遊撃手・鳥谷敬(34)も健在であり、二塁手、三塁手の控え選手層にしても決して薄いわけではなかった。高校屈指の好打の遊撃手を育てる気が本当にあるのか…。坂本勇人(27=巨人)がプロ2年目の08年に開幕スタメンで起用され、チームの中核選手に成長した前例も、ファンの脳裏に過った。まして、坂本と北條は同じ光星学院高の出身である。 ライバル球団のスカウトが「阪神全般」と前置きし、こう評していた。 「磨けば光る原石をしっかり指名してくるチームなんです。ただ、他球団が4位以下での指名を予定していた選手を上位指名することもあるので…」 “将来性重視”の指名方針は間違っていないが、選手の補強はドラフトだけではない。阪神がトレードを仕掛けると、相手球団から「交換要員で欲しい選手がいない」と断られることも少なくなかったという。将来性重視のドラフトを続けた代償だろう。 一方で、こう評する声も聞かれた。 「実は、阪神にはオフの度にトレードが殺到する控え選手がいたんです。今季プロ12年目で初の開幕マスクを任された岡崎太一ですよ。二軍暮らしが長かったとはいえ、岡崎は練習態度もマジメで、ブルペンに毎日入り、投手の練習相手も務めてきました。決して肩も弱い方ではないし、『使わないのなら』と水面下で探りを入れる球団も多かった」(在阪球団スタッフ) 北條は入団と同時に、対鳥谷という『大きな壁』を与えられた。西岡加入により、遠回りも余儀なくされたが、30代のこの2人が故障や不振で苦しんでいる今季、その存在がクローズアップされた。レギュラーとは与えられるものではない。とはいえ、実戦に放り込んでやらなければ成長しない。金本知憲監督の超変革によって、スカウト・編成部門のスタッフも「俺たちは間違っていなかった」と安堵しているのではないだろうか。
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アイドル 2016年05月29日 12時47分
アイカレとツーマンライブでコラボ曲熱唱! MAPLEZが精力的にライブする理由を直撃
アイドルグループ「MAPLEZ(メイプルズ)」が27日(金)、東京・渋谷の「恵比寿CreAto」でツーマンライブ「MAPLEZ CHALLENGE !! -アイドルカレッジ- @渋谷」を行った。アンコールでは、MAPLEZがアイドルカレッジの楽曲「常夏女子希望」でコラボするなど会場を沸かせた。 MAPLEZは、2013年結成の広島を拠点に活動しているアイドルグループ。劇場型カフェに所属する20人以上のキャストから選抜されるメンバーは小泉明音、矢野美優、香山紗英、川原亜美、天野名雪、城谷るり、櫻木ゆう子、丸本遼の8人(この日は、城谷、丸本は不参加)。香山は「EDMやダブステップのいいところを集めながらも、オリジナリティのある楽曲がウリです」とグループの特徴を明かす。サウンドプロデューサーには、結成時から一貫して広島の新進気鋭楽曲制作ユニット「Oscillophone(オシロフォン)」のマツモトマサヤ氏を起用。その楽曲は、そのときの流行で楽曲の印象が変わることない一貫したものになっている。また、振り付けには、HDC/広島ダンスカンパニー代表のMIKKA氏が担当。「フォーメーションダンスではどこのアイドルさんにも負けない」(天野)と胸を張る。 昨年暮れに「ひろしまMAPLE★S」から改名し知名度も全国区になりつつあるMAPLEZだが“挫折”も__。矢野は「1月に赤坂BLITZでワンマンをやったときには、大きなステージにお客さんを巻き込みきれなかった。大きいハコを自分たちが支配しきれなかった」と語る。香山も「惜しいトコまで行っているのに、なかなか一線を超えられなかった」と悔しい胸の内を明かす。その悔しい経験をふまえて、ライブを重ねていくことで“超えて”いきたいという。今回のアイカレとのツーマンも「対バンのアイドルさんのいいところを吸収していこう」(メンバー)という貪欲さの一環だ。MAPLEZ主催の対バンライブも今回が10回目となる。 川原は「私たちは苦手のMCなんですけれど、ツーマンで共演するグループさんを見て勉強になっています」。矢野は「ひめキュンフルーツ缶さんは、お客さんを見てその場その場でアレンジしたアオリ方をしていて参考になります」。櫻木も「MC強化期間でしゃべる機会が増えた」と自身の成長を語った。共演したいアイドルについて聞かれるとメンバーは、PiiiiiiiNやBiSH、虹のコンキスタドールを挙げた。 MAPLEZは、7月23日(土)からCLUB QUATTROツアー「MAPLEZ CLUB QUATTRO TOUR 2016 -RUMBLING, PULSATION-」を予定。現在イープラスにて「QUATTRO WEB先行(2次先行)」を行っている。またツアーに向けた3か月連続東名阪定期公演「MAPLEZ CHALLENGE !! -東名阪単独公演-」が5、6、7月に開催される。
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アイドル 2016年05月29日 12時39分
笠原桃菜と清野桃々姫は打ち破れるか「ハロプロ研修生 公開実力診断テスト」最多得票者のジンクス
毎年、春の恒例イベント「ハロプロ研修生 公開実力診断テスト」。中野サンプラザに駆けつけたファンから最も多くの得票数を集めたのは、笠原桃菜と清野桃々姫のふたり。すでにこれだけ支持されているのだから、近々のデビューは決まったも同然かと思いきや、受賞したふたりには嬉しくない、ジンクスも…。 アイドル業界の第一線を走り続けてきたHello! Project。その未来を担うのが「ハロプロ研修生」だ。2004年に「ハロプロエッグ」として誕生。2011年の「ハロプロ研修生」への改称を経て、現在までに数多くのハロプロ正規メンバーを輩出してきた。 現役メンバーを見るだけでも、モーニング娘。'16にはリーダーの譜久村聖を筆頭に5人(12人中)、アンジュルムには和田彩花をはじめ6人(9人中)、Juice=Juiceには宮本佳林など4人(5人中)、カントリー・ガールズに4人(7人中)、こぶしファクトリーは8人全員がハロプロ研修生(ハロプロエッグ)出身。ハロプロ研修生内ユニットとしてメジャーデビューが待たれるつばきファクトリーも、6人全員が現役ハロプロ研修生だ。ハロー!プロジェクト・キッズから誕生した現在5人組℃-uteを除き、全グループに「元(現役)研修生」が所属。全体では、つばきファクトリーを含めたハロプロメンバー52人中33人、実に6割を占めていることになる。 もちろん、人数だけではない。研修期間を経て正規グループのメンバーに選ばれただけあり、元研修生には、いわゆる「スキルメン」が多い。まさしく現在のハロー!プロジェクトの核であり、パフォーマンスの屋台骨となっているのが、彼女たちなのだ。 それだけに、現役研修生たちの実力や可能性が生で見られる定期公演「ハロプロ研修生 発表会」(旧新人公演)や、バックダンサーとしての先輩グループのツアー帯同などにはハロプロファンの熱い視線が集まる。そのなかでも、「未来のハロプロ」を占うという意味で特に注目されるのが、2013年からスタートした「春の公開実力診断テスト」だ。 日頃の発表会では、数人のユニットや全員によるグループパフォーマンスが中心で、ソロの大役を任される者はごく一部。一人ひとりの力をつぶさに見ることは難しい。公開実力診断テストでは、研修生メンバーがひとりずつパフォーマンスを披露。真の実力が明らかになるのはもちろんだが、「大勢のなかのひとり」のときには見つけられなかった魅力の“種”を発見することも多い。 研修生たちは、自分で選んだ衣装を身にまとい、自分で選んだ楽曲で勝負する。単なるファッションセンスや楽曲の好みだけではなく、自分の魅力をより引き出す「セルフプロデュース」の力も試されているのだ。現時点の実力に合わないバラードなどをチョイスするよりは、アップテンポなアイドルソングで元気さをアピールした方が好印象を与える場合もある。 公開実力診断テストの最大の特徴は、タイトル通り、客席のファン一人ひとりにも研修生のパフォーマンスや将来性を評価する機会が与えられている点だ。来場者にはひとり一票ずつの投票権が与えられ、テストに参加した研修生全員のパフォーマンス終了後、会場内に設置された投票箱に自ら選んだメンバーの名前を投じていく。 長いハロプロの歴史を振り返れば、「なぜ、この子をオーディションで落としたんだ!?」「彼女はモーニング娘。に欲しかった!!」というリクルーティングに関する不満の声は少なくない。ファンにとっては自分たちの生の声を運営サイドに届けるチャンスとなり、事務所側にとってもユーザーの不満に対応し、最新のニーズを吸い上げる場となるわけだ。 元々は、事務所内部で行っていた研修生の実力診断テストを「公開」にして、今年で4回目。2016年にファンの投票を最も集めた「ベストパフォーマンス賞」に輝いたのは、笠原桃菜と清野桃々姫のふたり。得票数はともに228票、史上初の2名の同時受賞となった。 笠原は2015年の4月に加入、清野にいたっては今年の1月に研修生になったばかり。2012年に加入したメンバーもいるなかでは、まさしく「タマゴ」の状態。当然ながら、歌、ダンスともに拙い点も多い。観客の多くが、歌やダンスの実力だけでなく、表情や雰囲気、ビジュアルのポテンシャルなどに注目しているのがよく分かる結果となった。確かに、その分野のプロの審査員がいる以上、素人であるファンが歌やダンスを採点しても、大きな意味はないのかもしれない。運営陣とは別の視点で「アイドル」の可能性を見るからこそ、ファンの「一票」に価値が生まれるとも言える。 しかしながら、ファンに最も評価されているから即デビューに繋がるかと言えば、それほど簡単な話ではない。事実、過去3回の公開診断テストで 田辺奈菜美(2013年)、段原瑠々(2014年)、加賀楓(2015年)は、いずれもデビューには至っていない。一方、2013年に審査員特別賞を受賞した和田桜子、2014年の審査員特別賞受賞者である田口夏実、浜浦彩乃、佐々木莉佳子、2015年の同賞を獲得した船木結らが、現在、アンジュルムやカントリー・ガールズ、こぶしファクトリーでそれぞれ活躍しているのは、ある意味で対照的だ。 ファンに選ばれた研修生は、デビューできない!? ジンクスとも言える過去の歴史を、笠原桃菜と清野桃々姫の「桃」コンビには、ぜひとも覆して欲しいものだ。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第29回】*画像は清野桃々姫ツイッター
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スポーツ 2016年05月29日 12時00分
約7年ぶり! “ジュニアオールスター戦”スーパーJカップの出場枠が決定! 気になる「X」は?
3月3日の新日本プロレス大田区総合体育館で、木谷高明オーナーから約7年ぶりとなるスーパーJカップ(以降Jカップ)の開催が発表された。Jカップは過去5回行われているが、毎回ホスト役を務める主催団体を持ち回り的に変えることで、業界全体の大会であることを打ち出している。過去の大会の主催団体と優勝選手は次のとおりだ。1st STAGE 新日本プロレス(1994年) <優勝>ワイルド・ペガサス2nd STAGE WAR(1995年)<優勝>獣神サンダー・ライガー3rd STAGE みちのくプロレス(2000年)<優勝>獣神サンダー・ライガー4th STAGE 大阪プロレス(2004年)<優勝>丸藤正道5th STAGE 新日本プロレス(2009年)<優勝>丸藤正道 今回は「スーパーJカップ2016」というタイトルになり、Jリーグのブームにあやかって付けられた「STAGE」という名称がタイトルからはずれた。また主催団体はプロレスリング・ノアと新日本が共催することになった。トーナメント1回戦は7月20日に後楽園ホール(8試合)が行われ、2回戦、準決勝、決勝をノアのお膝元でもある有明コロシアムで8月21日に行う。有明コロシアム大会ではジュニアのスペシャルマッチも組まれる予定だ。 また団体(または軍団・ユニット)別の出場枠も決定し、発表された。新日本プロレス 本隊 3新日本プロレス CHAOS 1全日本プロレス 1プロレスリング・ノア 3鈴木軍 2ドラゴンゲート 1KAIENTAI DOJO 1琉球ドラゴン プロレスリング 1ROH 1CMLL 1X(未発表) 1計16選手 Jカップは第1回大会から普段絡みがない団体や選手による対戦が注目されるが、今回は全日本の参戦がサプライズと言ってもいいだろう。3月の時点で全日本は出場団体に入っていなかった(逆に名を連ねていたゼロワンは外れている)。全日本は世界ジュニアヘビー級王者である青木篤志が参戦すれば久々にノア&新日本の選手と絡む可能性があり、楽しみが膨らむ。 出場選手は参加各団体に委ねられており、KAIENTAI DOJOはJカップへの出場権を懸けた予選を行うことが発表されている。代表のTAKAみちのくは第1回Jカップが自身の出世試合だったので、思い入れが強いのだろう。層が厚い新日本は本隊とCHAOSを合わせて4枠あるが、ROHやCMLLの代表選手も新日本への参戦経験者が出場することが濃厚で、新日本ジュニアという括りでは6枠。IWGPジュニア王者はもちろん、21日から開幕した「ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.」の上位選手がラインナップされるのは間違いない。 ノアも現在ノアマットに参戦している鈴木軍を含めれば、ノアジュニアから5枠という見方もできる。TAKAみちのく、タイチ、エル・デスペラードといった鈴木軍のジュニア部隊は昨年1月、ノアに戦場を移してから新日本ジュニアの主力とはシングルを行っていない。特にデスペラードはノアで自信を深めているだけに、何としてでも出場したいはずだ。 前大会でYAMATOが出場したドラゴンゲートは今回も若手の有望株を送り込んで来ることが予想される。Eitaあたりが出場すれば話題を呼びそう。琉球ドラゴンはライガーとも対戦経験がある代表のグルクンマスクが初出場か? そして気になるのは今回「X」となっている未発表枠。団体数の増加に加えて日程などの都合もあり、なかなか全ての団体のジュニア選手が一堂に会するのは難しい。個人的にこの「X」で期待したい選手がいる。それは今年1月の「ファンタスティカマニア」後楽園ホール大会で、一夜にして旋風を巻き起こしたカマイタチ(高橋広夢)だ。現在カマイタチはROHなどに出場している。「X」枠で出場するに値する選手なのは言うまでもない。帰国後はジュニアを背負う覚悟があることもインタビューなどで明らかにしているだけに、Jカップでの本格凱旋に期待したい。 過去の大会ではいろんな夢を見せてくれたJカップの復活はプロレス界にとっても喜ばしいことだ。これを機に4年一度、オリンピックイヤーの定期開催検討を願っている。(増田晋侍)<新日Times VOL.19>
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芸能ネタ 2016年05月29日 12時00分
賞味期限切れと囁かれる坂上忍芸能界の悪評
“毒舌タレント”として再ブレイクした坂上忍(48)に、早くも“賞味期限切れ説”が浮上している。テレビ制作会社の演出クラスが一堂に会するディレクター会議で、「終焉説」が飛び交っているのだ。 もっとも坂上といえば、今やテレビでその姿を見ない日はないというくらいの超売れっ子。レギュラー番組は『バイキング』(フジ系)、『有吉ゼミ』(日テレ系)、『くりぃむクイズ ミラクル9』(テレ朝系)など、計11本にもなる。さらに、ゲスト出演ともなればその数はうなぎ登り。その坂上がなぜ終焉なのか? 「要は見飽きたということ。ましてや彼の芸は毒舌オンリー。そろそろ視聴者が苛立ちを覚えはじめているんです。景気がいいというわりに庶民の生活は厳しくなるばかり。しかも、熊本震災など日本中が不安に満ちている。そんな時に他人に毒を聞いても心が余計にすさむだけ。おまけにお酒を飲んで番組に出演するなど、実はスポンサー受けも悪いんです」(芸能関係者) さらに坂上の悪評は、ギャラの高さにもあるという。 「急に売れ出したこともあってゴールデン&プライム帯の出演料は1本150万円〜を要求する。レギュラーとなれば200万円以上にもなる。まず、あり得ない金額ですよ」(テレビ事情通) さらに坂上の評判は、芸能人からもすこぶる悪い。 「天狗になっているんです。司会を務める『バイキング』では、気に入らないタレントをすぐにリストラする。理由も、飲み会に来なかったからと、とにかくひどい。しかも、会費制というオチ付きなんです(笑)」(同) 坂上人気も長くは続かないようだ。