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スポーツ 2016年06月04日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND4 〈日米王者の友情物語〉 “東洋の巨人”と“人間発電所”
ジャイアント馬場の好敵手であると同時に真の友人だったともいわれるのが、“人間発電所”の異名を取ったブルーノ・サンマルチノだ。 自身が王者のWWWF(現WWE)が新日本プロレスと提携してもなお、ライバル団体である馬場の全日本へ参戦を続けていた。 米国における英語のニックネーム“パワーハウス”も、やはり発電所を意味する単語ではあるが、これはサンマルチノの力自慢と“パワー”の部分を掛けたニュアンスからのもの。 日本のプロレスマスコミはこれを直訳して“人間発電所”としたが、まさに無尽蔵に力が生み出されるかのごときサンマルチノの肉体を象徴する、秀逸なニックネームといえるだろう。 身長182センチと当時のプロレスラーとしては決して長身ではないが、分厚い胸板から繰り出される明快なパワーファイトは説得力十分。 1963年、初代WWWF王者のバディ・ロジャースをわずか48秒で下して2代目王者になると、以後は通算10年以上の長きにわたって王座に君臨し、“MSGの帝王”とも称された。 試合開始からパワー全開、短時間のうちに相手を叩き潰すというファイトスタイルは、のちのハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーらにも受け継がれる伝統様式とまでなっている。 重爆ストンピングからベアハッグ、あるいはカナディアン・バックブリーカーで締め上げて勝ち名乗りをあげる。そんなパワー一辺倒の戦いぶりは、カール・ゴッチらレスリング巧者からは「ニューヨーク以外では通用しない」と軽んじられた。 しかし、こと日本においては、とりわけ馬場との試合でその色合いを異にしている。 '67年、ファン待望の初来日を果たしたサンマルチノは、馬場の持つインターナショナル選手権に2度挑戦。いずれも結果は引き分けであったが、蔵前国技館での2戦めは時間切れのドロー。 「腰痛のためバックブリーカーを使えなかったというが、それでもベアハッグとパンチ、ストンピングで試合を組み立て、フルタイムを戦ってみせた。もともとは重量挙げの選手でレスリング技術はなかったかもしれないが、それでも存在感は抜群。観客に魅せる技術はやはりトップクラスだった」(ベテラン記者) 日本での馬場とのシングル対決は計10戦。中でも名勝負といわれるのが、2度目の来日時、やはり馬場のインター王座に挑戦した'68年8月7日、大阪球場での試合だ。 雨天順延となりながら1万4000人の大観衆を集めて行われたこの一戦。 サンマルチノがバックブリーカー、馬場が32文ロケット砲とそれぞれの必殺技で1本ずつを取り合うと、3本めは場外乱闘から馬場がサンマルチノを鉄柱へぶつけて、カウントアウト直前にリングイン。勝利を収めた。 「リングアウトとはいえ、現役世界王者のサンマルチノに完全勝利を収めたことは、当時としてはとんでもない快挙。力道山ですらNWA在位中のルー・テーズには勝てなかった。これ以降、馬場自身はもちろん、インターベルトに対しても、メディアやファンからの評価はグンと上昇することになった」(同) プロレス界において、今とは比較にならないほど世界王者の価値が高かった時代。これを成し遂げたのは、もちろん馬場の政治力があってのことだが、加えて両者の信頼関係というのも重要なポイントだろう。 '74年にWWWFと新日本プロレスが提携した後、王者サンマルチノが単独で全日のリングに上がり続けたのも、それがあってのことといわれる。 「新日の敵対団体である全日に参戦するなどは、新日からすれば重大な契約違反。ただ新日としては、それを黙認してもWWWFの外国人ルートを必要としていたし、またサンマルチノも長年の功績からわがままを言えるだけの存在だった」(同) “東洋の巨人”として米マットを席巻した馬場の武者修行時代、キャリアが同等だったことからサンマルチノとの間に友情関係が芽生えた−−というのがプロレス界の定説。サンマルチノが馬場に、自前のキャデラックをプレゼントしたとのエピソードもよく知られたところだ。 馬場も自著で、数少ないレスラーの友人の一人としてその名を挙げている。 ただし、馬場は後年まで英語がつたなく、両者の会話は通訳を介して行われていたというから、いわゆる純粋な友情となるとどうだったか…。 「馬場は全日旗揚げ時、外国人選手を確保するために相当な金をアメリカマット界にばらまいたともいわれている。サンマルチノにしても、新日に出れば所属団体と新日の契約。でも、全日なら個人の契約だから、そのぶん実入りが多くなるというのはあったんじゃないか。もちろんその根底には、馬場への信頼があったことには違いないのだろうけどもね」(同)
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その他 2016年06月04日 12時00分
【不朽の名作】どっちつかず!? 特攻をメインとしていない零戦作品「零戦燃ゆ」
戦時中の戦闘機、特に零戦を扱った作品は、特に90年代頃からは「特攻」をテーマとしているものが多い。しかし、それ以前には特攻の添え物ではなく、特撮などを駆使して空戦をする零戦を描こうとしていた作品もあった。『零戦燃ゆ』(1984年公開)もそういった作品のひとつと言ってもいいだろう。 とはいってもこの作品、あらゆる方向に欲を出しすぎて、色々残念になっている部分が多い。同作は柳田邦男の同名作品を原作としているが、そこがまず大きな問題となっているからだ。 原作では零戦こと、零式艦上戦闘機の技術面の説明が多い、ノンフィクション作品となっている。しかし、本作はそのあたりの描写を盛り込みつつも、零戦パイロットの浜田正一(堤大二郎)、整備兵の水島国夫(橋爪淳)、ヒロインポジションの吉川静子(早見優)の3人を中心としたフィクション作品としている。この改変で、原作では戦争序盤に戦場を席巻した零戦を中心として、だんだんと日本がテクノロジーの面でアメリカに負けていく様を描いているのに対して、本作では零戦そのものを扱いたいのか、空戦を描きたいのか、戦時における青春群像劇をやりたいのかどっちつかずとなっている。 作品の実質的な主役を務める浜田は、劇中で山本五十六(丹波哲郎)のブーゲンビル島上空での戦死を直掩機(ちょくえんき)として目撃していることから、実在のエースパイロットである杉田庄一をモデルにしていることがわかる。空戦描写と、零戦が性能的に劣勢になっていく状況をメインに描きたいならば、正直この浜田を中心とした話だけで十分なのだ。 しかし、原作がある限りは、それに沿ったストーリーを展開しなければならず、結果的に大枠の戦況解説や戦争の推移、さらに技術面での話などをナレーションとして挿入しなければならず、かなりテンポが悪くなっている。さらに、加山雄三(下川万兵衛役)、北大路欣也(堀越二郎役)といった大物出演者陣の起用も結果的に尺を食う形となっており、ストーリーの魅力不足にも繋がっている。 その影響で浜田、水島、吉川の3人の主要人物の話も掘り下げが足らずに上辺だけになってしまっている。結果的に安っぽい三角関係を続けていくことになり、非常に退屈な展開が続く。これならば、上層部との調整をしている小福田租(あおい輝彦)の活躍場面をもっと増やして、原作のような技術面の話をもっと掘り下げた方がましだ。 だが、この作品の試みとしてはそれなりに魅力的な部分も多い。それは現在ではこういった戦記モノ・戦争モノ作品を制作する際に廃れてしまったミニチュアを活用した戦闘シーンだ。シーンの使い回しは目立つものの、所々現在のCGを使った戦闘シーンとは違う味わいがある。このあたり、邦画が忘れてしまった魅力かもしれない。地上のシーンでも原寸大の実機レプリカがかなりいい存在感を発揮している。敵役の飛行機もF4Fワイルドキャット、P-38ライトニング、B17フライングフォートレス、F4Uコルセアなどなどアメリカ陸海軍が当時配備していた様々な飛行機がミニチュアで出てくるので注目だ。 また、他の零戦を扱った作品にはない、部品規格の統一化が不十分な問題についても言及している。旧日本軍は、陸海軍の対立などの影響で、とにかく部品が雑多で整備を困難なものとしていた。銃弾ひとつをとっても、日本軍は種類がまちまちで、地上兵器と航空兵器の銃弾の統一化どころか、小銃と機関銃の弾ですら統一されておらず、補給をより困難なものとしていた。これが航空機の部品となると、機種ごとに部品がまちまちで、部品が統一化され、高い稼働率を誇るアメリカ軍とくらべ、戦力的に劣勢にあるにも関わらず、日本軍では整備不良で飛べない戦闘機が問題となっていた。 他にも、なぜ零戦が当時優れた戦闘機であったかが、冒頭のフィリピンのクラーク飛行場空襲で簡潔に描写されている。開戦当初、この空襲で日本海軍は台湾から一式陸上攻撃機に零戦を護衛につけ、アメリカ軍の陸軍航空隊の主力を壊滅させているが、当時こんな長距離飛行をこなして、爆撃機の護衛につける戦闘機は零戦以外なかった。このあたりの説明をクラーク飛行場にいたダグラス・マッカーサーが驚愕することで、わかりやすくしている。空戦での優秀さも防空にあがってきた戦闘機を圧倒することで、さらっと説明しており、この一連のシーンは原作のノンフィクション要素をかなり上手く映像に落とし込んでいる。 また、基地の参謀長が「シェンノートレポートをご存知ですか?」とマッカーサーに質問しているところもマニアには嬉しいかもしれない。このレポートは、日中戦争に義勇軍として従軍していた「フライングタイガース」のクレア・リー・シェンノート大佐が、零戦の性能について上層部に報告したもので、当時アメリカ軍の将官はこれをデタラメだと相手にしておらず痛い目を見たわけだ。 浜田メインで戦況を追い続ける方式にして、場面転換を極力避けてぶつ切り感のないようにすれば、この作品、かなり面白くなったのではないだろうか? また、技術面での話を描きたいのであれば、堀越と小福田の出番をもっと増やして、結局実戦配備は出来なかった零戦の後継機である烈風の話辺りまで持っていった方が見応えはあったかもしれない。色々と惜しい作品だ。(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)
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芸能ネタ 2016年06月04日 12時00分
加藤晴彦 暴露発言で“都落ちから”芸能界崖っぷち
俳優の加藤晴彦(41)が5月6日に放送された関西ローカルの番組で、吉本興業所属の芸人2人に“たかられた”と発言をしてネット上で炎上。加藤はそんな傲慢な性格も災いして、5年ほど前から民放キー局から干されていたことも明らかになった。 問題の発言は、上沼恵美子が司会を務める『怪傑えみちゃんねる』(関西テレビ)で飛び出した。 「芸人のAに電話で飲み屋に呼ばれて行ったところ、芸人Bと2人に40万円の飲み代を支払わされたという内容で、ネットでは犯人捜しが始まった。結果、カラテカの入江慎也とオモロー山下だったことが判明したのですが、加藤の話がかなりの作りであることが分かった。ウケ狙いが墓穴を掘ったわけですが、関西のテレビ局もキー局と同じく、そんな加藤は怖くて使えません」(テレビ局関係者) 加藤はデビュー時、世間を騒がせているベッキー所属の『サンミュージックプロダクション』に所属していたが、女性マネージャーと独立をしたという。 「突然連絡が取れなくなったので芸能界を辞めたのかと思ったら、ドラマやCMで活躍するようになった。実は女性マネージャーが設立した『R』に移籍していて、業界では“恩知らずな男”と言われましたよ。みのもんたにも擦り寄ったりと、処世術に長けていたのでしょう」(芸能関係者) みのもんたが司会を務める『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)の準レギュラー的存在でもあった加藤だが、その後、番組からいつの間にか消えていた。加えて、一時同じマンションに住んでいた福山雅治のプッシュで大手芸能プロに移籍したが、同事務所もいつの間にやら退社。 「みのには、番組に出るたびに銀座の高級クラブでたかっていた。福山についても“俺は福山の友達だから”と得意げに話して女性を次々に口説いていましたよ。それが事務所にバレて、追われるように辞めたんです。しかも、みのや福山にはコバンザメのように接していましたが、年下の共演者やスタッフに対しては傲岸不遜な態度。そのため“加藤とは一緒に仕事したくない”とのクレームが殺到して、民放キー局から干された揚げ句“都落ちタレント”になったんです」(民放テレビマン) そこへ来て、反省の色なしの暴露発言。芸能生活自体が崖っぷちに立たされそうだ。
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芸能ニュース 2016年06月03日 20時47分
水原希子の“ダウンタウンファン宣言”にエセ疑惑
3日に放送された「ダウンタウンなう」(フジテレビ)に女優の水原希子がゲストとして登場、ダウンタウンと坂上忍とトークを繰り広げた。 ダウンタウンの大ファンだという水原だが、今回が初対面。「青春時代は“ごっつ”とかDVDで…」と説明するも、松本人志に「おかしい! マネージャーに“言え”っていわれてるねん」と一言。松本は、「20いくつで“ごっつ世代”のわけがない。ごっつ終わったの何年前なの」と指摘した。 さらに、松本は、「最近ねえ、“ごっつ好きでした”って言えば、(ダウンタウンの番組との共演は)成立すると思ってる」とも。またカラフルな色の服を着ていた水原に、「その服見たら、“アメトーーク”すきやもん」とチクリ。 そして、「こういう子ってだいたい昔、男がいて、男がおっさんやねん」と推測。「そのおっさんに見ろっていわれて」とも松本から指摘を受けるが、「違います!」と否定していた。
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芸能ネタ 2016年06月03日 18時38分
土田晃之 “牛歩戦術”の舛添都知事を非難「でも許さない」
3日放送のフジテレビ「直撃LIVE グッディ!」でお笑い芸人の土田晃之が、定例記者会見でのらりくらりと記者の質問を上手いこと交わし、“牛歩戦術”をとっている舛添要一都知事に対して「許さない」と非難した。 “公私混同疑惑”の渦中にある舛添都知事は3日、4度目の釈明会見を開いた。この日も報道陣から厳しい質問が相次いだが、舛添氏はマイペースで報道陣からの質問を交わした。そして、弁護士による調査に関しては「来週中としかお答えできない」と強調。結局、この日も詳細が明かされることはなかった。 舛添都知事の会見を観た安藤優子キャスターは「なんか私、根負けしそうになってきましたよ。最初は私たち凄い怒っていた。でも、怒りの感情ってエネルギー必要なんで、長く持続しなくなってくるとこの粘りに負けちゃいそう…」と弱気な発言。 しかし、土田は「逃げの会見ですもんね」と舛添都知事の会見を非難し、冷静な表情で「でも許さないですけどね」と断固たる意思を明かした。
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レジャー 2016年06月03日 18時00分
鳴尾記念(GIII、阪神芝2000メートル、4日)藤川京子のクロスカウンター予想!
今年の出走馬は、斤量が全頭56kgです。前走との斤量の違いがあるのは、サトノノブレス-2kg減、トラストワン+2kg、パッションダンス-1kg、ステファノス-1kgクランモンタナ-1kg、フレージャパン+4kg、メイショウカンパク+4kgです。このレースは、距離が2012年から1800mから2000mに変更になりましたが変更になってから4戦全部の4回と過去10年で7回馬券に、岩田騎手が絡んでいます。それとアズマシャトルは9か月の休養明けです。このレースは、前走が2桁着順でも普通に馬券に絡んで来る事が多いのです。それを踏まえて、軸探しですが岩田騎手と言いたい所ですが騎乗するトラストワンが+2kgで、15年からは、54kgなら好成績なのですが 斤量が56kgは、途端に成績が芳しくありません。そうなるとやっぱり、香港カップG1では、10着ですが、前々走は天皇賞(秋)58kgで、2着のステファノス。阪神競馬場は、14年の毎日杯で、年齢を考えればそこそこのタイムで3着になった事もあります。これを軸に、紐で勝負になる馬券になると思います。対抗は、昨年は前走天皇賞(春)組も馬券に絡んでいますが、今年はサトノノブレスが出走します。昨年に馬券に絡んだ天皇賞(春)組よりタイムは少し遅いですがその前の3戦は、G2が2回、G3が1回連続に絡んでいます。それとヤマカツエース。前走は、重馬場の京都記念G2で5着で、良馬場なら馬券に絡めたと思います。 また、パッションダンス。前走の新潟大賞典は、新潟にしてはそれほど速くはありませんでしたけれど過去4年の新潟大賞典組で、馬券に絡んだ馬達と比べると2秒程速いタイムです。 穴は、ここ4年は7歳以下の馬が馬券に絡んでいます。アズマシャトルは、5歳で休養が長引いてしまいましたが地味に強い馬で、昨年もこのレースで3着にきています。馬が脚を庇うような事がなければ十分に馬券に絡める実力はあると思います。(12)◎ステファノス(3)○サトノノブレス(10)▲ヤマカツエース(7)△パッションダンス(6)△トラストワン(5)△アクションスター(4)△アズマシャトルワイドBOX (12)(3)(10)(7)※出走表などのデータは、必ず公式発表のものと照合し確認して下さい。
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芸能ネタ 2016年06月03日 17時00分
8.6秒バズーカーが単独ライブ 8月19日に、TSUTAYA O-EASTで開催
8.6秒バズーカー単独ライブ『8.7SecBAZOOKAA』が8月19日(金)に、TSUTAYA O-EAST(渋谷)にて開催される。昨年の大阪・東京公演に次ぐ三回目、2016年5月に東京進出して初めての単独ライブとなる。 8.6秒バズーカーは、デビュー1年目にしてリズムネタ「ラッスンゴレライ」で大ブレイク、よしもと史上最速となる “DVDリリース”“単独ライブ開催”など快挙を達成。8.6秒バズーカー初となる単独ライブ『8.6SecBAZOOKAA』では、発売から約1分という驚異的なスピードで完売。今回、前回の単独ライブから「成長してたんだぞ! アップグレードしたんだぞ!」という意味を込めて、ラッスンゴレライなし? のオール新作で挑む。リズムネタを中心に漫才やコント、昨年に次ぐ初挑戦シリーズも披露予定だ。<8.6秒バズーカーからの本人コメント>■田中シングル 昨年は、右も左もわからないまま仕事をたくさんいただいて、とても貴重な経験ができました。その経験を踏まえて、しっかりと進化しているところを見せたいです! 初めてのラッスンゴレライでは「斬新!」「アメイジング!」と称賛されましたが、しばらくすると「こんなつまんねえネタでなんで売れてんだ」「ラッスンゴレライしかできねえのか」と世の中の流れの速さに戸惑いました。でも今回、ラッスンゴレライ以外でも笑わせます! 楽しませます! 音楽・照明・映像・演出にまで細部までこだわって、最後まで飽きることなく素晴らしいと言っていただけるようなスーパーエンターテイメントパフォーマンスショーにしたいです。単独ライブに向けてコツコツと新ネタを作り続けていたので、「8.6秒バズーカーくそつまんねえ」と言っている方にも是非見に来ていただきたいです!■はまやねん 今年5月に東京進出して、去年のなんばグランド花月、ルミネtheよしもと以来、初の単独ライブをさせていただきます。前回を超える単独ライブにして、僕自信も楽しんで、お客さんも笑顔になって帰っていただきたいです!! 去年は忙しさ緊張、寝不足のせいかあまり記憶にないので、今回は僕の記憶の中に残したいと思います!!
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芸能ネタ 2016年06月03日 16時23分
「芥川賞」受賞・又吉直樹 自身の人生表現「100年みたいな36年」
6月2日で36歳の誕生日を迎えたお笑いコンビ・ピースの又吉直樹がツイッターを更新し、「100年みたいな36年でした」と自身の人生を表現した。 又吉といえば、2015年に自身が執筆した小説「火花」が「第153回 芥川賞」を受賞。お笑い芸人が「芥川賞」を受賞するのは初となり、歴史的な快挙となった。「火花」を掲載した月刊誌「文藝春秋」の9月特別号は、100万部を突破。さらに、単行本「火花」の累計発行部数は240万部を記録し、年間ベストセラーとなった。一躍、“文藝ブーム”を巻き起こし、2015年の話題をかっさらった。 又吉は自身のツイッターで「36歳になりました。100年みたいな36年でした」と自身の人生を表現し、「そんな数字のことより、Netflixにて、ドラマ『火花』の配信がまもなく開始されます。関わってくださった皆様に感謝したいです。ありがとうございます」とコメント。 3日、ドラマ化された同作はNetflixでの配信がスタートした。
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その他 2016年06月03日 16時00分
酒粕効果でお肌つるつる! 冷やし甘酒「酒粕シェイク」
日本料理に欠かせない発酵食品「酒粕」。糖尿病予防に、ガン予防、美肌効果、ダイエット効果など、その驚くべき健康効果が注目されています。酒粕を最も手軽に摂取する方法はやっぱり甘酒。そこで今回は、蒸し暑くなってくるこれからの季節にピッタリな、ひんやり美味しい「酒粕シェイク」の作り方をご紹介します。 日本酒と甘いもの好きなあなたにぜひ作ってほしいドリンクです。【材料 1人分】バニラアイスクリーム 200g牛乳 125ml酒粕 小さじ2 1.ミキサーにアイスクリーム、酒粕、牛乳を入れ、撹拌する。※撹拌しすぎると水っぽいシェイクになってしまうので、数秒ごとに確認しながら撹拌しましょう。 2.冷凍庫で冷やしておいたグラスに注いで出来上がり! もう少しお酒の味を足したい場合は酒粕を小さじ1足しましょう!【オダーナルみさ】
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芸能ニュース 2016年06月03日 16時00分
平祐奈 姉・愛梨の交際にコメント「温かく見守ってあげてください」
女優の平祐奈が3日、「姉」とのタイトルで、自身の姉であり、サッカー日本代表の長友佑都選手(29)との結婚を前提にした交際を報告したタレントの平愛梨を祝福した。 「私の方にも嬉しいコメント頂きまして…みなさんありがとうございます」とのコメントとともに、「私の大好きな世界でたった1人の姉をアモーレと思って下さる方があらわれてくださり、私もとてもうれしく思います。姉はほんわか、いつものあのような感じですがどうか皆さま、温かく見守ってあげてください。私もサポートします」と綴り、平愛梨とのツーショット画像をアップしている。※画像は平祐奈のブログより