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社会 2015年07月15日 14時00分
新幹線自爆テロより恐ろしい “待機老人”52万人の大暴走が始まった!(1)
東海道新幹線の車内で71歳の男が焼身自殺を図り、乗客ら27人が死傷した事件は、日本国民にあらゆる課題を突きつけた。 まずは新幹線の「安全神話」の崩壊。手荷物検査がなく、急な移動でも手軽に利用できていた利便性を逆手に取られたため、今後は徹底的な対策が必要になる。 もう一つの大きな問題は、貧困にあえぐ年金生活者の実態だ。痛ましいこの事件は、職業不詳の林崎春生容疑者が自暴自棄になって起こした“自爆テロ”だったが、動機は生活苦の可能性が高いという。 神奈川県警担当記者の話。 「東京・杉並区の風呂なしアパートに住んでいた林崎容疑者は、支払い期限までに約4万円の家賃が収められていませんでした。同容疑者の出身地の岩手県には75歳の姉が住んでいますが、事件前の6月20日頃に『月12万円では暮らせない。国会の前で自殺するわけにもいかねえしな…』と打ち明けていたそうです。所持品からは1円も見つからず、貯金もありませんでした。自殺の原因は借金だったとみられます。実際、容疑者の自宅からは、消費者金融や個人宛てに借金を返済した明細書が約200枚も出てきています」 国民年金の平均受給額は、月額5万4544円(2013年度)。国民年金のみで暮らしている老人はおよそ1000万人で、そのうち3万円未満の受給者が100万人もいるという。厚生年金分があったと思われる林崎容疑者は、まだ恵まれていた部類といえる。 「ただし、容疑者は扶養親族がいないので、公的年金控除額(12万円の25%)を引いた額の10%が所得税となり、介護保険料(月額約5000円)も引かれて、手取りは約7万6000円くらいです。そこから家賃4万円、水道・光熱費、国民健康保険料を引くとほとんど残らない。働いていないのに家賃負担もあるのは大きい。これは、住宅ローンがこの年齢で残っている場合も同じです。近くのスーパーで、たばこ(エコー250円)やビール系飲料、カップ酒を購入していたとのことですが、食費をどうやって捻出していたのか…」(杉並区の社会福祉士) 70歳の男が就活をしようとしても、ハローワークやシルバー人材センターには、生活を維持していけるだけの仕事はない。 「高齢者の万引きが社会問題化しているが、貧しさからやむにやまれずというケースがほとんどです。アベノミクスによる円安で食料品は値上がりし、生活はますます困窮。この夏はクーラーも使えず、熱中症で倒れる老人が続出するかもしれません」(高齢者問題に詳しいジャーナリスト)
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レジャー 2015年07月15日 14時00分
キャバ嬢が生まれる瞬間(53)〜好みの髪型を求めてキャバ嬢になった女〜
松林明美(仮名・21歳) 私はたぶん中学2年生くらいの時に、薄毛の男性が好きで好きでたまらなくなった。その頃、まだ中学生だったから同級生にも薄毛の男子はいなくて、先生の中にも特に見当たらなかったんだよね。私が薄毛の男性の魅力に気がついたのは最初テレビだったと思う。確か、中2の夏休みの夜、寝付けずにテレビをつけたらある映画がやってた。たぶん車に乗って色々やるアクション映画だったと思うんだけど、その主役をやっていたのがニコラスケイジだった。彼はハゲていたけれど、めちゃくちゃかっこよかったんだよね。正直、それまで薄毛の人にいいイメージがなかったのだけどそれを覆された。 それから私のタイプは薄毛の男になったのだけど、そういう男の人が全然見つからなかった。あれだけ育毛剤のCMがはやっていて、皆、髪の毛のことに悩んでいそうなのに、ごっそりと抜けている人が私の周りにはいなかった。でもそれは当たり前だよね。だいたい薄毛で悩むのは年を取った人が多いから、同年代とばかり交流している間は出会えるわけなかったのだ。 それで大学に入った頃、キャバをやってる友達から、お客に薄毛の人もたくさん来るよって教えてもらい、すぐに働くことにした。しばらく働いて思ったのは、経営者とか一定の社会的ポジションにいる人は、薄毛の人が多い気がする。男性ホルモンの強さが薄毛を招くと聞くけど、そのバイタリティが仕事にも繋がって、成功を引き寄せているのかもしれない。 私はニコラスケイジみたいな、カッコイイおじさんハゲも好きだけど、その真逆の人もかわいいと思う。薄毛で自分の容姿に自信が持てずにいる人は、母性本能をくすぐられて、愛おしくなってくるんだよね。キャバクラで働かなければこういう出会いは少なかっただろうから、この世界に入ってよかったと思ってる。将来は薄毛の人と結婚したいかな。(取材/構成・篠田エレナ)
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芸能 2015年07月15日 13時18分
志村けん 「バカ殿」誕生秘話を明かす「尺八を鳴らしたのが原型」
14日、NHK「スタジオパークからこんにちは」でコメディアンの志村けんが、大人気キャラ「バカ殿」の誕生秘話を明かした。 志村は「最初やろうと思ったのは、毎月やってる番組で、そこで若いゲストの子を紹介するのが僕の役目だったんですよね」と若手のアイドルなどとコントを披露し、その中でアイドルを紹介するのが志村の役目だったという。 「アイドルとかゲストに3人いた時に、これどうやって紹介するんだよ。3本コントやるのは大変だし、考えんのが。じゃあ、腰元にしちゃえってなって。僕が殿様になって、いかりや(長介)さんが家老になってもらって、腰元の一座。そこで聞いて全部済まそうと思っていた」とゲスト出演しているアイドルを1人1人紹介するのが大変なため、1つにまとめてやってしまおうという考えだったようだ。 「その時にゲストに由紀さおりさんが最後にいて、『17、18、18、その方はいくつだ? 18歳。嘘じゃねえかっ!』って。それで尺八を鳴らしたのが原型ですね」と誕生秘話を明かした。 今では大人気番組に成長し、老若男女から愛されている「バカ殿」は、ゲスト紹介の1コーナーから発展したキャラだった。志村は、「こんなに長くやると思ってないから、普通に白く塗ってスティックっていう化粧道具のあのまま幅ですから。シュッと…」と元々長く続ける予定もなかったため、メイクも単純だったと明かした。
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芸能 2015年07月15日 12時16分
バイきんぐ・小峠 坂口杏里との復縁の可能性を否定「もうないんじゃないですかね」
お笑いコンビ・バイきんぐの小峠英二(39)が15日、フジテレビ「ノンストップ!」の取材に対し、坂口杏里(24)との破局について赤裸々に告白した 別れた時期については、「6月の末ぐらいですかね」と明かし、「後半は正直そんなに頻繁に会ってなくて」とすでに冷めた関係となっており、先月末に電話で坂口から別れ話を切り出されたという。ただ、小峠自身も交際に対して違和感を感じていたようで、「友達の期間もあったので、その時の方がいい感じだったなと…」とコメント。 破局原因の1つとしては、やはりお互い有名人なため、外出すると目立ってしまうようで、「本当は外に行きたいんですけど、ご飯だけで終わったりだとか。テレビに出てる同士が交際するっていうのが、これは大変なことなんだなってちょっと思いましたよね」と明かした。 わずか半年の交際期間で破局してしまった小峠。「『付き合う前の友達くらいの時の方が仲よかったね』って。『別れてまたそういう(友達の)感じの方がいいのかね』って、別れましたね」と電話でのやり取りを明かし、「ヘコみました。電話してる時もちょっとウルウルとはなって」と涙を浮かべてしまったという。 復縁の可能性については「もうないんじゃないですかね」と否定気味だった。
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芸能 2015年07月15日 12時00分
元CAの妻放ったらかしで銀座高級クラブ狂いの伊藤英明
昨年の10月に交際4カ月でスピード入籍した俳優の伊藤英明(39)が、銀座の高級クラブで頻繁に目撃され、早くも離婚危機が囁かれている。 伊藤といえば、女優の水野美紀から始まり、元フジテレビアナの中野美奈子、さらに黒木メイサや米倉涼子、加藤あい、元AKBの増田有華、加えて一般女性と、噂の絶えない“芸能界一の女好き”として知られている。 「映画『海猿』などで共演した加藤あいとは、結婚説が流れたほど交際期間が長かったのですが、加藤は一昨年に伊藤ではなく一般人と結婚した。しかし伊藤は昨年の6月に開かれた加藤の結婚披露宴で、元タレントでCAだったAさんにひと目惚れ。そんな不思議な縁で交際が始まったんです」(芸能関係者) そのため加藤は当時、伊藤の“恋のキューピッド”と言われたが、「真相は違う」と語るのは、広告代理店関係者だ。 「披露宴には『海猿』に出演した宮下ともみも出席していたのですが、実は彼女の仲介で伊藤とAさんは交際が始まったのです」 伊藤は昨年10月24日にAさんと入籍。しかし、その直後、写真週刊誌『フライデー』に、ハワイのオアフ島でナンパした日本人女性2人との現地ホテルでの“乱痴気写真”が掲載された。 「写真は2年半ぐらい前のものだったのですが、新妻としてはいい気持ちはしませんよ。しかも、この写真で伊藤の性癖まで明らかになり、Aさんは伊藤に相当な不信感を抱いたようです」(映画関係者) その写真誌が発売された直後から、伊藤が銀座7丁目の高級クラブ『M』で頻繁に目撃されるようになったのだ。 「伊藤は以前から、テレビ朝日のドラマ『ダブルス〜二人の刑事〜』で共演した坂口憲二と夜の銀座で遊ぶ姿が目撃されていましたが、最近では1人でも頻繁に『M』に通っている。加藤と付き合っていた頃は彼女を連れてクラブに遊びに来ていたのですが、今は奥さんと一緒のところを見たことがありません」(事情通) スピード離婚間近か。
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スポーツ 2015年07月15日 12時00分
【甦るリング】第15回 生けるレジェンド“最強の外国人”スタン・ハンセン
1980、90年代に日本マット界で活躍した外国人のなかで、ヒール(悪役)として大成したのが、アブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンであるが、“最強の外国人”といえば、“不沈艦”と呼ばれたスタン・ハンセン(65)以外になかろう。なんせ、新日本プロレスではアントニオ猪木を、全日本プロレスではジャイアント馬場を破ったのだから、誰も異論はないだろう。 ブルロープを振り回し、立場的にはヒールではあったが、凶器攻撃を繰り出すわけではなく、純粋に強さを全面に押し出した選手だった。ハンセンは米ウエスト・テキサス州立大学を卒業後、プロフットボール・プレーヤーとなったが、解雇され、故郷に戻って、中学校の教師をしていたインテリだ。 そんな時、大学のフットボール部の先輩であったテリー・ファンクから誘いを受け、プロレスラーに転職した。教師の給料は決して、いいものではなかったようだ。 73年1月にデビューしたハンセンは、若手時代、日本から修行に来ていたジャンボ鶴田や、後にWWWF(後にWWF→WWE)ヘビー級王者となるボブ・バックランドとともに、トレーニングで汗を流し、将来を語り合う間柄となっていた。75年9月には、全日本に初来日するが、まだまだグリーンボーイで、パワーで押すだけの不器用な選手だった。76年にWWWFに登場し、当時のヘビー級王者であったブルーノ・サンマルチノとの対戦するチャンスを得たが、首を負傷させてしまい、同団体に定着することはできなかった。 77年、日本で闘うリングを新日本に変え、徐々に頭角を現していく。そして、80年2月には、ついに猪木を破って、NWFヘビー級王座を奪取。シンを追い抜いて、新日本の外国人エースの座に就く。ハンセンもまた、シン同様、猪木が闘いのなかで、育てた選手といえよう。81年に入ると、再びWWFマットに上がるようになり、旧友バックランドのもつWWF王座に何度も挑戦するなど、ライバル関係を築いた。同年、日本では新日本と全日本による仁義なき引き抜き戦争が勃発。新日本がブッチャーを引き抜くと、報復として全日本はシンを引き抜いた。さらに、全日本はハンセンにもターゲットを絞り、師匠格のテリーが仲介役となって、移籍が決定。同年12月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦で、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカのセコンドで登場したハンセンは、対戦相手のザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー)に弓を引き、ブロディ組の優勝をアシストした。 82年から本格参戦すると、馬場、鶴田、天龍源一郎らと激闘を展開。馬場からPWFヘビー級王座を奪取した他、インター・ヘビー級、インター・タッグ、PWFタッグ、UNヘビー級などあらゆるタイトルを獲得。後に統一された3冠ヘビー級、世界タッグ王座にも戴冠した。馬場が第一線から退き、天龍が離脱、鶴田が肝臓疾患のためトップ戦線から去った後も、三沢光晴、小橋健太(現・建太)、川田利明、田上明らの厚い壁となって立ちはだかった。 全日本に定着してからは、日本での活動をメーンにしていたが、85年12月には、リック・マーテルを破り、AWA世界ヘビー級王座を奪取した。これが、本国で残した唯一の大きな勲章となった。馬場の死後、00年6月に全日本から大量離脱騒動があったが、ハンセンは動かず。ただ、体力的な衰えは隠せなくなっていた。両ヒザの故障を理由に、ハンセンは引退を決断。01年1月28日、東京ドームでの「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」で引退セレモニーを行い、プロレスラー生活にピリオドを打った。 私生活では、リング上でのキャラとは打って変わって紳士。外国人ながら、義理人情に厚く、世話になった馬場夫妻に忠誠を誓っていた。現夫人は日本で知り合った日本人女性(ユミさん)とあって親日家。今年6月には、プロレスリング・ノアからゲストとしてオファーを受け、三沢光晴7回忌追悼メモリアルツアーに帯同し、元気な姿を見せてくれた。長年にわたって、全日本、新日本の両団体でトップを張ったハンセンは、紛れもなく、生けるレジェンドだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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芸能 2015年07月15日 11時50分
中島知子 生出演で“無断欠席”報道を完全否定「営業妨害」「名誉毀損」
元オセロの中島知子が、14日放送のTOKYO MX「バラいろダンディ」に生出演し、“無断欠席”報道を改めて否定した。 中島は11日に出演映画「新宿ミッドナイトベイビー」の完成披露試写会に出演する予定だったが、欠席。一部のメディアから、「イベント無断欠席」と報じられていた。この報道に対し、中島は自身のブログで「無断欠席や許可のない早退はありえません」と完全否定していた。 番組内では、「大人のニュースランキング」が発表され、第3位に「中島知子 出演映画披露試写会 “ドタキャン”報道を否定」がランクイン。 まず、中島は「毎回毎回yahoo!1位でありがとうございます」とyahoo!ニュースのトピックスに取り上げられたことに感謝した。 そして、「普通にこういうことってあるじゃないですか、仕事が先にスケジュールが入ってて、連絡が遅かったので、無理だったていうのがあるので。監督は別に悪くもないし、私も悪くもない。なんですが、間の連絡が遅くなって」と事情を説明した。 さらに「事実じゃないことを載せるっていうのは、どうなのかってジャーナリズムとして」とニュースを報じた媒体を批判し、「営業妨害」と訴えた。 この報道に対し、腹を立てている司会の長谷川豊は「僕なんかは、裁判起こしたいと思うんですけどね」と問いかけると、中島は「名誉毀損なんじゃないかってね」と返答した。
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芸能 2015年07月15日 11時45分
フジテレビのエースアナ・カトパンが退社へ!
カトパンの愛称で人気のフジテレビのエース・加藤綾子アナウンサーが9月いっぱいで退社することを、一部スポーツ紙が報じている。 記事によると、すでにフリー転身後の所属先が近く正式に決定する見通し。朝の情報番組「めざましテレビ」は9月いっぱいで降板し、永島優美アナが後任を務めるという。 同番組の出演は週5日で早朝のため、毎朝3時すぎにスタジオ入り。おまけに、ゴールデン帯のレギュラー番組があり、改編期には特番で司会を務めるのが定番化し、心身ともに相当なプレッシャーの中で仕事をこなしていたというのだ。そんな中、「自分の新しい可能性を探ってみたい」という思いもあり、30歳になった今年、フリーになることを決断したというのだ。 「明石家さんまら大御所がことごとく加藤アナを指名するため、必然的に番組が多くなり勤務超過気味に。そろそろ、本人も局アナとして体力の限界を感じていたのでは。売れっ子アナだけに、フリーになればCMの仕事も舞い込み、年収は1億円を超えることになりそう」(芸能プロ関係者) 国立音大卒という女子アナにしては異色の経歴で、08年に入社。受験した民放3社全てに合格し、同じアナウンサー志望者たちから「スーパー綾子」と呼ばれるなど、入社前から評判が高かったが、入社後も評判通りの活躍をしてきた。 これまで、カトパンは大リーグ・レンジャーズのダルビッシュ有らと浮名を流していたが、「今後はフジテレビが守ってくれるわけではなく、スキャンダルが仕事に影響するので、そのあたりも慎重になった方が良さそう。ただし、所属する事務所が大手だと、メディアへの“圧力”でスキャンダルも“火消し”できるが…」(芸能記者) 今後の仕事とともに、男性関係も大いに注目される。
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アイドル 2015年07月15日 11時45分
NMB48 チームM 高野祐衣卒業公演レポート
2011年8月に2期生として劇場デビューを果たした。この時に高校3年生だった島田玲奈と村上文香と高野祐衣の3人を高3トリオと呼び、当時のキャプテンだった島田とともにチームを引っ張ってきた。そんな島田が昨年4月に卒業し、さらに今年の3月には村上も卒業してしまい、高野は高3トリオの最後のひとりになってしまった。 キャプテンシーの高い高野は、これまでのチームMを支え、昨年2月に行われた『AKB48グループ大組閣祭り』でチームBIIへの移籍が発表された時に移籍を拒否して、チームMの残留が決まった。高野がチームMにいることで、チームは引き締まり、メリハリのある素晴らしいチームへと成長した。その高野が卒業するなんて誰が考えただろうか?しかし出会いがあれば別れもあるこれはどうにもならないことである。 ファンにとっては聞きたくない卒業発表が4月15日に行われた。今から3か月前のことである。卒業までまだ時間があると思っていたが、その3か月はあっという間に過ぎてしまった。そして7月13日、遂に卒業の日が来てしまった。公演はいつもチームMが行っている『RESET』公演で、幕が開いていつもと変わらない光景で公演は進んでいった。頭の4曲を歌い終わり自己紹介となるのだが、ここでいつもは冷静な白間美瑠がいきなり泣き出してしまった。これまでの展開だと三田麻央が序盤から泣き崩れることが多かったが、まさかの白間の涙に集まったファンもビックリしていた。ここで白間もずっと泣いていることもなくしっかり自己紹介を済ませて、冷静になっていつもの元気で明るい白間に戻っていた。 ユニット曲に全体曲と一気に続くのだが、あっという間に最後の曲『ジグソーパズル48』になってしまった。場内が暗転になると女性ファンが代表して高野への想いを語り、アンコールとして会場に大ゆいぽんコールが巻き起こり、そのアンコールに応えてメンバーはステージへと再び登場。最後に『引っ越しました』を歌って卒業セレモニーへとなると思っていたところ、ここで再び場内は暗転され、高野のこれまでのNMB48の歴史を綴ったスライドを披露してくれた。スライドショーの終了と同時にダブルアンコールとして大組閣前のチームMメンバー9人で、高野が大好きな曲『そばかすのキッス』を当時の衣装を着て披露した。まさかのサプライズである。そしてこの後に卒業セレモニーとなった。「本当に人生で一番幸せなひとときでした。私は17歳の時にNMBに入ったので、もう約4年が経つんですけど、たぶん4年前の自分が今の自分を見たらビックリするぐらい成長できてると思います。4年前はダンスもステップも踏めなくて、MCも全然できなくて、選抜なんて夢のまた夢みたいなところにあったんですけど、後ろで踊っている私を見つけてくれた皆さんがいて、そして少しずつ成長できました。『僕らのユリイカ』で初選抜された時は、本当に入らないと思っていたので、すごく嬉しくてミュージックビデオの撮影とかはもう絶対に忘れられないぐらい楽しかったです。握手会とかもたくさんの方が来てくれるようになったり、この4年間で自分は変わったなと、いい意味で成長したと思っています」と心境を語った。 ここで本当の最後となってしまうのだが、最後はキャプテンの藤江れいなが、高野の抜けた穴の大きさについて話した。もちろんメンバーもファンもわかっていることだが、ここで藤江は何と号泣してしまった。この涙はすべての人の気持ちでもある。今後はチームMには高野はいない現実が待っているが、チームとしての成長、そして高野の今後の飛躍が楽しみでもあるので、チームM、そして高野のこれからに期待をしたい。(ブレーメン大島)
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アイドル 2015年07月15日 11時45分
NMB48・高野祐衣 卒業公演インタビュー
これまでチームMを支え続けてくれたしっかり者のゆいぽんこと高野祐衣が、7月13日にNMB48を卒業した。卒業公演では、しんみりすることなくチームMらしい明るく楽しいステージを見せてくれた。そんなゆいぽんに、卒業公演終了後に話しを聞いてみた。 −−卒業公演を終えた率直な感想をお願いします。 高野「最初から最後まであっという間に終わってしまって、まだ実感が無いですけど、それでも終わってしまったので、ちょっと淋しい気持ちはありますけど、最高の形で卒業公演を終えることができたので、悔いも無く最後まで公演を楽しめました」 −−NMB48を卒業となりましたけど、まずやりたいことは何ですか? 高野「これまでずっとメンバーと一緒にいたので、終わってからもメンバーと遊びたいですね。気持ちの中ではこれからも当たり前のように公演に出て、当たり前のようにメンバーと楽しく過ごすのかなって思ったりしていますけど、でも卒業を迎えたので、卒業生として頑張っていきたいと思います」 −−今後のプランを聞かせて下さい。 高野「卒業発表の時にバラエティータレントを目指したいと言いましたけど、そこは本当に厳しい世界だとわかっていますので、そんなに簡単に上手くいくとは思っていないので、NMB48で学んだことを活かせるように、この期間にしっかり勉強をして、またテレビとか皆さんの前に出れるように頑張りたいと思います。NMB48の活動をしている時に、しゃべることが好きになったので、バラエティー番組で芸人さんの隣に立ってアシスタントとかテレビのレポーターとかそういうことをやっていけたらと思います」 −−NMB48の在籍していた中で、たくさんの思い出があると思いますけど、一番の思い出を聞かせて下さい。 高野「楽しかったことや悔しかったこととかそれぞれ数えきれないくらいありますけど、やはりファンの人やメンバーやスタッフさんに出会えたことですかね。みんなに出会えたことがNMB48に入って一番良かったことだと思います」 −−卒業ということで恋愛が解禁になりますけど、そちらの方はどうですか? 高野「卒業してすぐに出会いなんてありませんよ。これからの私の活躍によりますね。私はみんなにしっかりしていると思われていますけど、実はしっかりしていなくて、飲み物とかすぐこぼしたり、フタとかもしめへんし、全然ダメなので、しっかりしていて私を引っ張ってくれるような男性に出会いたいです」 −−最後にファンにメッセージをお願いします。 高野「約4年間NMB48で活動をしてきましたけど、本当にこの4年間で自分がビックリするくらいに成長できて、皆さんにも出会えてメンバーにも出会えて、素敵な出会いもあって、本当にNMB48の一員になれて、この舞台でみんなで歌って踊れて本当に良かったと思います。これからはアイドルではなくなりますが、ひとりのタレントとして皆さんの前に絶対に出たいと思っていますので、それまで待っていて下さい」(ブレーメン大島)
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