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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(25)

 先週に続いて根岸競馬場の昔を知る関係者のインタビューをお届けする。

 W(元理事)「ロックパークで第1回皐月賞をとったときだが、馬が向こうずねを痛がって、ダグ(速足)で歩かせてね、これで僕は経験を得た。向うずねを少し痛がっても手当てしながらよく歩かせていけば、なんとかなる。あの時は単が1票も売れていなくて、払戻は上限の200円だった。楽勝だったけど、あの坂が怖くてね。横浜にはそんな記憶がある。」

 K(元騎手)「横浜ってとこは、攻め馬でも止めぎわはそのままゆけよ、そうでないとぶつけるからってね。追ったときはそのまま流して、坂の第2コーナー辺りになると、馬のほうですぐ止まる。上りだから…。その点、楽だったな。」

 W「東京競馬場なんかに比べると、タイム的には遅かったからだな。」

 K「相当な上りだったから、ハナを切ったら無理していかないと、ということですな。」

 S(元騎手)「坂とカーブで大変なコースだった。」

 K「だから、故障馬というと、大体みんな腰にきたね。」

 W「ダグ馬(けいが)速歩も、ほかの競馬場では体験できないレースだった。亡くなった古い新聞記者もいっていたよ。横浜は文化があって、なかなか面白かったと。障害はともかく、ダグ馬レース(繁駕速歩競走)もそうだった。」

 N(元騎手)「上り下りがあって、すり鉢のふちでやっていて、観る所が高くて、一望できだんだがなぁ。」

 B(元騎手)「若い馬にはなかなか大変な馬場だったな。」

 W「それですかね。新呼(しんよび・新馬の呼称)がね、あんまり横浜でおろさないで、次の中山とか府中を目標にしたため、横浜では、頭数が少ないという話があった…。」

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