プロ野球解説者の1人がこう続ける。
「チームは交流戦に入って、ようやく勢いづいてきました。梨田(昌孝)監督を始め、首脳陣が中田を気にしなくてよくなったから、チームも復調したんだなんて“冗談”も聞かれました(笑)。でも、梨田監督の表情が明るくなったのは本当ですよ」
関係者によれば、球団フロントが梨田監督と“和解の場”を設けたという。最下位に沈んだ序盤戦の反省として、フロント側が「補強ポイントを見誤った」と非を認めた。昨シーズン終了後、梨田監督は先発投手の頭数が不足しそうなこと、スレッジ(現横浜)の慰留を求めたが、フロントは応じなかった。実際、先発陣の一角として期待されていた糸数敬作(25)が“経験不足”を露呈し、打線も破壊力が落ちた。フロイト陣が頭を下げたことにより、双方のわだかまりも解けたというのである。
「今後の補強、巻き返し策も話し合われた」とのたとだが、この席上で振れられなかった『難題』が1つある。中田のことだ。
「左ヒザの故障が判明した直後、球団は早期の手術治療を勧めています。なのに、中田は『手術したくない。手術しないで治す』と抗っていました」(関係者)
中田はこれまでにも「苦言を呈されると、反抗的な態度を取る」と批難されてきた。まだ3年目の若手であるが、プロ野球の世界は『結果』が全て。「若手だから」で許されるのは、今年が最後とも言われていた。
「中田側の言い分も分かりましたよ。(言い分を)聞いてみたら、その気持ちも分からないではない」(前出・同)
中田が手術を拒んでいた理由だが、「手術=長期離脱」ではなかった。それは、新人時代にあった。08年シーズン中、中田は左手首の痛みを訴えた。球団側はサボリの口述と思ったのだろう。「たいした怪我ではない」と突っぱねた。しかし、改めて診断してみたら、骨折していたことが判明。このとき、中田は「オレの言うことは信じてもらえないのか!?」とショックを受け、かつ球団に対する不信感も抱いていたという。今回も、一方的に「手術しろ」と言われたため、身構えてしまったそうだ。
「このまま反抗していても、自分のためにはならないと分かったみたいです」(前出・同)
かといって、「必死に自分から練習していた」話は手術前には聞かれなかったが…。
「球団の総意か、一部の私見なのか分かりませんが、手術を拒否したころ、『中田の処遇を考える』という声も聞かれました」(前出・プロ野球解説者)
手術、リハビリを受け入れたことで中田の方も危機を脱したようだが、交流戦以降と思われる実戦復帰後、一軍に再び昇格させるのか、それとも二軍で様子を見るのか、まだ決められていない。「彼は善くも悪くも『天才』で野球をやって来た人。腹を決めて、外野でエラーしようが、打率が2割を切ろうがスタメンで使わないとダメ」という声もあるが、こういう特別扱いは本人のためにならない。またもや、梨田監督に悩みのタネが降りかかって来なければいいのだが…。