最初の1シーズンだけ巨人・長嶋監督との因縁対決もあった。初めてオープン戦で顔合わせの時には、天敵同士があいさつをかわし、マスコミを驚かせた。
森監督に請われて、王監督率いるダイエー・ホークスの助監督から横浜のヘッドコーチに就任した黒江透修氏が仲介したからだ。巨人長嶋第一次政権下で一軍コーチを務めたり、ロッテ・広岡ゼネラルマネージャー体制では二軍監督を経験している。誰からも「クロちゃん」と呼ばれ、全方位外交ができる類いまれな存在だ。
「天敵同士の広岡さんと森さん、さらに森さんと長嶋さん、そのすべてに行けるのは黒江さんだけですよ」と球界関係者に言われ、「そう言われれば、そうかもしれないな」と照れずに答えられるのが黒江氏の持ち味だろう。
画期的な長嶋監督と森監督の再会もその後は球界の新たな看板カードにはならなかった。結局はチーム再建の期待に応えられずに、2年間で横浜を去った森氏はいま、グリーンカードを取得してハワイに永住している。日本に戻るのは年に数回だ。
巨人・森監督を阻止した長嶋監督の方は、00年に球史に残るダイエー・王監督とのONシリーズを実現。王ダイエーを破って2度目の日本一監督に輝いている。あの時、長嶋監督が巨人の敷いた勇退既定路線に乗せられていたら、ファンは20世紀最後を飾った夢のONシリーズを見られなかったのだ。勇気ある長嶋監督の居直り続投に感謝感激するしかないだろう。
いや、ファンだけではない。読売新聞グループ東京本社会長、巨人球団会長の渡辺恒雄氏をはじめ読売、巨人首脳が全員、長嶋氏に頭を下げる必要がある。自らの不明を恥じて。世紀のONシリーズを制して、翌01年のシーズンをもって勇退、後任に原ヘッドコーチを昇格させた政権禅譲の監督交代劇も長嶋氏の功績だろう。
第一次長嶋政権後の巨人の監督交代劇は、世間を騒がせてばかりいたからだ。長嶋電撃解任。王本格政権への藤田の中継ぎ政権。が、その王政権も5年で終わらせ、再び藤田政権の再登板。「藤田永久政権だ。後継者も藤田監督に決めてもらう」と当時の読売新聞社社長の渡辺氏が言いながら2シーズン低迷すると、藤田監督解任。長嶋再登板というように、目先の利益でクルクル変わるのが、巨人監督人事だった。
それだけに、長嶋監督から原ヘッドコーチへのスムーズな政権禅譲劇は異例のことだった。この後に2年間ずつで、原政権→堀内政権、さらに原政権の復活と目まぐるしく政権交代。「グループ内人事異動」なる言葉まで飛び出しているのだから、なおさら長嶋→原禅譲政権が光っている。
もしも、あの時に森政権が誕生していたら、世紀のONシリーズがなかっただけでなく、その後の球界、巨人監督人事はどうなっていたのか。「ONは神様だ」とは、今回のWBC日本代表監督人事に際しての巨人・渡辺球団会長の言葉だが、都合の良いときだけの神頼みでは、神様だって怒るだろう。