野球でもないのに、なんのこと?そう思われる方も少なくないだろうが、当時の地方競馬は雨天順延が当たり前、いわゆる道悪馬場は雨上がり後の開催日を除いて、当然ながら存在しなかった。現在はひと雨降れば、予想のファクターのひとつとなる出走各馬の道悪の巧拙も、考える必要はなかったということになる。
むしろ、ファンの頭を最も悩ませたのは馬が走る以前のこと。開催の有無がそれである。雨天順延とひと言でいわれても、にわか雨のケースなど、開催をやるのか、やらないのか判断できない状況は多々あった。
しかも、八王子競馬場は、交通の便が悪い上に、問い合わせをしようと思っても、電話、ラジオ、テレビなどが普及していない時代。結果的に、ファンに無駄足を運ばせ、迷惑をかけてしまうこともしばしば。また、開催に踏み切っても、来場者が少なく売上不振というケースも少なくなかった。
そこで、主催者サイドは雨天決行を決断することになる。もっとも、当時の八王子競馬場は、全国有数の規模を誇っていた。本格的近代様式競馬場で、当時としては広い馬場に、木造3階建て、長さ150mのメーンスタンドと、120頭が収容できる5棟の厩舎のほか、1500坪の施設を備えていた。しかも、そのスタンドは、当時ほとんどなかった屋根付きであった。つまり、雨が降っても競馬に支障はなかったのである。
そして、ファンへのPRとして、当時の主催者によって考案されたのが、冒頭に記した「雨でもやります明るい競馬」のキャッチフレーズである。
だが、しかし…。この何が何でも開催ありきの姿勢がときには、アクシデントを招くこともあった。それについては次週、紹介していきたい。
※参考文献(大井競馬の歩み/悲運の多摩八王子競馬/八王子の歴史と文化)