いくら打撃が良いといっても、こんな投手がどこにいますか。投手から転向させ、遊撃手をやらせても、攻守で一流、スタープレーヤーになっていたと言われるのもわかるよね。何をやらせても一流。野球センスのかたまりというしかない。
「10月10日はなんの日か知っているか。体育の日? 違うよ。オレのノーヒットノーランと1試合3本塁打を記念して、国中で祝ってくれる日だ」。この自慢げなセリフを、いったい何度聞かされたことか。あの天狗のような鼻をさらに高々としてね。
でも、認めざるを得ない天才だったからね。イチローなんか目じゃない背面キャッチも見たことがある。イチローの場合は、外野でフライを背面キャッチするだけだろう? 堀内恒夫はライナーを、しかも内野で背面キャッチしてしまうんだよ。あんなことは危なくて誰もまね出来ない。
野手が打撃練習中、投手は外野で走ったり、柔軟体操したりしてウオーミングアップする。そんな時に、ホリさんはブラブラと三遊間のあたりにいく。打撃練習中の猛烈なライナーが飛んでくる。「危ない」と思わず声を上げたくなるような打球だ。が、ホリさんはクルリと背を向けると、何事もなかったかのように、グラブに打球をおさめてしまう。こんな背面キャッチ、イチローだってできっこないよ。
野球だけではない。サッカーもうまいし、ラグビーボールを投げさせれば、これまた一流だし、卓球をやれば、誰もかなわない。運動神経のかたまりだ。さらに、頭脳派ときている。
V9時代、川上さんは必ずホリさんを第1戦に先発させる。なぜか。小松さん(先乗りスコアラー)が偵察して集めた相手チームのデータと、ホリさんがマウンド上で実際に収集した生きた情報を突き合わせるせるためだ。
定評のある小松メモと、観察眼の鋭いホリさんの試合での生情報がミックスされれば、どんな相手でも丸裸にされてしまうよ。完璧な対策が出来上がるから、負けるわけがない。でも、ホリさんらしいのは、川上さんまでだましてしまう。ミーティングで熱心にメモを取っているから、川上さんが「ほら見てみろ! 堀内はあんなに熱心にメモを取っているだろう」と、他の選手の模範としてほめる。
ところが、実際は何をやっていたのか、オレは近くにいるからよく見える。ノートに書いているのは、大好きな戦闘機のことや、空母のことなんだよ。野球に関するミーティングのことなんか、1行だって書いてない。これには後日談があって、最後には川上さんにばれてしまったんだけどね。
天才プレーヤーで、いたずら好きな悪太郎。二つの顔を持っていたホリさんには、もう一つの顔、義理人情の厚い男らしさがある。
長嶋さんが監督1年目の昭和50年、最下位になった時の投手陣のメンバーだけで「さいかい」という会を作り、今でも酒を飲んだりしている。「最下位」と「再会」をひっかけた親睦会でホリさんがリーダー役だ。このメンバーの中でガンにかかり、闘病生活をした者がいる。
入院費など闘病に3000万円近くかかった。とても簡単に支払える額ではない。それを全額、ホリさんがポンと出してやり、面倒をみたんだよ。簡単にできることではない。義理人情に厚い親分肌なんだ。
面倒をみてもらったヤツと奥さんは、ホリさんに感謝感激したのは言うまでもない。少しでも恩返ししたいと、何かあれば、ホリさんのためにと駆けつけているよ。そんな堀内恒夫にも一つだけアキレス腱がある。カナヅチなんだ。巨人の伝説的な三大カナヅチ、ホリさん、柴田さん、杉山(茂)を、当時チーム内で知らない者はいなかったよ。
<関本四十四氏の略歴>
1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。