この日はグラビアアイドルの鈴木ふみ奈も登壇。その鈴木のお色気コスに「いいね〜」と子供のように目を輝かせるなど、ライガーはこの日終始ご機嫌。「あと11日。しんみりしたくない。プロレスラーとしてリングに上がるんですから、最後までプロレスラーでいたい。しんみりするのはその後で」とその明るさの理由も明かす。
プロレスの世界を目指すきっかけとなったのは、大先輩である藤波辰爾選手の存在を知ったからだとも紹介。「オヤジがあんまりプロレスを見なかったのでそれまではプロレスに興味がなかった。それが藤波辰爾さんを見てからですね。あの体とか試合内容で、これしかないって思った」と青春時代を嬉しそうに回顧。
プロレスラーになるためには身長180センチは必要だったといい、身長を伸ばすため、中学時代は意気込んで水泳部に入ったとも述懐。しかし、「縦には伸びなかった。横には大きくなれましたけど」と身長を伸ばす効果はあまりなかったといい、「バレーボールかバスケットボールにしておけば良かった」とため息も。その後、高校時代はアマチュアレスリングに没頭。お金を稼ぐために、朝は新聞配達もしていたという。
「3年間新聞配達をしてお金を貯めたし、自転車で新聞を配ったので体も鍛えられた。でも、身長は伸びない。プロレスラーになることを挫折しかけました。こりゃダメだって」とライガー。身長170センチの小柄な体型にコンプレックスを抱きつつ、身長を問わずプロレスラーを受け入れてくれる環境があったメキシコへ飛ぶと、メキシコでレスラーとして活躍する。「日本だと180センチ80キロは必要だった。それでメキシコへ行って、逆輸入される形で日本のプロレスに入ることができたんです」とデビュー秘話を紹介。
最初は素顔でプロレスラーをやっていたが、その後マスクマンになる。「自分の顔が嫌いなんです。あまりに不細工で。マスクマンになりたかったんです。自分の顔があまりにひどいので隠したかったんです」とライガー。「最初に憧れたのはミルマスカラスとかドスカラス。メキシコのきらびやかな選手に憧れました」と述べると、「最初に自分のマスクのデザインを(運営に)渡されて、これだから頼むなって。サンプルだけ渡されて、あとは自分で作れって言われて……」とマスクの制作秘話も振り返る。「全身コスチュームですから、ゼロからマスクを作るところに相談しに行って作ったのを覚えています」と話してにっこり。
その後、東京ドームでデビューを果たす。まだマスクを装着しての試合に慣れていなかったといい、「苦しかったです。ただ苦しかったです。練習でもかぶっていたけど、苦しくて。その時にこれ何とか改良しないといけないなって」とマスクの改良にも着手。「その時は2020年までプロレスラーをやるとは思っていなかったです。ライガーとしてやっていけるか不安だった」というが、当時ライバルだった佐野直喜の存在がライガーを救う。
「タイガーマスクだった佐山聡さんの真似をしてもダメだしって悩んでいる頃、佐野さんが現れた。その佐山さんとどうやったら戦えるか考えて、もっと俺自身を出して頑張ろうって思えるようになったんです。佐野さんのおかげです。佐野さんの背中をずっと見てその頃戦っていたんです」と佐野の存在がライガーを刺激し、成長させた。
最後にDVDの見所を問われると、ライガーは「僕のデビュー戦から収録されているものです。ライガーの方向性を決めてくれた佐野さんとの試合も入っています。佐野さんとの一連の遺恨の試合はすべて入れてほしいって要請して、入れてもらいました。それがあったから今の僕がある。僕の35年間がきっちり詰まった作品です。最初から最後まで全部見てほしい」と呼びかけていた。
(取材・文:名鹿祥史)