全国区では追い込みの平光孝(11期)が、しぶといマークでファンの人気をとった。だが、特別を制するまでにはいたっていない。平林二郎(13期)も追い込みでは結構ならした。
岐阜の選手が注目されはじめたのは斉藤勝也(16期)からだろう。後に須田一二三も三重から岐阜に移ってきた。斉藤は中京大の自転車部出身でダッシュ、地脚ともに抜群。先行選手のイン粘りの元祖といわれている。これには諸説あって、インについて引かずに粘るレースを多用したのは、川井孝治(群馬)だったような記憶もある。
吉田義昭、木田幸雄(ともに19期)はアマのキャリアは十分。吉田がうまいレースで人気になったのに対して木田は強引マークで売った。また、高井政文(22期)はまくり追い込みで穴を出した。
横枕裕史は25期のナンバーワンだった。力では後に特別を獲る荒川秀之助(宮城)や谷津田陽一(神奈川)よりは上だったが、レースにムラなところがあった。強いときには「鬼より強かった」が反面、もろさも目立った。同期の新人最優秀選手にも選ばれている。
しぶといのは今井博秀登(26期)だ。総合力では児玉清(28期)の方が上だったろう。追い込み型だが時にはまくりもあった。穴ファンにとって今井は絶好のねらい目だったし、児玉のマークも天下一品だった。
29期の卒業チャンピオンとなった棚橋良博は日大大垣高から日大へ進学したアマのエリート。逸材そろいの29期にあって、中部地区をファンに認めさせた選手の一人であった。同期には愛知の久保千代志、三重の加藤功治もいて、彼らは特別競輪の常連となった。
それ以降33期までは合格者もほとんどいない。33期でマークきつい桜井法弘、まくりの中矢政信、国枝一成が出てきた。国枝は岐阜の選手会支部長から全国選手共済会の理事長と選手会のほうで活躍したが、岐阜・大垣の特別競輪開催誘致には力をそえた。
36期の兼松薫は「岐阜のボス」兼松直市の息子だが、今の加藤慎平のような幅のあるレースをした。ライバルの菅田順和のマークをよく狙っていた。
本当の意味で岐阜にスターが出たのは37期から。竹内久人、上床幸治がデビューした。