今回登場する小林常泰騎手(現調教師)の場合も、終生忘れ得ぬ馬との出会いがあった。さかのぼること27年前、1980年の第16回新潟記念を優勝したナカミサファイヤがそれだ。
ナカミサファイヤは今は亡き中島啓之騎手のお手馬だった。小林師はなぜ、お鉢が回ってきたのか確かな理由は分からないという。「多分、八木沢先生(調教師)が現役時代、ボクの所属していた森(末之助)厩舎の馬に乗る機会が多かったことと、ボクが絶えずローカルに出張していたので目をかけてくれたのではないか。ハンデも51kgと軽かったし…」と推測する。
そこには、人知の及ばない力が作用したとも考えられる。というのも、小林師はナカミサファイヤの母トシマサントスにも騎乗し、勝ち星を挙げていた。「気性の悪い馬でブリンカーを着けていたけど、勝ったレースではたまたま外して出走。そうしたら10馬身ぐらい出遅れて…それでも勝っちゃった(笑)」
人馬は不思議な運命の糸で結ばれていた。ナカミサファイヤと小林師とのコンビはこれ1回きり。というのも、サファイヤは脚部不安(屈腱炎)のため、この新潟記念が現役最後のレースとなったからである。
勝って当然の実力馬(1番人気)とはいえ、“ワンチャンス”を確実にモノにした小林師もまた強運の持ち主だった。
「3角から一気に流れが速くなり、この馬向きの展開になった。直線一気の競馬で3馬身半(2着スパートリドン)突き抜けた」劇的といえばあまりにも劇的な重賞初制覇だった。
オークスをはじめ2着は計7回。勝てない症候群に陥っていたが、新潟記念で積もり積もったうっ憤を一気に吐き出した。ド派手なシーンが今も小林師、そしてオールドファンの記憶をくすぐる。
ナカミサファイヤ 1976年4月25日生まれ/美浦・八木沢勝美厩舎/父ボールドリック/母トシマサントス/牝/黒鹿毛/生産者=森永孝志(北海道・門別)/馬主=中村美俊/競走成績12戦2勝/主な勝ち鞍=新潟記念(80年)/獲得賞金=6219万8400円