番組冒頭のオープニングトークで、宇多丸は芸名の由来を説明。当初は本名に近いMCシローとして活躍していたが、スキンヘッド姿と「物申す感じ」が歌丸さんのキャラに近いため、仲間内では「ウタさん」と呼ばれていたという。そのため、宇多丸いわく「当時はテレビやラジオに出る予定ではなかった」ため「若気の至りで安直」に、そのままラッパーの歌丸を名乗った。
ラジオには出るようになって新聞の番組表に名前が載るようになり、「間違えられる」「確実に怒られる」と思い、宇多田ヒカルをもじって表記を宇多丸に変更した。さらに、歌丸さんの弟子で桂歌蔵を通して本人にも面会した。歌丸さんは「宣伝になるのでどうぞ使ってください」と快諾したという。
そのままの名前を付けるとは大胆であるが、宇多丸はブレイクまでに長い年月を経た苦労人でもある。本人も語っているように、身内のシャレで付けたような名前であったのだ。
宇多丸は1989年に早稲田大学のサークル仲間とライムスターを結成。90年代にはインディーズでCDをリリースする傍ら、音楽ライターとしても活動を始める。宇多丸は映画評論をはじめ、とにかく「理屈っぽい」キャラで知られるが、それはこのキャリアのためである。
知る人ぞ知る存在であったが、メジャーデビューは2001年の『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』まで待たねばならず、90年代の宇多丸は、同世代のラッパーやミュージシャンが売れていくのを恨めしく見ており、かなりルサンチマンを抱え込んでいたようだ。現在ではライムスターとして大型イベント「人間交差点」を主催しており、今年5月13日の開催で4回目を迎えた。その様子は、ライムスターの公式twitterにてアーティストごとに写真と共に投稿されており、好評を博した。
さらには、あの独特の髪型も『AKIRA』の鉄雄にあこがれて髪の毛を逆立てていたら毛根が死んでしまったため、やむなくスキンヘッドにしたという。隠れた苦労人といえる宇多丸には、歌丸さん同様にさらなる“いぶし銀”の活躍を見せて欲しいものだ。