中山というと、元相方で小説家の松野大介ともに1985年、ABブラザーズを結成。『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)やラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)といった人気番組にもレギュラー出演するなど、当時の人気ぶりは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
そんな中山だが、1993年に半年間ほど放送された深夜番組「殿様のフェロモン」(フジテレビ系)で、今田とダブルMCを務めた時期があった。だが、その番組をきっかけに、2人は“共演NG”となったのだ。
その真相について、中山は前出の『おかべろ』で明かした。両者は同番組の収録がスタートする前から、番組に取り組む姿勢に大きな開きがあったという。当時、ドラマや歌にバラエティと、アイドル並みの存在を放っていた中山は「みんなでワイワイ、楽しくやろう!」というスタンスであったとのこと。
しかし、大阪から上京したばかりの今田は共演者ともほとんど話さず、楽屋の電気を消し、シャドーボクシングを始める始末。「毎回が戦いだ」と関東勢を威嚇し、戦闘モードむき出しの状態であったという。収録スタート前の決起集会で今田は、誰とも口を聞かず、中山がビールをつごうとしても「あ、大丈夫です」と断ったほど、心を開かなかったと振り返った。
また、共演者同士の親密ぶりを強調するために「ヒデちゃんと呼んで」と頼んだ中山に対し、今田は「なんで知らないヤツをヒデちゃんって呼ばなきゃいけないんだ」と敵視。実際、本番中の今田は終始「中山くん」と呼び続けていたことも番組内で明かされた。
中山は「バチバチで、初めて人とこんなに『うまくいかない』と思ったわけ。それまで楽しくやれば何とかなると思ったけど、最後の最後までならなくて。空気が悪くて、それっきり今ちゃんと会うことがなくなったわけ」と当時を振り返った。
実は、これらにはわけがあった。当時、お笑い界には「東西冷戦」があったと言われており、西がダウンタウン、東は中山だとする風潮があった。
ダウンタウンは東京進出の際、今田やお笑いタレント・東野幸治らと“ダウンタウン一派”を結成し、東京で異才を放っていた中山に牙をむいていたという。“一派”は『おもしろくない芸人=中山』と、他番組で名指ししていたそうだ。それで、中山と今田が共演をすることを知ったダウンタウンから「中山を潰せ」というお達しが出ていた、と報じられていた。
業界内では、中山・今田の確執について「触れる人もいなかった」という。それ以降、共演がなかった2人だが、共通の友人である、ザブングルの松尾陽介を介して長い沈黙は破られた”と、中山は言う。
前出番組内で中山が言うには、当時の自身の態度を反省した今田が「中山に会いたい」と松尾に志願。松尾は再会の場をセッティングしたという。そして、約20年ぶりに再会を果たした2人。当時を振り返りながら語り合い、和解に至ったとのこと。かつて“犬猿の仲”だった2人は、今ではお酒を酌み交わす仲になった。
また、2012年の『27時間テレビ』(フジテレビ系)に出演時にも、中山と今田は「お互い若かった」と明かし、2人の確執の真相と和解の経緯が知られるところとなった。
1992年頃に事実上解散したABブラザーズ。当時のマネージャーから「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティをとにかく頑張れ」と命じられたことを、2015年4月に放送されたバラエティ番組『ナカイの窓SP』(日本テレビ系)で明かしている中山。その後、マネージャーの読みは見事的中し、中山は司会やバラエティ番組に欠かせない存在にまで上り詰めた。御年51歳になる業界のベテランの、今後のさらなる活躍に期待したい。