トヨタ首脳は会見の場で「両社で協議の上、次の段階は別々に進めた方がいいとの結論になった」として多くを語らなかったが、一方のフォード関係者は「いくらトヨタがHVの先駆者でも、フォードにはもう学ぶものがなくなった。だからアッサリ“協議離婚”したのだ」と指摘した。
その裏には「世界の自動車王」の異名を取るヘンリー・フォード一世(ビル・フォード現会長の曾祖父)が1903年に設立し、米ビッグ3の一角を担ってきた同社の強烈なプライドが透けて見える。
日本がTPP交渉に参加した今、米自動車産業は「関税が本当に撤廃されれば、技術で上回る日本車に席巻され、我々は立ち行かなくなる」と危機感をあらわにしている。その急先鋒こそ、“大の日本嫌い”で知られるフォードの創業家なのだ。
笑うに笑えない話がある。TPPを巡る日米事務レベルでの事前協議の直前、米自動車業界は「日本がTPPに参加したいなら軽自動車を廃止せよ」との条件を突きつけた。軽は日本の新車市場の約4割を占め、到底呑めない要求だった。
実はその旗振り役を務めた人物こそ、フォードのビル・フォード会長である。
むろん、オバマ政権にとってTPPは国策であり、日本の参加は歓迎すべき話。結局はGMがフォードに働きかけ「軽自動車の税率を見直す」ことで手を打ったものの、フォードが極めつけのナショナリストだったことに日本の交渉関係者は衝撃を隠さなかった。
日本にとってコメがTPP最大の聖域であるように、フォードにとって米自動車産業の優越性維持こそが聖域なのだ。
実は日米貿易摩擦を背景に、日本は昭和53年に6.4%だった自動車の輸入関税をゼロにした。これに対して米国は今も乗用車に2.5%、トラックに25%の関税を維持している。道理で日本自動車工業会が「これでは競争にならない」と悲鳴を上げ、コメ農家などとは対照的に早くからTPPへの参加を熱望してきたわけである。
一方、フォードの立場は聖域死守を唱える日本農業と共通する。意外と知られていないが、同社の北米販売のうち約3割はトラックが占める。前述のように米国はトラックに25%の関税を課しており、これがゼロになろうものなら屋台骨が大揺れする。乗用車にしても大型車への依存度が高い分、エコカーが幅を利かす昨今は大きく割りを食う。
言い換えれば切迫した危機感があるからこそ、フォードは早くからTPPの影に怯えてきたのだ。
「フォードは以前から強力な政治力を持つことで知られ、日本との事前交渉でも多彩なロビー活動を通じて何とか自分達に有利に運ぼうと画策した。日本車に課す関税は当面維持することで日米が手打ちし、交渉の焦点だった軽自動車の扱いを先送りしたのもその表れです。舞台裏で指揮を執ったのは大の日本通で知られるアラン・ムラリーCEOだったといわれています」(日米交渉筋)
ムラリーCEOはボーイング社で民間機部門の社長兼CEOを務め、経営再建に辣腕を発揮。それを見込まれてフォードにスカウトされ、2006年にCEOに就任した。
フォード会長の信任が厚く、既に「終身CEO」の肩書を与えられている。いわば百戦錬磨のツワモノで、米ビッグ3のうちフォードだけが法的整理を免れたのは、ムラリーCEOの経営手腕に負うところが大きいとされている。
そのムラリーCEOの下、フォードはトヨタと進めてきたHV開発をわずか2年で白紙に戻した。北米市場で無用の摩擦を避けたいトヨタは「自動車向け情報サービスなどで協業に向けた交渉を続ける」と“関係修復”に期待するが、フォードは至って冷ややかだ。
「日本政府の金融緩和策が円安を加速させたことにフォードは反発している。日本車の北米ジャックが加速しかねない上、大型車が得意な彼らから見れば、税率が安い日本の軽自動車は参入障壁でしかありません。その抜本的見直しを日本政府に迫るのは明らか。むしろ今回のトヨタとの決別は、TPP交渉を機に日米の自動車産業がガチンコ対決に突入した狼煙と理解すべきです」(経済記者)
これがどう出るかは誰も予想できない。しかし不用意に米国のナショナリズムを刺激すればどうなるか。
トヨタは'09年から'10年にかけ、米国で空前のリコール騒動に晒された揚げ句、就任間もない豊田章男社長が米下院の公聴会に引っ張り出され、容赦ない集中砲火を浴びた忌わしい過去がある。その悪夢が再現されない保証は、残念ながらないのである。