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「日本代表のチームワークを象徴するこんな場面があった」…テレビのスポーツ報道は主観の横並びを恥ずかしいと思わないのか

 サッカー日本代表が7月1日夕方帰国。共同会見での、岡田監督のフリによる、今野選手の“闘莉王選手の真似”と森本選手の“南アフリカの歌”の場面は最高だった。

 しかし気になったことがある。〈報道ステーション〉のスポーツコーナー、〈NEWS ZERO〉、〈News23〉、〈ニュースJAPAN〉〈すぽると!〉とこの代表帰国のニュースをはしごして観たのだが、同場面を映像で紹介する際、すべての番組で前フリとして、「日本代表のチームワークを象徴するこんな場面があった」という同じ事を言ったのである。

 しかし、これは活字だったら、とうてい考えられないことだ。活字媒体にとって主観は命。
「主観によってまったく記事は違うものになる」(週刊誌編集者)
「何を訴求するか、というのも大事」(実話誌編集者)
「主観が一番大事と言ってもいい」(4大新聞デスク)そう関係者も、異口同音に賛成する。

 たとえば週刊誌の記事に、「こんな馬鹿な話はない」と書くのと、「まるで漫画だ」と書くのは、まったく別のことだ。そのような当たり前のことが、テレビのスポーツ番組関係者にとっては、常識ではないのだろうか?
 …あの会見の場面を、チームワークがよかった象徴、とするのは、紛れもなく『主観』だろう。なら彼らは、『報道する』ということを拒否している、とすら言えるのではないだろうか。

 筆者は、取材の現場でテレビ局記者らがメモを突き合わせているのを、何度も見たことがある。そんなもろもろの結果として、何千万人が観ようかというテレビメディアで、チャンネルを変えても変えても金太郎飴みたいに同じ事を言っている状態は、異常そのものだろう。
 
 こんなことは、規定路線とでも言うべきことなのかもしれないが、そんなことは知ったことではないし、そもそもジャーナリズムのあり方として間違っているのではないか。
 いくら同様の批判をされても、テレビのスポーツ報道は頑として変わるそぶりも見せない。
 ならばその理由は、“たくさん給料がもらえると、外部の意見に対して聞く耳も持たなくなり、羞恥心も無くなってしまう”、というようなことに尽きるのだろう。

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