さて、立川談志には数多くのおもしろいエピソードが存在するが、本記事ではちょっと捻って「立川談志の微笑ましいエピソード」を何点かご紹介したいと思う。
★家族を愛した立川談志
やたらと野蛮な言動・行動が目立っていた談志であるが、家に帰れば一家のお父さん。実際、家族にはわけ隔てない愛を注いでいたそうだ。特に則子(のりこ)夫人にはメロメロで、談志は則子夫人を「ノンくん」と呼んで可愛がっていたという。
則子夫人は全く落語に興味の無い女性で 談志の十八番である『野ざらし』をアザラシの出ているお話だと勘違いしていたというエピソードがある。
また息子や娘にも頭があがらない子煩悩で、家族のために練馬に大きいマンションを買ってあげたところ、娘から「練馬には伊勢丹が無い!」言われ、元の新宿のマンションに泣く泣く戻ってしまったという。
★ファンサービス旺盛だった立川談志
「居眠り激怒事件」のイメージからか、お客に対しては粗暴な印象がある談志であるが、本当はファンサービスが旺盛な落語家であった。
ファンの中で特に有名なのが毎年ゴールデンウィーク中に開催されていた『談志のガレージセール』。これは、談志の住んでいるマンションの前でコレクションやガラクタを自ら売るというもので、希望があればサイン付きで売ってくれていた。
普段、なかなか近づく事の出来ない談志と触れ合える唯一のチャンスであり、物珍しさもあって毎年大盛況だったという。最後の開催となってしまった2010年のガレージセールでは、体の調子も悪くフラフラの状態であったが、ファンの声援に応えて最後まで自らガラクタを売りさばいていたという。
★実はマニア気質だった(?)立川談志
「この世には天才と呼べる人間が二人いる。それはレオナルド・ダ・ビンチと手塚治虫だ」との言葉を残すほどに手塚治虫の大ファンだった立川談志。実は漫画や子供番組もよく見ていたという。
談志が名付け親となったタレント、毒蝮三太夫氏。この「毒蝮」の発想はどこかというと、なんと『ウルトラマン』からだという。これは当時、毒蝮三太夫氏が本名の石井伊吉で出演していた『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を談志も見ており、「怪獣ドラマに出てんなら怪獣っぽい名前に改名したらどうだ」と持ちかけたのがはじまりである。
また、イメージとはほど遠いが談志はインターネットにも多少の興味を持っていたようだ。談志の著書の中には「こんどいいもの(つまりはエロ動画)みせてくれ」とパソコンに詳しい弟子に頼むという場面があったりする。
★ひたすらに芸を磨き続けた立川談志
孤高の天才・風雲児として落語界を駆けた談志は実は陰の努力家でもあった。
今回の訃報で「喋れないのが何より辛い」と言っていたことが明らかになったが生前、談志は365日24時間常に落語について考えまくっていたという。
大御所となっても、落語を呟きながら歩くという稽古を欠かさず、思いついた事はすぐにメモを取るという毎日だったという。常に新しい根多(ネタ)の稽古も行っており、その姿はまさに落語の鬼。弟子は師匠・談志の悩み続ける姿を見てさらに修行に励んだと言われている。
立川談志は75歳でその生涯を閉じた。しかし、これらの微笑ましいエピソード、キャラクター、残された芸は永遠のものである。
(安坂由美彦)