実妹で、かつて女優としても活躍していた中森明穂さんが、去る5月27日に52歳の若さで亡くなっていたことが明らかになった。6月11日発売の写真週刊誌『フラッシュ』が、明穂さんの死因や最期の様子などを報じていた。明穂さんの葬儀に、明菜は現れなかったという。
「肝硬変だったそうです。明菜自身も一時、酒浸りだったこともありましたが、明穂さんも相当の酒好きだったようです。かつてはタレントとして活動していた時期もありましたが、引退宣言もなくリタイア。ここ何年も病院通いだったことは分かっています。交際相手もいなかったみたいです」(芸能ライター)
明穂さんは波乱万丈の人生だった。1987年に芸能界デビュー。フジテレビ系の単発ドラマ枠・月曜ドラマランドの『スケバン保母さん ツッパリ風雲録』がデビュー作とされる。
「大成はしなかったものの、かわいい感じの子でした。ただ、どういうわけか地道に活動せず、デビューの翌年にセクシー写真集を出版。それに明菜が激怒。疎遠になったといいます。かなりハードな内容のビデオにも出ていましたが、出た理由も分からなければ、以後の活動も分かっていない。要するに、売れなかったから引退したのでしょう」(同・ライター)
明穂さんの葬儀は29日、都内の葬祭ホールで執り行われたが、明菜は現れず、騒動となった。
「父親の明男さんと明菜は、もう何年もうまくいっていない。ただ明男さんは、明菜に連絡を取ったようですが、結局、返事はなかった。明穂さんは明男さんと一緒に暮らしていたそうです」(芸能プロ関係者)
3年前に発売されたの女性誌報道で、明菜は中森家から戸籍を抜いているとされた。
「籍を抜くことを『分籍』といいます。戸籍を2つに分けるだけで、法的に親子の縁が切れるわけでもありません。憎悪などの感情がある場合、籍を抜くことはママあります」(都内の弁護士)
明菜は、明男さんほか親族に、もう20年以上も接していないという。昨年、明菜は自身のファンクラブの会報で「さみしいねぇ…ほんとォーに…みんなに…会いたい…でも…無理かもぉー」と活動休止を宣言。
「いまだ活動再開のメドなし。このままだと、夫の死で芸能界から消えた『ちあきなおみと同じ』との声も出ています。明菜はリメーク盤、ベスト盤を出せば黙っていても年間1億円の印税があるという不世出の歌手。もったいないですね」(音楽ライター)
今回の明穂さんの件での態度を受け、復帰は望み薄との見方も出ている。明菜には、悲しい話ばかりがつきまとう。