南方邸は、つい最近の平成12年まで熊楠の娘が住んでいたということもあり、熊楠が暮らしていた当時そのままの姿ではない(それは、人が生活をし実際に使われ続けていた家なので仕方がないことなのだが…)。現在は、当時を知る方々の記憶によって、より当時に近く再現され公開されている。
「より当時に近い状態」というと、南方熊楠ファンなら即興味を持つのが、その庭であろう。奇人としても有名な彼が多くの逸話を残したその庭を、ファンなら見学と言わずとも、是非その足で歩いてみたいと思うのは当然だ。
ミナカテルラロンギフィラを発見した柿の木があり、朝、お粥(茶粥)の上にオカズを乗せ、朝食と運動を兼ね、食べながら歩いたというその庭。隣人と一発触発の冷戦状態を作ったのも、この庭の粘菌畑が原因であったし、蟻に男性器を噛ませようとあられもない姿で寝転がったのもこの庭だ。実際に生活をしていた場所であるから、エピソードも多くて当然なのだ。
顕彰館を出て、熊楠邸の玄関へと向かう。昔ながらの木造建築の玄関は未だに生活臭を放ち、「御免下さい」と声をかければ奥から、「はぁい」と返事が返ってきそうなほど生々しい。
その玄関を横目に狭い木戸を通ると、左手に浴室だった建物があり、右手には熊楠が好きだった縁側が現れる。その縁側に腰をかけると庭一面を見渡せるのだが…。その光景に南方熊楠ファンは愕然とし、肩を落とすであろう。
ただ単に興味を持った人が見る分には美しくよい庭なのだが、そこが問題なのだ。美しいの意味合いが違う。美しく整備されていては「熊楠の庭」ではないのだ。植えられている木々の配置は当時のままとはいえ、綺麗に柵が張り巡らされている。雑草のない庭園のような庭では台無しだ。しかし、百歩譲って一般公開されているのでそこは仕方ないとしても、景観を損ねる説明看板や、熊楠と何の繋がりがあるのか不明な記念植樹とその看板は、もう少しセンスよく考えられなかったのかと思うと残念だ。
「熊楠の庭」というのは、庭という名のジャングルであり、そこには小さな冒険がなければならない。見学者に媚びず、見る者たちに鬱蒼とした木々に囲まれながら「もう少し何とかすればいのに…」と言われるくらいが丁度よいのだ。せっかく片付けた落ち葉を「元の位置に戻せ」と叱られるような庭でなくてはならない。大人の事情丸出しで何が「熊楠の庭」だと言いたい。…と、憤慨しているのは私だけではない。当然、記憶の提供者自身が一番憤りを覚えている。「いったい何を見せたいのだ」と。
母屋や離れの畳の目一つひとつや、柱の木目、少し傾いた机などには熊楠の気配さえ感じられるのに、非常に残念だ。
歴史の証人がいるにもかかわらず、観光地として整備され、ある程度の妥協を含んだものと、ただ正直に歴史を再現するものと、どちらをよしとすべきか考えていただきたい。
(sel 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou