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ローカル回想記 79年新潟記念馬ホオカノを振り返る

 馬名の響きから、小学校の午後の校庭を連想させる馬がいる。1979年の「第15回新潟記念」を優勝したホオカノがそれである(寒いかな!?)。
 当時、ジョッキーとしてコンビを組んでいた嶋田潤調教師に、取材をしたら開口一番、「28年も前の話だもの、ほとんど記憶にないよ」と苦笑い。ひと呼吸置いて、徐々に記憶の糸を手繰り寄せてくれた。
 「自信?なかったよ。ただ、前走で条件特別(朱鷺S)を勝った勢いがあったし、芦毛で夏にも強かったと思う」というように、いくつもの要因が相乗効果となった。それにより一段と切れ味を増した差し脚で、一気に栄冠を手に入れたのだった。
 馬主の滝谷守氏は、「馬主になる前は大相撲の高見山(現親方)の後援会長だった」(嶋田潤師)という。ホオカノは翌80年に連覇を目指したが、ナカミサファイヤにその夢を断たれた(5着)。
 その後、海外に遠征したが9戦0勝に終わり、ファンの記憶からも消えていった。
 ところで、嶋田潤師はホオカノから遡(さかのぼ)ること3年前、76年にはタケデンジャガー(父グスタフ、中山・稲葉秀男厩舎)でも新潟記念を優勝している。
 「兄貴(嶋田功調教師=当時は騎手)のお手馬だったけど、他に乗る馬がいて代打で騎乗したら勝っちゃった」と笑顔で振り返る嶋田潤師。「2頭とも人気はなかったと思う。第一、人気になるような馬には乗せてもらえなかったよ」と屈託がない。
 ちなみに、ホオカノは8頭立て3番人気。タケデンジャガーは13頭立て5番人気。記憶の糸を巻き戻した嶋田潤師は、「たまたま巡り合わせが良かった」と愛馬に思いを馳せていた。
 ホオカノは移籍した米国で引退後、そのまま米カリフォルニア州で種牡馬入りを果たし、異国の地で静かに第2の人生を送った。

 ホオカノ 1975年4月13日生まれ/美浦・藤本冨良厩舎→米・クリフォード・デルマ厩舎/父シルバーシャーク/母フィット/牡/芦毛/生産者=明和牧場(北海道・新冠)/馬主=滝谷守/競走成績=中央23戦6勝、地方1戦0勝 海外9戦0勝/主な勝ち鞍=新潟記念(79年)/獲得賞金=6214万1600円(中央のみ)

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