ふたりがおもしろくなれたルーツは、貧乏な幼少期にあったといえる。家族4人が住んでいたのは、6畳と4畳半、風呂なしの文化住宅。銭湯に行くお金がもったいないと、家の玄関にタライを置いて、真横にある台所の湯沸かし器の蛇口にホースを突っ込んで、シャワーにした。さらに節約したいときは、4人で一緒に浴びた。場所が玄関なだけに、“入浴中”に回覧板を持ってこられることもあり、母は全身ズブ濡れで、尻を見せたまま、板を受け取った。
ツラいのは、誕生日だ。欲しい野球のグローブを買ってもらえず、素手で野球の仲間に加わった。何度もおねだりすると、ようやく買ってもらえたが、グローブが入っていた袋には「信用金庫」の文字が。取りだすと、グローブに「井上」と刻まれており、あきらかに井上さんという赤の他人のおさがりだった。
同じく、自転車も買ってもらえなかった。しかし、自転車がないと仲間と遊べないため、いつも全速力で走って、自転車に追いついた。走りきったあとも、苦しい表情を見せると次から誘ってもらえないと思い、必死で平気な顔を取り繕った。最終的に、自転車を買ってもらえたが、先の“グローブ事件”同様、何かしらのお下がり。今回は、ワイヤーなどで組み立てられた氷屋のリヤカーだった。
昼食代をもらえないときは、兄弟で近所の商店街を歩き、ランチタイムになると外に置かれるディスプレイを拝借した。最初は、白飯の上に乗っていた梅干しだけ。しかし、どんどん加速していき、完食してしまった。食堂のおばちゃんは、空になった皿を見て言った。「よぉ食べたなぁ」。さすが、大阪である。空腹をしのぐため、教科書を食べたこともある。いろいろ試した結果、文字数が多い国語がおいしいと判明した。
年1回の家族旅行は、いつも見知らぬ家族と相部屋になったり、バーベキューに行っても、持参したおにぎりを食べて帰ってきたり。涙なくしては語れないエピソードばかりの幼少期。ところが、笑いは0円だったことから、日常的にふれあっているおっさんやおばちゃんにツッコミを入れて、現在の中川家の原型を完成させた。
転んでもタダで起き上がらない浪速魂。中川家こそ、その体現者といえる。(伊藤由華)