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デビュー42周年!ジャガー横田のヒールユニット『クライシス』が主催興行を開催!

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ジャガー横田

 今年でデビュー42周年!を迎える日本女子プロレス界のスーパーレジェンドで、タレントとしてもおなじみのジャガー横田が、自身が2015年に立ち上げたヒールユニット『クライシス』の第5回主催興行を、川崎25Dスタジオで2月2日に開催する。

 ジャガーは1977年に全日本女子プロレス(全女、現在は解散)からデビュー。日本女子プロレス界の最高峰タイトルだったWWWA世界シングル王座を元ビューティーペアのジャッキー佐藤(故人)から奪取し、ジャッキーは引退。異例のスピードで世代交代を実現させると、デビル雅美(引退)や、ライオネス飛鳥(引退)&長与千種のクラッシュギャルズ、ダンプ松本率いる極悪同盟ら後輩が台頭してきても同王座を死守してきた。

 1986年に決定していたデビルとの防衛戦を怪我で欠場したことで、王者のままタイトルを返上し引退を表明したため、現在でも“ジャガー最強説”を唱えるファンは多い。4年9か月という同王座の通算保持記録を持っている。連続保持日数の記録も持っていたが、こちらはブル中野(引退)に抜かれた。25歳定年制だった当時の全女で生き残るのは大変なことだったのだ。全女はジャガーの実力を高く評価し、コーチとテレビ解説者として団体に残留させた。これも当時としては画期的なことだった。コーチとしてはアジャ・ゴングらを育て上げ、現在でも師弟関係を築いている。

 1989年にライオネス飛鳥の1回目の引退試合にサプライズ登場し、飛鳥と5分1本勝負のエキシビションマッチを行った。往年と変わらぬキレを見せてファンを驚かせると本人は「まだあれぐらいはできるわよ」と余裕のコメントを残していた。

 女子プロレスの中で対抗戦ブームが高まり、1994年11月、ジャガーの時代には“なかった”東京ドームに全女が進出すると、スペシャルエキシビションマッチとして、飛鳥、小倉由美(引退)、バイソン木村(引退)とともに復活。小倉を除く3人はそのまま本格復帰を決めて、雷神隊(ライディーンアレイ)として全女マットに参戦したが、ジャガーをもってしても90年代中盤の全女スタイルに慣れるまで時間を要した。

 1995年には吉本興業が出資し、全女も協力する形で設立した吉本女子プロレスJd'に選手兼コーチとして、バイソンとともに参加。飛鳥はフリー参戦しヒールに転向すると、ジャガーのライバルとして対峙した。飛鳥はJd'でジャガー超えを果たしている。1998年12月に2度目の引退をするが、その後もスポット的に復帰を続けた結果、フリーの選手として再び本格復帰を果たす。

 プライベートでは2004年に、現在『ミヤネ屋』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても活躍中の医師、木下博勝氏と結婚したことが世間でも話題となり、夫婦そろってバラエティー番組に引っ張りだこ。知名度を押し上げるキッカケとなった。2011年には教え子の井上京子が代表を務めるワールド女子プロレスディアナに所属。現在はクライシスのリーダーとして、主にJd'時代の教え子とともにヒールユニットを率いている。

 今回はメインイベントでは、藪下めぐみ(フリー)、そして新メンバーの新井健一郎(ドラゴンゲート)とトリオを結成。井上京子、渡辺智子(マーベラス)、井坂レオ(マーベラスインパクト)を相手に6人タッグマッチを行う。セミファイナルではKAZUKI(PURE-J)がSareee(ディアナ)とシングル対決、第2試合では新メンバーのガッツ石島(GOING-UP)&ドレイク森松(フリー)が、黒田哲広(フリー)&新納刃(MAKAI)と対戦することが発表された。

 今年7月には58歳を迎えるジャガーだが、まだまだ動けるだけに、昭和、平成、そして次の時代もジャガーなりに進化したプロレスを見せながら、若い選手に古き良き時代を継承してもらいたい。

文・どら増田
写真・©︎クライシス実行事務局

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