今回の案では、批判があった“非実在青少年”の文言が削除され、規制対象は刑法や民法に違反する性行為を「不当に賛美し誇張するように描写された漫画等」に修正された。6月の案では反対した都議会最大会派の民主も賛成に回る見通しのようで、以前のものより可決される確立は高い。だが今回の案でも、規制対象は性的表現などを過度に含む漫画やアニメとされており、小説や実写ドラマ、映画等は除外。本来作品の表現方法には優劣はないというのに、またもやマンガ、アニメを劣等なものとするこの条例案に疑問を感じる。
都のひとまずの狙いとしては、未だ成人向け指定のされていない過激描写の多いレディースコミックなどを書店やコンビニに区分陳列させたいのだろうが、将来的には些細な内容にもにも口を出して来そうな気もする。“非実在青少年”の文言が削除されたとはいえ、規制対象が曖昧で見えにくいのには変わりはない。一度通ってしまえば“不当な描写”は規制側の捉えよう次第になってしまう。これが成功すれば今度は暴力表現、成人向けコンテンツと波及していくのは明らかだ。表現手段を狭くする危険な改正案と言っていいだろう。
そもそもこの規制にそれほど意味があるのだろうか。本来の青少年が事件に巻き込まれる可能性を下げるという趣旨から逸脱しているのではないか。創作物などより、携帯やパソコンのコミュニティーサイトなど直接人と交流がある所の方が危険なではないのか。それだって規制しなくとも親子が細かくコミニュケーションをとれば大体は解決する話だろう。それに、相変わらずアニメ、マンガなどの二次元コンテンツ狙い撃ちの案というのも不満だ。活字に抵抗のない小学生なら、たとえ難しい表現があったとしても小説は読むはず。アダルトゲームや成人マンガ以上の過激な性表現の作品だって沢山ある。その辺の表現は不当な描写にはならないのだろうか。明らかにマンガ、アニメへの嫌悪からの規制案であることが見え隠れしている。
本来、創作物には面白いか、つまらないかの二つしかないはず。自分たちの趣向に合わないからと権力にものをいわせて規制する動きには断固反対だ。(斎藤雅道)