平安時代の豪族・平将門は、兵を起こして板東8か国を平定し新皇を名乗ったが、朝廷から派遣された軍に敗れた。将門の首は京でさらされた。しかし、3日後に白光を放ち東国へ飛び去った。将門の首が落ちた場所が、この将門首塚という。
将門の首が戻ってきたとき、大地は鳴動し太陽が隠れ真っ暗になったと伝えられている。将門の怨念を恐れた村人たちは、塚を築いて埋葬した。だが、その後も将門のたたりは続いた。徳治2年(1307年)、法号を追贈し、さらに首塚そばにあった神田明神に合わせまつったので、ようやく、将門の霊が鎮まったという。
なお、三の宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと)を祭神としてまつる神田明神は、現在、将門首塚から離れた場所にある。これは、徳川家康による江戸城拡張の際、神田明神を江戸城の裏鬼門にあたる場所に遷したため。また、神田明神は、家康が関ケ原の戦いの前に戦勝を祈願した場所でもある。平将門は除災厄除の神として、崇敬を集めた。
今年は中止となったが、5月の神田祭のときに、平将門命を乗せた形を再現した「入母屋造」の大神輿が出て、約1000人にかつがれる。
最後に将門首塚までの行き方を紹介しておく。
地下鉄「大手町」駅C9番出入口の階段を上ると、車道沿いに、将門首塚まで「230m」の表札がある。指示に従って進むと、今度は交差点に「70m」の表札。あとは、矢印にそって真っ直ぐに進むだけでよい。記者が訪れたのは祝日の昼下がりだったが、地元住民と思われる人々が、厚く首塚を参拝していた。(竹内みちまろ)