ネット上では「殺意の有無などの、いわゆる量刑を争うような事案の死刑囚ってのは、粛々と執行していくべきだ」、「冤罪の可能性もないものに関しては粛々と執行すればいいと思う」、「法の規定に粛々と従って、判決確定後半年以内に機械的に執行すべきです」、「死刑に値する犯罪を犯したのだから、どんどん死刑執行すれば良い!」、「全く早くみんな死刑にしろって感じ」など死刑執行に賛同する声が多数挙がっている。
以前、ダウンタウンの松本人志は、ラジオ番組「放送室」で、1997年に当時14歳の中学生が2名を殺害し、3名に重軽傷を負わせた「酒鬼薔薇聖斗事件」を例に挙げ、「酒鬼薔薇でもそうやで。死刑制度が反対か否かということを言うでしょ!? 必ず言い出すヤツが『それは昔の仇討ちと一緒なんや』みたいなことを言い出してくるんですよ。昔のヤッたヤラレたみたいな世界で、そんなことを国が認められるワケがないみたいなことをね。言い出す、輩が。いやいや、違うと。仇討ちやないねん。向こうがこっちの身内を殺したんや。まず、向こうが一回の表で攻撃してきたんや、一回の裏はヤらしてくれよ。それでまた、向こうがね、『何や〜』ってきたら、これは仇討ちですよ。二回の表はない。でも、一回の表裏はありますよ。それはある」と死刑制度廃止論者たちの考えを真っ向から否定した。
松本の「一回の裏はヤらしてくれよ」という言葉で思い出されるのは、1999年、光市母子殺害事件の被害者遺族で夫の本村洋氏が発言した「もし、法的機関が死刑を与えないなら、私が自らの手で殺すまでです」という言葉。2012年、死刑が確定した際には、「死刑判決が下されて、日本の社会正義が示されて大変よかったと思います」とコメントした。
そして、ビートたけしは以前に「ビートたけしのTVタックル」で「死刑が極刑だとは思えない。そんなんじゃ済まない。自分の意見としては、それだけの犯罪をもっと生きてもらって、人間とは何かと。殺生しなきゃモノが食えないとか、もう一回始めっから哲学的に修行してもらおうじゃねえかと。終身刑で勉強してくれって。中には死にたいから殺してくれっていってるヤツが出てくると、これどうなんだってね」と死刑ではなく、罪人を生かしながら刑罰を与えるべきと主張した。
昨今では、患者の透析チューブを引き抜いて殺害しようとしたとして、殺人未遂の疑いで逮捕された内科医の橋爪健次郎、公園で面識のない男性を刺した(男性は10時間後に死亡)として殺人未遂容疑で逮捕された太田勝也などが、「死刑になりたかった」という理由で殺人未遂事件を起こしている。2012年には、大阪・ミナミの繁華街で男性を刺殺し、現行犯逮捕された礒飛京三は刑務所を出所したばかりで、「自殺しようと現場近くで刃物を買ったが死にきれず、人を殺したら死刑になると思った。誰でもよかった」と供述していた。
「死にたい」「死刑になりたい」という理由で殺人事件を起こす犯罪者が増えている現代社会。たけしが論じるように「死刑」を求める犯罪者たちにとっては、「死刑」は最も重い刑罰にならないというパラドックスを生み出してしまっているのではないだろうか。