「ジョーさんは億万長者だからね。現役時代から無駄遣いをしないで、年俸の一部でマンションを買うなど、着実な資産作りをしていた。今は好きなゴルフ三昧の毎日を送っているよ。子供がいないから、奥さんも趣味の日本舞踊を楽しんでいる」
童貞伝説まであった。「結婚するまで間違いなく童貞だったと思うよ。女性と付き合うなんて考えられないし、SEXのやり方も知らなかったんじゃないか」V9巨人ナインは真面目な顔でこう語り合っていたという。
入団以来7年連続の2ケタ勝利。テンポの良い投球、切れのいいストレートにシュート、野茂のトルネード投法の元祖ともいえる、一度打者に背を向ける独特のダイナミックなフォームで打者を威圧。エースのジョーはグラウンドでは無敵だった。金田正一氏の400勝目の大記録をアシストしたことでも知られる。
73年にロッテ監督になった金田氏は、巨人を退団後、評論家だった城之内氏を74年に現役復帰させ、その後ロッテの投手コーチ、スカウトを務めさせた。そして巨人にもスカウトで復帰し、定年まで全うした。
前出の巨人OBがスカウト・城之内氏をこう評する。「体の大きな選手が好きで、こだわった。面白いのは、スカウトは1人でも多く担当する地域から選手を取りたがるものなのに『今年はいい選手がいません』とキッパリ言い切ってしまう。真っ正直なジョーさんらしい話でしょう」。駆け引きなしのストレート勝負は、スカウト業でも不変だった。69歳になったエースのジョーは私生活でも“エース”である。
◎金田400勝アシストした69年10月10日
佐原一高→日本ビール(現・サッポロビール)から62年に入団。いきなり新人で開幕投手を務め、24勝して新人王獲得。2年目以降も17勝、18勝、V9の始まった65年からも21勝、21勝、17勝、11勝と、入団以来7年連続の2ケタ勝利。V4の68年5月16日の大洋(現・横浜)戦(後楽園)ではノーヒットノーランを達成している。
数々の栄光を誇るエースのジョーだが、金田正一氏の400勝アシストが、一番ジョーらしい偉業だろう。
V5を決めた翌日の69年10月10日の中日戦(後楽園)。先発した城之内氏は4回、3対1とリードした時点で金田氏にマウンドを譲っている。この年、城之内氏自身も、2ケタ勝利がストップして4勝しかできなかったのに、金田氏の前人未踏の通算400勝を花道にした勇退の手助け。エースのジョーの評価をさらに高めることになった。
また、芸能界とは全く縁がなさそうなのに、俳優の地井武男、歌手の城之内早苗が親戚というのも、意外性があって面白い。