フランスが降伏するまでの間、ドイツ本国から大西洋まで到達するには、どうしても北海かドーバー海峡を経由しなければならなかったため、一部の仮装巡洋艦やポケット戦艦を例外として、ドイツの通商破壊活動はイギリス近海や北海に限定されていたのである。しかし、フランス西部を拠点に活動するならば、イギリス軍が防備を固めている海域を経由することなく、直に大西洋航路を攻撃することが可能となるばかりか、時間と燃料も大幅に節約できるのだ。
事実、ドイツ海、空軍の通商破壊活動は恐るべき威力を発揮し、イギリスは深刻な打撃を受けている。潜水艦による被害に加えてドイツ空軍の洋上哨戒活動も無視できない問題で、航空支援を受けることができなかったイギリスの輸送船団にとっては、わずかな爆弾を散発的に投下する爆撃機でさえ、重大な脅威として受け止めなければならなかった。
もちろん、イギリスも様々な対策を講じており、アイスランドから輸送船団に対する航空支援を実施したほか、カナダ東部のニューファウンドランドにも基地を設営し、洋上航空支援を提供しはじめた。しかし、航続距離の関係から航路全体に渡って航空支援を提供することは不可能で、特にグリーンランドの南東海域は大きな隙間が生じていたため、ドイツの潜水艦にとっては絶好の狩り場となっていたばかりか、補給船との会合点としても利用されていた。
もちろん、イギリスはなんとかしてグリーンランド南東の間隙部を埋めようと試みたのだが、爆撃機が不足している状況下で優れた航続能力を持つ長距離哨戒機を大量に配備することは困難であり、貴重な空母を投入する事はそれよりもはるかに困難だった。そのため、当時のイギリスでは様々な解決法が提案されたが、その中でも最も根本的かつ奇抜なものとして、氷を利用して洋上航空基地を安価に建造し、洋上哨戒機の中継拠点にするというものがあった。
驚くべきことに、この夢想的な提案は軍関係者の目に止まったばかりか、建造を前提とした試験も開始されたのである。素材となる氷は、単に水を低温凝固させただけの「いわゆる氷」とは異なり、おがくずを4〜14%ほど混入させた水を凝固させたもので、発明者の名前から「パイクリート」と呼ばれていた。この「パイクリート」は通常の氷よりもはるかに溶けにくかったばかりか、強度面においても優れていたため、ブロック状に切り出すか、あるいは凝固させた「パイクリート」を使えば、船舶の建造も可能と考えられたのであった。
具体的には、鉄で基礎となる骨組みを構成し、その上に「パイクリート」を張りつけるという工法が提案され、最終的には幅90〜100メートル、全長600メートル程度の巨大な洋上航空基地を建造する予定だった。もちろん、どれほど溶けにくいといっても、常温では「パイクリート」が溶けてしまうため、骨組みとともにパイプを張り巡らせ、そこから冷気を吹きつけて全体を低温に保つ構造となっていた。
また、氷の洋上航空基地は自力航行も可能とされ、蒸気タービンかなにかで推進用モーターに動力を供給し、両舷に各6基、尾部に1基、合計13基あるスクリューで航行する計画だった。最終的に、氷の洋上航空基地は排水量2,000,000トンに達する予定で、巨体を活かして航続能力の優れた陸上用の双発機に発着拠点を提供することで、グリーンランド南東の間隙部を完全にカバーするという壮大な構想が練られていたのである。
カナダのパトリシア湖で実際に「パイクリート」を使った水上構造物を建造し、氷の洋上航空基地が本当に実現可能なのかどうかも含めた、様々な試験が行われた。一説によると、試験に際して建造された構造物は排水量1,000トン、全長183メートル、全幅91メートルの舟型で、起工から2か月で竣工したとされている。試験の結果は良好で、夏季に温度が摂氏15度に達してもなお、構造物の運用には支障がなかったという。
だが、パトリシア湖における試験についてはよくわからない点が多く、先に述べた摂氏15度の温度に耐えたという話にしても、それが気温を示しているのか水温だったのかさえ判然としない。その上、試験の時期についても情報が乏しく、建造にはあまり時間がかからなかったことと、夏季にも試験が実施されたことなどから、少なくとも春またはそれ以前には、作図段階を経て具体的な作業が始まったと推測するのみだ。
そもそも、洋上構造物の名称からして不明点が多く、通説では「ハバクック」となっているが、この名称にしても開発計画全体をさしているのか、洋上構造物固有の名称なのかが判然としないうえ、秘匿名なのか正式名なのかといった部分も不明確だ。ただ、長距離航空機の配備などが進んだことから、氷を使った洋上航空基地の計画が中止され、この奇抜で夢想的なアイディアは実現しなかった事は明白な事実である。
もし、氷で洋上航空基地を建造する計画が実現していたら、それは「氷山空母」と呼ぶにふさわしい存在であり、同時に人類史上最大の洋上建造物となっていただろう。だが、氷の洋上航空基地を運用するためには、数多くの難題を乗り越えなければならないことは明らかで、残念ながら実現の可能性は極めて低かったといえる。
例えば、先述のように構造物を冷却することによって溶解を防ぐとなっているが、内部の湿気を素早く放出しない限り、航空機や内部構造物に霜が付着することは容易に想像可能で、最悪の場合は霜が内部通路を塞いでしまいかねない。その他、構造物に付随する各種施設の固定方法も問題で、単なるリベット止めでは「リベット表面の氷がわずかに溶けただけでも固定力を失う」ため、何か特殊な方法を講じなければならなかっただろう。
とはいえ、試験のみに終わったのは確かで、単に奇想天外なイロモノ計画として一笑に付されることが多い存在でもあるが、関西国際空港に至るメガフロート構想の先行者的存在として、もう少し真面目に評価してもよいのではないかと思う。
(隔週日曜日に掲載)