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【幻の兵器】終戦直前に初飛行していた中島のジェット戦闘機「橘花(きっか)」

 マリアナ沖海戦での大敗北と、サイパン、テニアン両島の失陥(しっかん)による絶対国防圏構想の破綻を受け、日本海軍は、中島飛行機へジェットエンジンを装備の高性能機を開発するよう命じた。海軍が「皇国二号兵器」と名付けた高性能機は、性能的な問題もさることながら、ガソリンやアルミという戦略物資の不足を見越して、軽油を燃料として鋼板や木材を可能な限り使用するよう求められていた。

 従来の技術では全く実現不可能な要求だったが、日本海軍では太平洋戦争の開戦前から空技廠の種子島時休大佐が熱心に燃焼式ロケット(ジェット)エンジンの研究、開発を進めていたため、ジェット機であれば達成可能とも考えられていた。海軍が中島に開発指示を出したのは1944年(昭和19年)8月25日で、ジェットの開発を前提としていることは明らかだった。

 本機は250もしくは500キロ爆弾を機体中央に搭載することとなっていたが、試作段階では機銃などの火器を装備しないこととなっていた。ただ、風防に70ミリの防弾ガラスを装備したほか、防弾鋼板や防火燃料タンクを装備するなど、防御についてもある程度以上の配慮がなされている。また、狭い掩体壕(えんたいごう)などへ格納することを考慮して、主翼は折りたたみ可能となっていた。

 その他、本機は生産に際して可能な限りアルミなどの戦略物資を節約することとし、胴体中央部などの外板を鋼板としたほか、木製部品の採用も検討された。さらに、生産に必要な工程も可能な限り簡略化されており、計画では零戦の半分程度の工程数で完成することとなっていた。

 海軍の開発指示を受けた中島では、松村健一技師を主務とし、開発の成否に関わる動力関係には山田為治技師をあてて開発に取り組んだ。機体設計については比較的順調に進めることができたが、問題はやはりジェットエンジンの開発であった。開発を進めていた遠心式ターボジェットのTR10(後のネ10)は問題が多く、作業は一向に捗らなかった。

 ところが1944年7月にはドイツ駐在武官だった巖谷英一中佐が、ドイツのガスタービンエンジンに関する資料と共に潜水艦で帰国、技術情報がもたらされたため、方針を大幅に転換して軸流式のネ20を開発することとなったのである。しかし、ジェットエンジンの開発に目処が立った1944年11月には、懸念されていた東京への空襲も本格化し、中島の開発陣は疎開先の中学校の教室や製粉工場での作業を余儀なくされた。

 機体の製造は養蚕(ようさん)小屋で行われ、昼夜兼行の突貫作業の末1945年7月31日(異説アリ)には原型初号機が完成し、敗戦直前の8月7日には初飛行にも成功した。
 国産ジェット機の記念すべき初飛行は、原型初号機の初飛行ということでもあり、安全のため脚を出したまま、エンジン出力も制限した中で行われた。初飛行時の時速は170ノット(約315キロ)に過ぎず、わずか11分間の初飛行ではあったが、飛行特性は素直で大きな問題も発見されなかったことから、関係者は開発の成功に自信を持った。

 しかし、実用の域に達するには推力の向上したネ20エンジンでも力不足で、過負荷状態での離陸には離陸補助ロケット(RATO)の使用が不可欠とされた。ところが8月11日に行われた2回目の試験ではロケットの推力線が機体の重心よりかなり下向きであったため、滑走中に機体が制御困難となってしまった。そのうえ、試作機の完成を急いだことに起因する脚の不具合も重なったため、制動も出来ずに滑走路を飛び出して機体を破損してしまい、最終的には修理中に敗戦を迎えることとなった。

 もう少し早く開発に着手していたなら、日本軍もジェット機を実戦で運用していたかもしれない。また、本機はきわめて優れた高性能機であり、実戦に投入されていれば連合軍に痛撃を与えていたのは間違いないとの説も一部には流布している。なにしろ、本機は日本が第二次世界大戦中に開発した唯一のジェット機であり、また特別攻撃機という分類に「皇国二号兵器」という別名もあいまって、どこか必殺の超兵器然とした印象すらある。だが、他方で機体もエンジンもドイツの模倣に過ぎない、単なる戦時急造の体当たり兵器との観方も少なからずあり、その実態については現在でもなお未解明の部分が多い。

 ロマンティックな空想や軍事アレルギー的な誹謗はさておくとしても、現実問題としてエンジンには改良の余地が大きく、そのうえ日本の飛行場は大半が未舗装滑走路で、砂や小石の混入は避けられないことなどを考えれば、稼働率に関しては悲観的にならざるを得ない。実際、ドイツではジェット機をコンクリなどで舗装した滑走路を持つ飛行場でのみ運用しており、当然ながら連合軍はそれらを集中的に攻撃して、ジェット機の活動を妨害した。さらに、総合性能は連合軍のプロペラ機に劣っており、もし空戦を行えば確実に大損害を出したであろう。

 結局、日本独自の高性能ジェットでもなければ、単なるドイツの粗悪な模倣でもなく、あいまいでとらえどころのないところが本機の実像といえるのではなかろうか。ただ、本機は単なるドイツ機の模倣に過ぎないとか、あるいは最初から体当たり攻撃のみを目的とした自爆機であるとの誤解は、関係者にとって非常に心苦しいものであったようだ。最終的に橘花が残した最大の功績は、日本航空技術の到達点を示したことといえるだろう。
(隔週日曜日に掲載)

■橘花
形式:特殊攻撃機(性能は予定、推定値)
動力:ネ二○軸流ターボジェット推力500kg2基
寸法幅10.00m・全長9.25m・全高3.05m・翼面積13.21(平方メートル)
重量:全備重量3549kg
乗員:1名性能:最高速度695km/h・航続距離941km・上昇限度10700m
武装:500kgまたは800kg爆弾1

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