子供のころから歌が上手く、周囲で評判だったという矢吹さんは、山梨県の甲府商業を卒業して上京。その後に作曲家の藤本卓也氏に師事し、歌手の道へ進んだ。独特のハスキーボイスとため息混じりの歌声が話題を呼び、デビュー曲の『あなたのブルース』が大ヒット。『第10回日本レコード大賞新人賞』『第1回日本有線大賞新人賞』『第1回新宿音楽祭金賞』など、1968年の新人賞を総なめにした。
先日、実年齢が明らかになった歌手の冠二郎(70)のように、矢吹さんも3歳サバを読んでデビューした。当時の歌手の年齢は、事務所が歌手を売り出しやすい年齢にしていた時代でもあった。
デビューからスター歌手の仲間入りをし、名声を誇った矢吹さんだったが、演歌の衰退とともに人気にも陰りが見え始めるようになる。次第にレコード会社を点々と替わる歌手活動になっていった。
晩年は不幸が続いた。長男を小腸破裂による腹膜炎で亡くし、妻も自殺体で発見された。矢吹さん自身も脳梗塞で倒れてしまった。
「彼は、甲府の病院に入院していました。10年以上前に脳梗塞で倒れてからは会うチャンスが無かった。人づてに聞いた話では、昨年の春ごろに退院してから甲府で一人暮らしだったそうです。すでに廃業しているみたいですが、実家は石和駅前で旅館を経営していたようでした。兄弟がいるとは聞いていましたが、亡くなった連絡は無かったです。元気だと思っていた」(矢吹さんと親しかった歌手)
矢吹さんが、最終的に所属していたオリエントレコードの関係者は「一人暮らしをしていた彼が、亡くなっていたのを警察に通報したのは宅配業者だったと聞きました。それもかなり時間が経ってからです。1月に亡くなって、私が知ったのも3月でした。兄弟が葬儀を済ませ、彼の両親が眠る墓に納骨してるそうです。15年前にオリエントレコードから、矢吹さんの自主制作でアルバムが1枚発売されていますが、その直後に脳梗塞で倒れてしまった。ここ10年ぐらいは、会っていませんでしたし、連絡も無かった」と驚きを隠せない。
昭和の名歌手だった矢吹さんを知る人は、確実に少なくなっている。孤独な死もあまりに悲しい。