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インタビュー 河内家菊水丸 「河内音頭」を東北へ 甲状腺ガン克服で芽生えた震災復興への願い(2)

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提供:週刊実話

 −−復帰は3月と早かったですが、手術後の療養は?
 「それが、手術そのものより後の方が大変でした。残ってるかもしれないガンを見つけて、こいつを除去するために放射性ヨウドの錠剤を飲まないといけません。今、その錠剤は原発事故との関係でほとんど福島に行ってるから、まず確保するのが大変でした。大阪ではどこにあるのかというたら、関電病院にしかないということでした。それから、クスリと言うても放射線。そやから投与も、それこそ万全の注意を払いながらですわ。飲んだ直後は一時的に隔離状態。帰宅の時も公共交通機関を使わないで。人と話すときにも距離を置いて。小さなお子さんには近づかないで。2週間は外出できない、という感じでした」

 −−それはかなり不自由な生活ですね。
 「飲んだら飲んだで、今度は食事制限。放射性ヨウドの錠剤を飲んだら、その後の検査の兼ね合いがあって、2週間ヨウドを摂取できません。でも、ヨウドを摂るなと言われても、実際の話、今は、ほとんどの食品にヨウドが入っているんです。あれアカン、これもアカンばっかりやから、ほんまに辛かったです。水とお米だけで作ったシンプルなお粥ぐらいしか食べられませんでしたから」

 −−手術の前と後で心境の変化は。
 「やっぱり今、このときを大切にせなアカンということですね。最後の夏やと思っていたのが、新たな気持ちでスタートに立ててホンマに何よりです。皆様に助けてもらった命を大切に、60、70歳を目指して、これからまた頑張ります」

 −−今年も特製の太鼓を携えて、岩手の『三陸海の盆』に出演されました。
 「これは復興支援ということで出させていただいているのですが、今年は福島から岩手に避難してきているであろう、僕と同じ病気で苦しんでいる人を励ますことができれば、と思って務めさせていただきました」

 −−これからは、伝統芸能としての河内音頭をよりいっそう深めていくということですね。
 「それが今の僕のライフワークです。50歳を迎えた今やからこそできるという感じです。今までは、それこそ色んなもんをやってきましたが、今後は伝統河内音頭継承者として、河内音頭をきちんとした形で次に伝えていきたい、広げていきたいですね」

 −−新聞詠みは封印のままですか? ネタになりそうな事件がいくらでもころがっているような気がするのですが。
 「25年間、家元としてやってきましたが、今は封印してます。新聞詠みは、河内音頭の重要なスタイルで、長らく廃れていたのを僕が復活させましたが、新聞詠みの批判や風刺の精神というのは演者である私と、劇場、会場に来ていただいたお客様との間だけのもんなんです。しかし、今の時代はツイッターやらフェイスブックやらで、それがどんどん外に広がって、あらぬ誤解を生むようになった。それはまずいということで、ここらで一区切りとしたわけです。
 それに封印したと言うても『美空ひばり物語』とか『横山やすし物語』といった昔作った作品は今でも演っているんですよ。まあ、新聞詠みも初めの頃の作品なんかは、長くやっている分、今はもう古典みたいなもんです。これからは、古い河内音頭を掘り起こし、その中に新聞詠み風の批判や風刺を入れ込んだのを聞いてもらう、そんな感じになります」

 −−私生活では、高橋知裕さんとめでたく再婚されましたが?
 「彼女とは以前からの知り合いでした。今回、手術を終え、ヨウド抜きの食生活を送るにあたって、彼女は親身になって世話を焼いてくれましたからね。それが決め手になりました」

 −−新婚気分はいかがですか?
 「良かったことは食事も含めて生活が規則正しくなったこと。さっきも言いましたけど、彼女の食事に関してのサポートは完璧です。お医者さんも驚いてはりました。困ったなと思うのは、週刊実話のカラー・グラビアを見れなくなったことですね(笑)」

河内家 菊水丸(かわちやきくすいまる)
1963年2月14日生まれ。伝統河内音頭継承者。9歳の時から父・河内家菊水に師事、音頭取りとして活動する。正調の河内音頭の傍ら、時事問題を巧みに読み込んだ新聞詠みを復活させ、数々の新作を発表して一時代を築く。海外公演にも熱心で、北朝鮮、イラクで公演した数少ない芸人でもある。

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