「王さんには、もうソフトバンク1球団のために働くのではなく、コミッショナー全権大使のようなポストで日本球界全体のために世界中を飛び回ってほしい。加藤コミッショナーとは旧知の仲なのだから。日米球界の間にはポスティング問題、ドラフト1位候補だった新日本石油ENEOS・田沢のレッドソックス入りなど重要な懸案事項がいくつもある。長年の駐米大使のキャリアがある加藤コミッショナーと王さんがコンビを組めば、最強タッグになる」
こう強く願っていた元V9メンバーの巨人OBたち。王人脈の球界関係者も、「ソフトバンク球団会長」と「コミッショナー特別顧問」「日本代表監督相談役」が並立している現状には、驚きを隠せないでいる。二者択一でなく、なんと第三の道があったとは、予想もしないサプライズ人事だったからだ。しかも、健康問題を抱える長嶋さんの後継者として巨人OB会会長に就任することで、かつての戦友、巨人OBたちを大喜びさせている。NからOへのバトンタッチは、実は長嶋さんが巨人監督時代に夢見たことでもあった。
ONというスーパースターを擁して日本プロ野球界に燦然と輝く金字塔のV9を達成した川上監督の後を受けた長嶋監督は、就任1年目の75年、巨人史上のワースト記録を数々塗り替える初の最下位という屈辱を味わっている。
「チーム全体がV9の出がらし状態になっている。巨人を再生しないといけない。巨人軍維新だ。再び常勝巨人を作り上げ、ワンちゃんにバトンタッチしたい。ワンちゃんにオレのような苦労をさせたくない」
長嶋監督はそう誓って、巨人軍維新に取り組んだ。最下位から翌年、奇跡のリーグ優勝。3年目にはリーグ連覇。順調に巨人再生は進むかに思われたが、その後、3年間優勝から遠ざかり、長嶋監督は全く予期せぬ、あの10・21電撃解任事件の主役になる。前年の79年、伝説の伊東秋季キャンプで鍛えられた江川、西本、角、中畑、篠塚らが続々と台頭していただけに、「もう1年、伊東秋季キャンプを続ければ、常勝軍団を作れたのに…。もう1年でいいからやりたかった」。解任された長嶋さんは無念さを隠そうともしなかった。
NからOへの理想的な政権禅譲も夢と消えた。王さんの野球人生も大きく変わった。
「ミスターが辞めるよりも先にオレの現役引退の方が先に決まっていたんだからね。ユニホームを脱いで垢(あか)を落として、ネット裏からもう一度野球を見つめ直そうとしていたのに。ミスターが辞め、オレもユニホームを脱いだら、巨人軍のお家の一大事だというので、助監督というポストで残ってくれと引き留められた。そう言われれば仕方ない」と告白する。
藤田元司監督、牧野茂ヘッドコーチとのトロイカ内閣誕生は、王助監督にとって不本意そのものだった。ここでも王さんは長嶋さん解任事件の巻き添え、ナンバー1・長嶋、ナンバー2・王の運命から逃れられなかったということになる。もちろん悪いのは、目先の利益を追い求め、野球界の至宝ONすら使い捨てにする読売であり、巨人軍だ。藤田監督後の既定路線だった王監督もわずか5年で解任して、藤田監督を再起用した事実で読売、巨人の無責任が浮き彫りにされるだろう。
今なお、場当たり監督人事は続いているが、NからOへの政権交代を「NO」としたツケがいまだについて回っているからだ。