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競輪人国記 香川(3)

 松川周次郎はひたすら先行一本だったが、引退は昭和51年と意外に早かった。この松川が悔しそうに語ったことがある。川崎・桜花賞の特選で先頭引きを指示されたことだ。「地元の高原永伍相手に先行しようと思っていたが、6番車に入れられ泣く泣く先頭を引いた」。

 今なら全レース先頭固定だから松川はぶんぶん先行できたはず。当時は先頭固定が1日2レースだけという規則があった。「これから売り出そうと思っていたのに…。出鼻をくじかれたよ」という話を、花月園に出場したときに聞いた。
 松川の姉・光子は女子の競輪選手だったが、男勝りの性格。弟の周次郎はシャイだった。光子は昭和37年の高松宮妃賜杯を優勝している。

 清水浩、治、茂の3兄弟は穴ファンには狙い目の選手だった。ともに地脚のある先行まくりで本命ラインをつぶした。「ハイセイコー」と言われた岩崎誠一(青森・31期)が初めてA級戦の川崎に出走したとき、特選で清水浩の先行ペースにはまってまくれず、4着に敗退したことがある。地元高松の全プロ1000メートルを優勝した実力者で、当然といえば当然の結果だった。時はハイセイコー・ブームだっただけに、満員だった川崎のファンは度肝を抜かれた。
 三好章仁(43期)はマーク屋で頑張った。平成2年の宇都宮オールスターでは同期の滝沢正光(千葉)の後ろを死守して2着。(5)(5)で2850円の好配当を出している。中野浩一(福岡)坂本勉(青森)山口健治(東京)らを相手の2着は三好のファイターぶりを示している。

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