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歌謡(うた)のマドンナ 市川由紀乃 紅白に最も近い実力派演歌歌手! 「舞台に立つ時は、いつも亡き兄の思いとともに…」

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提供:週刊実話

 −−卓越した歌の表現力に定評のある市川由紀乃。舞台では、演歌界きっての長身に着物が美しく映える。
 「幼い頃から、母の影響で演歌や歌謡曲を聴いて育ちました。カラオケ大会に出ると賞品がもらえたりして、家族が喜ぶんです(笑)。歌うことでみんなが笑顔になれるっていいなと、子供心に思っていました」

 −−16歳の時、埼玉新聞社主催のカラオケ大会に出場。その際、芸能事務所の社長にスカウトされたのをきっかけに、'93年、17歳でデビューした。
 「すぐに華やかなステージに立てると思っていたんですが、ひたすら地道なキャンペーンと、レコード店、放送局、有線放送などへの挨拶まわり。新人は名前と顔を覚えていただくのが大事ですし、このお仕事は一つ一つの積み重ねなんだということを十代の頃から実感しました。当時は歌番組や賞レースが多かったのに、デビューした年は新人賞にも縁がなく、スルーされていました(笑)。同期デビューの子たちが華やかなステージに立っているのがうらやましかったですね」

 −−その後、徐々に頭角を現し、オリコン演歌・歌謡ランキングで初登場1位になるなど、若手実力派として注目される存在に。ところが、'02年3月をもって突然活動を休止してしまう。
 「それまで何年間も“このままでいいのかな?”と悩みながら歌い続けていたんです。自分が思い描く方向に行きたくても、先が見えない。悩みながら仕事をするのがつらくなってしまって、一度この世界から身を引こうと決めたんです」

 −−表舞台から姿を消してしまった彼女。その後、何をしていたのだろうか?
 「生活のために、まずはハローワークに通って仕事探し(笑)。新宿にある『天ぷら新宿つな八』でずっとアルバイトをしていました。バイト仲間から前職を聞かれても、何の実績も知名度もないので、歌手をやっていたとは言えなくて“不動産関連の事務職でした”と嘘をついたり(笑)。生まれて初めてのアルバイトで、ワイングラスを割ったり、レジの計算が合わなかったり、いろんなミスをしましたね。でも、仲間に助けてもらいながら、精神的にも強くなれた気がします」

 −−その間も、歌への情熱は消えていなかった。
 「このまま『つな八』で働いていく人生もありかな、という思いもどこかにあったんですけど、歌手としてやり残したことがある、もう一度歌いたいという気持ちはずっとありました。お世話になっていた音楽業界の方たちが、その後も何かと気に掛けてくれて“本当に歌いたいんだったら、そろそろ動き出さないと”と背中を押してくださいました。そんな皆さんの力添えもあって、復帰することができたんです」

 −−'06年10月、再出発の気持ちを込めた曲『海峡出船』で4年半ぶりに復帰した。
 「お客さんが私を覚えていてくださったのがうれしかったです。長い間お休みしていたから、見捨てられても仕方ないと思っていたので…。キャンペーンに行く先々で皆さんが“おかえり”“心配してたよ”と声を掛けてくださって、そのたびに号泣していました(笑)」

 −−長年、母と兄との3人暮らしで、家族は強い絆で結ばれていた。しかし'08年、兄は39歳でこの世を去る。
 「兄には生まれた時から障害があったんですが、いつも優しく私のことを応援してくれて、キャンペーンにもよく母と一緒に見に来ていました。母や兄の喜ぶ顔が見たくて歌っていたと言っても過言ではありません。だから兄が亡くなった時、泣き崩れる母を見て“私はこれから歌を歌っていく意味があるんだろうか?”と真剣に悩みました。でも、歌があったからこそ家族が強くなれたんだし、これからは歌うことで私が母を支えられるんじゃないかと考えるようになりましたね」

 −−今も大切に持っている「お守り」があるという。
 「兄は“たくさん声が出ますように”とか“緊張しませんように”といった言葉をいつも紙に書いて渡してくれていました。今も、舞台に立つ時はそれを必ず胸元に入れて、兄と一緒にいるつもりで歌っています」

 −−表現力を磨きつつ、着実にヒットを重ねてきた彼女。昨年は『命咲かせて』がロングヒットし、紅白初出場濃厚といわれたが、その夢は叶わなかった。
 「スタッフの皆さんが一丸となって取り組んでくださいましたし、もしかしたら…という手応えはありました。一部のスポーツ紙には『市川由紀乃、紅白出場内定』という記事が出たんです。その日は親戚からの“おめでとう”の電話が鳴りっぱなし(笑)。結果はダメだったんですけど…。でも母はその記事を宝物のように大事に取っているんです。“『内定』と記事にしてもらえるなんてありがたい、20数年歌ってきてお前もここまで来られたんだね”って…。やるだけやり切った感はあったので、正直言って悔しさはありました。でも数日間泣くだけ泣いた後は“来年は頑張ろう”と、気持ちを切り替えました。それが去年の年末の思い出です(笑)」

 −−今年4月発売の新曲『心かさねて』も初登場1位となり、TOP10をキープ中。夢はきっと、手の届くところまで来ている。
 「去年の悔しい思いを、今年は笑顔に変えられるよう、精いっぱい歌っていきます。あとは運が味方についてくれることを願うだけです」

いちかわ・ゆきの=1976年1月8日、埼玉県さいたま市出身。'93年『おんなの祭り』でデビュー。2001年10月『さいはて海峡』でオリコン演歌・歌謡曲ランキングで初登場1位に。4年半の活動休止を経て'06年10月に復帰。以後も『風の海峡』『流氷波止場』『海峡岬』『命咲かせて』等で1位を獲得。身長170.5センチ。『心かさねて』はキングレコードより発売中。

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